第7話 怒号

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「おい! 太田川(おおたがわ)の担当者でてこい!」  突然、課の窓口に40代くらいの恰幅のいい男が怒鳴り声をあげて入ってきた。  急な来訪者に執務室全体が静まりかえっている。  担当の相川さんが緊張した面持ちで席を立つと、塚田さんがフォローに入った。 「俺は沿道の松田だ! お前等の工事のせいで家の塀に亀裂が入ってんだよ! 一体どうしてくれんだ?! 担当者はお前か?!」 「私が担当の相川です……」 「副担当の塚田です。すみませんが、今、住宅地図を持ってきますのでご自宅の場所を詳しくお聞かせ願えますか?」  塚田さんはそう言って相川さんに地図を持ってくるよう指示した。  場所を聞く限り、たしかに工事区間の沿道住民である。  隣の打ち合わせスペースにいた係長が心配して補職者会を抜け出してくると、塚田さんが苦情の内容と家の場所を地図で指し示した。 「係長の湯浅です。松田さんのご自宅に関しましては、工事の前に家屋調査を実施しておりますので、工事後に再度調査させていただき、事前事後の調査の結果、工事の原因と分かれば──」 「責任持って新しい塀建ててくれよ」 「……その場合でも、損傷の程度が捕修の範囲を超えているかどうかによりますが。まずは一度現地を確認させてください」 「ふざけんなお前!! 補修で済むと思ってんのか?!」  執務室は沈んだまま何の物音も聞こえてこない。 「とりあえず課長呼べ」 「私がお話をお聞きします」 「お前じゃ話にならねえんだよ!! あと工事も止めろ! お前らの工事なんか税金の無駄だからな!」 「お気持ちはお際ししますが、工事は止められません」 「止めろって言ってんだろ?! 市民様に迷惑かけてまでする仕事か?!」 「申し訳ありませんが、それは出来ません」  怒声と共にパイプ椅子が倒れる音と相川さんの悲鳴があがった。  周りの職員が慌てて駆け寄っていく。  そこには市民を抑える職員の姿と、口に手を当て怯えている相川さん、フロアに崩れこんだ係長の姿があった。  殴られたのか頬に手を当て俯いている。 「警察呼びましょうか?」  俺の一言にその場が凍りついた。  係長は俺を制して立ち上がると、冷静に相手に向き直った。 「後日、改めてお話に伺いますので、今日のところはこの辺でご容赦願えますか」  相手は職員に囲まれ気まずくなったのか、舌打ちしてその場を立ち去った。  急に執務室がざわめきはじめる。 「係長、大丈夫ですかッ……?!」  相川さんが駆け寄った。  周りの職員も心配と好奇心が入り混じったような顔をして取り囲んでいる。 「殴られたのが相川さんじゃなくて、ほんと良かったよ」  彼女を見つめてほっとしたように息を吐くと、椅子に座って痛そうに眉を寄せた。 「腫れてきそうですね。冷やしますか?」  俺は食器棚の引き出しからビニール袋を取り出すと、冷凍庫の氷を入れて手渡した。 「ありがと橘」 「消毒もしておきましょうね」  今度は塚田さんが救急箱を持ってくると、隣のパイプ椅子に腰掛けた。  コットンに消毒液をつけ、赤く腫れて血が滲んだ唇の端を優しく押さえている。  痛みに顔を歪める係長を見つめながら、彼女は冷静な表情で消毒を終えたコットンと引き換えに絆創膏を貼った。 「ありがと、塚っちゃん」  一息つくと、彼は目の前で落ち込んでいる相川さんを励ますようにいつものトーンで話しかけた。 「松田さんの話だと塀に亀裂がってことだったから、まずは事前調査時点での塀の状況がわかる報告書を見せてもらえるかな? 現地確認したいから、松田さんには改めて話を聞きに行こうか」 その優しい口調に、彼女は涙目になりながら返事をすると、すぐに報告書を探しに倉庫の鍵を取りに向かった。
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