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第1話 人事異動
「橘薫です。よろしくお願いします」
この春の人事異動で、俺は河川事業課に配属された。
河川事業課は、横浜市が管理する河川の改修とそれに伴う用地買収を担う課だ。
課の体制は、職員の庶務労務と計理を担う事務担当、国庫補助申請等を担う事業調整担当、河川改修を行う北部担当と南部担当、用地買収を行う用地担当から成る。
課長を含めると総勢20名の課だ。
俺は南部担当の仕事を任されることになった。
前職場では、新規採用で特殊車両の通行許可を行っていたため、工事を担当するのは今回が初めてとなる。
一通りの挨拶が終わると、人と机と書類が整然と配置されている通路を突き抜け、執務室の中央を目指した。
そこには長テーブルが縦二列に向かい合わせに配置されていて、俺は出入口に一番近い末席を充てがわれた。
前職場から持ち込んだ筆記用具を引き出しに詰め込んでいると、左隣で小さく息を吐く人の気配を感じる。
俺と同じく新たに南部担当に配属された相川さんが緊張した面持ちで机を見つめていた。
リクルートスーツが初々しい大学卒の新規採用者だ。
彼女は俺と目が合うと、背筋を伸ばして会釈した。
後ろで一纏めにされた黒髪が肩から流れ落ちる。
傷みのない綺麗な髪だ。
眉の上で切り揃えられた前髪の下には、鼈甲のフレームの向こうから大きな瞳が覗いている。
まじまじと見つめられると、思わず目を逸らしてしまうほど大きい。
「相川です。よろしくお願いします」
彼女は行儀よく膝に手を添えると、改めて頭を下げた。
反射的に俺も頭を下げたが、背後で人の気配がしたため振り返ると、男性が微笑して手元の書類を差し出してきた。
「話し中のところごめん。南部担当係長の湯浅です、よろしく。早速で悪いけど、10時から係会議させてもらえるかな」
係長にしては若い。
まだ30歳くらいだろうか。
痩せていて上背はないが、色が白いからか濃紺の作業服がよく似合っている。
優しげな二重瞼の目元に細い鼻、薄い唇。
艶感のある栗色の前髪をワックスで両サイドに流している。
左耳にかけた前髪の隙間からは、皺一つない白磁の額を控えめに露出させていた。
同性の上司にこんな言い方をしても何の褒め言葉にもならないかもしれないが、どこか中世的で、とても綺麗な顔をした人だった。
ぼんやりと目を奪われていると、柔軟剤の香りだろうか、ふわりと爽やかな香りが鼻に抜け、無意識に深く息を吸い込んだ。
河川事業課では、現在12河川を改修しているが、そのうち6河川を南部担当が受け持っている。
係会議で告げられた俺の担当は御陵川。
事業計画延長1.2km、計画幅員11mの二級河川だ。
昨年度までに下流から0.7kmの改修が完了しているが、今後の改修区間に農業用水を取水するための堰があるらしく、その復旧方法について農家組合と協議をしなければならないらしい。
係の構成は、係長、主任、係員4人の計6人。
それぞれの河川毎に主担当、副担当がつくが、御陵川の副担当は主任の藤井さんだ。
健康的に日焼けした肌が爽やかな、仕事ができる好青年タイプ。
この係に配属されて4年目のベテラン職員だ。
相川さんには、同じく女性職員で配属3年目の塚田さんが副担当につくことになった。
年齢は30歳くらいだろうか。
少し太めで直線を描く眉、二重の猫目に白い肌。
セミロングの茶色い髪を後ろで無造作に編み込んでいて、大人っぽい女性らしさがある。
互いに女性同士ということもあり、また席が隣同士ということもあって、先ほどまで緊張で強張っていた彼女の表情が少し和らいで見えた。
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