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「陛下そろそろ公務に戻る時間です」
しばらくして、眼鏡をかけたブラウンの髪の男の人が僕達の居るガゼボに来ると、アデルバード様にそう耳打ちをした。
その時に一瞬だけ、アデルバード様の膝の上に座っている僕を見たその人は、すぐに視線を僕から外して手に持っていた分厚い手帳を開いた。
それをアデルバード様も確認すると、僕を膝の上から優しく下ろして頭を撫でながら、仕事に戻らないと行けないって、まるで離れ難いって言うみたいに告げてきた。
「頑張ってくださいっ」
眉を寄せて困った顔をする彼に僕なりに精一杯応援を送ると、アデルバード様が小さく笑ってくれてそれにほっとする。
「判を押して頂かなければならない書類がありますから執務室に参りましょう。それからこれを」
眼鏡の男の人がアデルバード様に何かの手紙を手渡すと、彼がそれをざっと見て目を細めた。その瞳がまるで剣先の様に鋭くつり上がっていて、先程までの優しい彼とは別人のようだと思ってしまう。
「ラセット、ラナ、そこに居るな」
「「はい、陛下」」
アデルバード様が2人の名前を呼ぶと、何処からか2人が姿を現してアデルバード様に頭を垂れた。
「リュカのことをしっかり見ていろ」
彼の言葉に2人がしっかりと頷いて、それを確認した彼が、また僕の頭をそっと撫でてから眼鏡の人と一緒に庭園から足早に出て行ってしまった。
先程の厳しい顔をしていたアデルバード様を思い浮かべて、僕はまだ彼のことを何も知らないんだって思い知らされた。
もう彼の姿が見えなくなった庭園の出口の方向を見つめながら、彼に何度も触れられた唇をそっと指でなぞる。
「リュカ様も冷えてきましたから部屋に戻りましょう」
「うん。そういえばラナたちはどこに行って居たの?」
「ずっとお傍におりましたよ」
ちらりと茂みの方に視線を向けたラナに僕は一気に顔を赤くして慌てた。
アデルバード様とのあれやこれやを見られていたと分かって穴に埋まりたい気持ちになってしまう。両手で赤い顔を隠していると、ラナとラセットさんが何がおかしいのか、くすくすと笑ってきて、思わず2人を軽く睨んでしまった。
「ご心配いりません。ずっと背を向けておりましたから見ておりませんよ」
「そうですよ。リュカ様が皇帝陛下の膝に座っていたのなんて見ておりませんから」
「しっかり見てるじゃないかっ…」
からかってくるラセットさんに赤い顔のまま反論すると、彼が楽しそうに笑って、それに釣られて僕も笑いながら3人で薔薇庭園を出る。
テーブルに乗っていたお菓子たちはどうするのかラナに尋ねたら、他のメイドさんたちが後から片付けてくれると教えてくれて安心した。
「ラナ…僕、ここに居ていいんだって…」
僕だから求婚したのだと言ってくれたアデルバード様の言葉を思い出してラナに言うと、彼女は僕に向かって穏やかな笑みを浮かべてから
「よかったですね」
って言ってくれた。
それにうんって返事をして自分の部屋までの道を少しだけウキウキ気分で進んでいく。
会いたくないと思っていた皇帝陛下がアデルバード様だったことにはとても驚いて困惑してしまったけれど、今は彼で良かったと心から思う。
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