第2話 優秀な上司

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 職場に戻ると、ホワイトボードの帰庁予定時刻を消す係長の元へ塚田さんが駆け寄った。 「係長~! ちょっと聞いて下さいよ! 今年の草刈り業務、藤井さんてば私の現場を業務範囲に入れてなかったんですよ〜?!」 「現場に重機入れれば草なんて生えてこないと思ったんですぅ〜」  藤井さんはパソコンに視線を落としたまま、わざとらしく唇を尖らせている。  南部担当では、河川の維持管理の一環で毎年草刈り業務を業者発注している。  今年は藤井さんがその担当だった。 「でもね、私の現場が終わってから丁度一カ月が経つんですけど、見て下さいよこの写真! もう雑草が生えてきてるんです! 当然業務範囲に入れておくべきだったと思いません??」 「締め固めが悪かったんじゃない? 業者のせいでしょ」  とぼけた顔をして笑いを誘っている。  係長が写真を見ながら呟いた。 「そもそも俺、業務範囲から外すなんて聞いてないんだけど」 「ええ?! 係長~! 俺、言ってませんでしたっけ?!」 「係長に相談もなく勝手に範囲から外したら駄目ですよ~?! 藤井さん!」  塚田さんが嬉しそうにはしゃいで上司の背中にまわりこんでいる。 「藤井君、塚っちゃんが困るようなことしないように」 「くっそ~! 塚田さんのまわし者~!」 「はいはい、文句を言わず速やかに設計変更する」  悔しそうな藤井さんを前に塚田さんが嬉々として席に戻ったところで、係長がみんなに声をかけた。 「忙しいところごめん。ちょっと相談なんだけど、実は今年の全国河川管理者協議会、うちの係から出席することになってるんだ。予め出席者を決めておいてもいいかな」  隣で相川さんがぼんやりと声の主を見上げている。 「橘君や相川さんは知らないと思うから説明するけど、毎年全国の都道府県と政令市が集まって河川事業に関する議題を話し合う会議があるんだ」 「今年の開催地はどこですか?」 「京都」 「はい、行きたい」  即答で藤井さんと秋山さんが手を挙げる。 「定員は何名ですか?」 「例年だと、係長と係員1名の2名で参加してるな」 「開催日って金曜じゃないすか。自腹で泊まるなら観光して帰ってもいいんですよね?」  秋山さんのその一言で、結局塚田さん以外の全員が立候補したため、最終的にはジャンケンで勝ち抜いた相川さんが出席することに決まった。  本人もまさか自分が勝てるとは思ってもみなかったようで、最後に出したグーを握りしめたまま固まっている。 「いいな〜羨ましい!」 「折角だから係長と観光してきたら? あ、私へのお土産は気を遣わなくていいからね!」 「それは気を遣えってことだな。相川さん、パワハラの先輩は相手にしなくていいから」  塚田さんが笑いながら係長の肩をたたく。  二人は仲が良い。  同じ年に入庁した同期だと、歓迎会の時に藤井さんが教えてくれた。  係長は、塚田さんに叩かれた肩をすくめ、わざと痛がる素振りを見せながら開催案内が記された書類を相川さんに手渡した。 「初出張おめでとう。早速だけど、会議で提案する議題を課内でとりまとめてくれるかな。月末までに事務局に提出しないといけないんだ。案ができたら俺に見せて」 「は、はい!」  彼女は我に返ったように鼻先にずれた眼鏡を押し上げたが、席へ戻っていく上司の背中を、いつまでもぼんやりと眺めていた。
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