第18話 理想の上司

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第18話 理想の上司

 望の言うとおり、西山美優からの連絡は途絶えた。  あいつがどうやって彼女の行動をコントロールしているのかは未だに分からないままだ。  小笹川の工事は続いているが、西山家からの苦情はぱたりと止んでいた。  俺は、いつまた彼女から連絡が来るかもしれないと思うと未だに薬が手放せないでいるが、この工事が終われば携帯の電話番号は変えたいと思っている。  昼休み、午後から予定している地元協議資料を確認しながら弁当をつついていると、塚田さんと相川さんがそれぞれラッピングされたお菓子を持って声をかけてきた。 「係長、いつもありがとうございます」  意味がわからず、ぼんやりとその包み紙を見つめていると、塚田さんが腕を叩いてくる。 「バレンタイン。バレンタインよ係長」 「あ、そっか……! 今日だったっけ。すいません、ありがとうございます」  低頭しながらチョコレートを受け取ると、相川さんが恥ずかしそうに俯いた。 「はじめて手作りしたので、お口に合うといいんですけど」  手作り──ああ、彼氏に作るついでに俺たちの分まで作ってくれたのか。 「ありがとう。大切にいただきます」  彼女は嬉しそうに微笑むと、隣の藤井や秋山にもチョコを渡しに回った。 「係長、そろそろ行きましょうか」  俺が声をかけると、斜向(はすむ)かいから手が挙がる。  今日予定している御陵川の地元協議では、農業用水補償として集約井戸で決定することを農家組合の人達全員に周知するためのものだった。  運転席に座ると、隣の助手席に座った係長がシートベルトを締めながらこちらを見る。 「今日で決まるな。気合い入れろよ」 「はい。しっかり入ってます」  地元の自治会館へ着くと、これまで交渉に応じてくれた農家組合長が会館の外で俺たちを待ってくれていた。 「今日は世話になるな。みんなもう集まってるから、時間になったら始めよう」   出会った当初は高圧的な印象だった会長も、何度も協議を重ねるうちに係長の熱意に絆され、今となってはすっかり心を開いてくれている。 「浅田会長、今日はよろしくお願いします」  係長が頭を下げると、彼は笑ってその肩を叩いた。  室内は広い畳敷で、折りたたみの長テーブルが何列にも渡って配置されている。  総勢で30名程の組合員がその座席を埋め尽くし、世間話に花を咲かせていた。  定刻の14時。会長が上座に立って挨拶の言葉を述べ出すと、参加者達はそれぞれに雑談をやめ、耳を傾けている。 「──今回、交渉の結果まとまった最終案について河川事業課さんから説明があるので、疑問点等がある場合は最後にまとめてお願いしたい。では、よろしくお願いします」  こちらにバトンが託されると、予め各人に配った説明資料に基づき、俺が読み上げを行った。  現行の堰の代替施設として集約井戸で決定すること、井戸の設置工事は機能補償として本市が施工すること、施工後の電気代等の維持管理費は国の補償基準に基づいて算定し、一括支払いの渡しきりとすること。  そして最後に、今後の河川改修工事とこれに伴う補償工事の工程について、一通りの説明を行った。  農家組合の人たちは、それぞれに思うことを雑談のようにして隣同士、向かい同士で話をしていたが、会長が前捌きしてくれたおかげで特に方針に対する大きな異論はなく、定刻の16時に会合は終了した。  集まってくれた人たちを見送りながら、この一年間の努力の成果がようやく報われたことに充足感を覚えた。  そして、地道に築き上げてきた地元の人達との絆も、かけがえのない財産だと上司の背中を見て勉強させてもらった。 「無事に終わってよかったな」  会長が労いの言葉をかけてくれる。 「ありがとうございます。また今年の夏頃に補償工事を行う鑿井(さくせい)業者が決定するので、改めてご挨拶に伺います」  俺が頭を下げると、会長は納得したように口元を緩めて頷いた。 「とりあえず一段落だな。わかりやすい説明だった」  係長がシートベルトを締めながら微笑した。 「俺は交渉結果を伝えただけで、大したことはしてませんよ。係長が交渉に時間をかけてくれたおかげです」 「謙遜すんなって。お前が地元のために井戸のこと勉強したり、工事費や補償費の試算して比較検討してくれたおかげだろ? 頑張った努力が報われて俺も嬉しいよ。ほんとにお疲れ様。よくやったな」  そう言って肩を叩かれた。  俺は胸の奥がじわりと温かくなるのを感じ、この上司に一生ついていきたいと思った。 「ところで、今日チョコ何個もらったんですか?」 「え、5、6個? かな。なんで?」  昼休みの時点で6個ももらうのか。帰りには何個に増えてるんだ……。 「モテますね、相変わらず」 「はぁ?? 全部ギリに決まってんだろ。役所歴長いから知り合う女子が多いだけ」 「知ってます? 今時ギリでもチョコくれる女子って少ないですよ。課内の子からもらえたら良い方なんですから」 「え、じゃあどういう意味?? ギリでももらえるレベルのギリってこと??」  やばい。天然が炸裂しだした。  家に帰って尊のチョコの中身を確認すると、手作り、手作り、手作りの役牌(やくはい)に思わず胸の内で合掌した。  最近手作りが流行ってるのかな等と訳の分からない感想を抱く彼には目眩がした。  ただのギリに時間かけて手作りするか?  ましてやこんなに手の込んだラッピングするか?  どんだけ天然なんだよこの人……。  湯浅係長に憧れを抱く女子がただただ不憫で、俺はもう一度胸の前で合掌した。
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