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中添修吾は、計画性がある男だと自負している。
初めて将来のことを考えたのは、今から四十年前、幼稚園にいた頃だった。
今は亡き修吾の父は、幼い息子にこう教えた。
『計画性のないやつは、どれだけ頭が良くたって認められない。逆を言えば、頭が悪くても計画性があるやつは良い人生を送れる。おまえはどちらの生き方を選ぶか。頭が良くても落ちぶれる人生か、頭が悪くても幸せな人生か。はっきり言って、おまえは地頭がいい方じゃない。幼稚園にいるあいだ、よく考えろ。考えることはおまえを育てる。何も考えていないやつは、限られた運を削って生きていくしかない。運を削らずに生きるためには考えることだ。それができる人間だけ、本当の幸せを掴めるんだ』
修吾の父は教師をしていた。教え子を愛し、教え子に愛され、一年に何度も同窓会に呼ばれるような人格者だった。しかし実際は、不出来な子らに手を焼いていた。
『ものを知らないやつは、人の気持ちにも鈍感だ。身勝手で、適切な言葉を用いて話すこともできず、仲良い友達からも笑われている。自分は人を笑わせられる人間だと勘違いして、その実、人から笑われているんだ。知識は人を不幸にさせない。正しい気遣いをすれば誰かを不幸にすることもない。学び、配慮し、謙遜しろ。そうすればおまえは、人から愛される人間になれる。それがあって初めて、笑う門に福が来るんだ』
幼い修吾には、父の語るすべてを理解できなかった。だが、『人を不幸にさせない』という言葉をとても大事なものだと刻んだ。そして、父の言う計画性を身に着けた大人になりたいと強く願った。
計画性には、長期的視点と短期的視点があるらしい。
前者は、人生をマラソンに例え、結末に至るまでの過程を思い描くこと。
後者は、人生をブロックに分け、それぞれに目標を達成していくこと。
幼稚園生の修吾は、とりあえず中学三年生までを一つのブロックと定め、どうしたら高校受験を有利にできるかと考えた。そのために勉強し、部活や委員会に励み、友人を吟味して選んだ。たとえ同級生から地味な男だと思われても、いつかおまえらを見返してやるぞと意に介さなかった。
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