娘の思いと父の夢

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 その日から、シングルファーザーとしての生活が始まった。しかし、現在のように福祉は充実しておらず、苦労の連続であった。  新任教師として、先輩教員から多くの雑務を任された。娘が熱を出そうものなら、それらを投げ捨てて帰らねばならない。部活の顧問を任された。娘を優先したいのに、生徒たちの要望が多くてなかなか家に帰れない。保育園には預けられず、実家を頼っていても、どうしても家庭と仕事が両立できない。そうしている間に教員や生徒の親から「無責任」の(らく)(いん)を押され、どんどん仕事がやりづらくなっていった。手のかかる生徒もいた。クラスで問題が頻発した。憧れていた教師という仕事の苦しい面ばかりを見るようになり、父は本当に偉大だったと感じる日々だった。  やがて、娘が幼稚園生になった。たとえ短くても預けられる場所ができて安堵したのも束の間、父が脳梗塞で倒れ、母には()(がん)が見つかった。両親の介護なんてまだ先の話だと思っていたのに、途端に重たいものがのしかかってきた。  不幸中の幸いだったのは、実家がまとまった金を貯めていたことだった。遺産どうこうの話よりも、現段階の生活を安定させること。修吾は母に話し、ヘルパーを頼むと決めた。父は病院で寝たきり、母は治療を拒んだ。ならばせめて人生の終末ぐらいは楽に生きてほしかった。  両親は、ほぼ同時期に天へ召された。その頃、娘は小学生になっていた。家の鍵を持たせ、非常に寂しい思いをさせていることは分かっていた。だが、何よりも生活を守りたかった。自分が唯一持っている教員免許という資格で、娘に不自由ない生活を与えたい。そのために、冷ややかな眼を向けられても、日曜日だけは絶対に娘と過ごすと決めた。どこにだって連れて行った。何だって買い与えた。給料の範囲内であれば、多少の無理でも叶えてやった。
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