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花人の匂いに惹き付けられる人のことを天人と呼ぶ。
天人は産まれながらに高い潜在能力を秘めていると言われており、高い地位にいる者はほとんどが天人だ。彼らは唯一、花人の開花期を抑えることの出来る人間であり、開花期に花人が天人に項を噛まれると契約関係の様なものが成立しその2人は永遠に離れられない存在になるのだそうだ。
また花人が天人の子を産むとほとんどの確率で天人が産まれることが分かっており、花人が重要視されるのはそういった面も関係している。
そんな花人と天人には狂花と呼ばれる現象がごく稀に起きることがある。
狂花が起きた花人と天人は普通のそれよりも深くお互いを求め合う唯一無二の存在になれるらしいけれど、そんなものは夢物語だと笑う人がほとんどだろう。
僕は目の前のその人の足元を見つめながら、震える自分の体に手を添えた。
何故か酷くこの人が怖いんだ。
「僕は…星が好きです…。あんな風に僕も輝ける人間になりたい…」
「そう。けれど、そんなに震えていては折角の君の輝きも失われてしまう」
彼はそう言って僕の肩に優しく手を置いた。
それに反応して顔を上げると、先程とは何処か違う優しげな笑みが目に飛び込んでくる。
ドキリと何故か胸の鼓動が一際大きく波打った。
「名前を教えて欲しいな」
「…ぼ、僕は……」
何故そうしたのかは分からない。
けれどどうしてだか自分の名前を彼に知られることが酷く恥ずかしく思えたんだ。
こんな酷い格好で、震える僕の姿を彼に覚えられることが悲しく思えたんだ。
だから僕は嘘をついた。
「…アデレード……アデレード=ロペス…です」
「…君がロペス公爵家の一人息子?確か花人の…」
1人息子という言葉に胸が痛んだけれど、それに気付かないふりをして僕は頷いた。
「そうか君が…。私は今、この屋敷に来たばかりなのだけれど迷ってしまってね。今日は君に会いに来たんだよ」
「…僕に?」
それはつまりアデレード兄さんに会いに来たということだろう…。
彼は今婚約者を探し回っているから。
僕は今アデレード兄さんの服を着ているからみすぼらしくてもそこそこの家の人間に見えるのかもしれない。
「私はそろそろ帰らなければならない。君にも会えたことだし、従者が探しているかもしれないからね」
「…お気を、付けて」
「ありがとう」
彼はそう言ってまた僕に微笑んでくれた。
先程の作られた笑みではなくて、僕が見てみたいと思った本当の綺麗な笑顔だ。
それが嬉しくて彼に小さく笑顔を向けると、おもむろに彼は僕の片手を取って、目の前に片膝を着くと、僕の手の甲に1つキスを落とした。
まるでおとぎ話に出てくる王子様のように、月明かりに照らされた彼は美しくてかっこいい。
彼に触れられたところからじわじわと例えようもない熱が溢れてきて、なぜだか全身にその熱が伝染していくような感じがした。
僕は酷く火照った身体のせいか潤んでいるだろう瞳で、自分のことを見上げている彼の顔を見つめる。
「私の大輪の花に心からの祝福を」
聞き心地のいい柔らかな声が僕の全身に染み渡る。
そっと離された手から彼の熱が消えることが切なく感じて思わず自分の手をきつく握りしめた。
「また会おう」
「あっ、まって!」
小さな僕の声は彼に届かなくて、彼はどんどんと来た通路を戻って行ってしまう。
その後ろ姿を見つめながら、名前すら聞けなかったと後悔した。
初めてあったはずなのに、酷く心を揺さぶられる感覚。
あんな素敵な人には一生会うことは出来ないだろうこともわかっていた。
それに彼は、アデレード兄さんに会いに来たのだ…。
本当はアデレード兄さんが貰うはずだった祝福も何もかも、僕が奪ってしまった。
それに罪悪感を感じて僕は唇を噛み締めた。
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