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「あら? 優子?」
どれくらい時間が経ったのだろう。不意に呼びか掛けられた声に驚いて振り向いた。
「…お母さん…」
母にはまだ病気の事を話してはいない。話す勇気がないのだ。
どう接したらいいのか分からない私に母は『身体が冷えるから』と言って、家に招き入れてくれた。
「優子が帰って来たから今日は特別」
そういって母は喫茶店の看板をクローズにして入り口にカーテンをした。
アンティークな家具や雑貨が好きな母の店は、昭和の香りがそのまま残ってるような安心感がある。
「久しぶりだねぇ。優子が帰って来るなんて。嬉しいなぁ。」
独り言のように呟きながら珈琲を淹れる母はとても楽しそうだ。
「昔、その席に座って宿題してたよね」
カウンター席の一番奥。宿題が終わったらお店の手伝い。それが毎日の日課だった。
「今思うと、楽しかったなぁ。何でもない毎日だったけれど、うん。楽しかった。」
母の淹れてくれた珈琲の味は昔と変わらない。
「それなら良かった。東京はどう? 楽しい? まぁ、私は優子がどこに行ったのしても笑顔でいてくれたら、それだけで嬉しいけれどね」
あはは。と笑いながら母が言う。
そういえば、いつも母は笑っていた。泣いてる姿や悲しげな姿を見たことがない。
「お母さん…いつも笑顔だよね。凄いなぁ。」
心の声が漏れた。
「そぉ? でも、それを私に教えてくれたのは優子。貴女よ。」
「…えっ!?」
思わず顔を上げて母を見た。
「覚えてないかなぁ? お父さんが亡くなった時に私わんわん泣いてたら、貴女、金平糖が入った袋を抱きかかえながら、私に言ったのよ?」
『わらうかどには ふくきたる。つらくなったら わらいなさい。って、おとーさんが いってたよ 』
「目に一杯涙浮かべてさ。金平糖の袋をギュッと抱きしめながら、私の頭を撫でてくれたのよ」
父が亡くなった日の事は、全く記憶に残ってない。確か、当時私はまだ4歳くらいだったはず。
「その時ね。私、お父さんに誓ったの。何があっても、どんなに辛くても、優子の前では絶対に笑顔でいるって。だって、それが、お父さんの願いで、遺言だと思ったから。」
『辛い時ほど沢山笑いなさい』
胸の奥の方で聞こえた気がした。
『泣いても良い。その分、沢山笑いなさい』
あ…私、覚えている。父がよく言ってた言葉だ。
懐かしさと、寂しさ。どうして今まで忘れてたのか。色んな感情が入り交じって、頬に何かが伝う感覚で、自分が泣いている事に気が付いた。
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