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卒業アルバムの白紙のページ。
最初は白紙のページだったはずなのに、今ではクラスメイトのメッセージで埋め尽くされている。
だから僕は皆にメッセージを返す。
高校に入学してからの僕はいわゆる陰キャってやつで、友達なんてできた試しがなかった。
たまにつまらない話をする程度の相手はいたけど、それだって友達と呼ぶのかはわからない。
ただ同じクラスだったから話しただけ。
いや、同じように友達がいない者同士だから話しただけか。
友達がいない事に問題を感じたことはない。
時間は勝手に過ぎていくから。
でもだからと言って『遊び』の対象にされることを良しとするわけではない。
『遊び』の対象。
どう好意的に受け止めようとしても、それは友好的なものには成り得なかった。
何がきっかけだったのかもわからない。
どうせつまらないやつだから、根暗なやつが泣き叫べば面白いだろう、その程度の考えだったのだろう。
僕で遊ぶのは、いわゆる陽キャと呼ばれる連中だった。
それが段々とクラス全体に派生した。
言葉を交わしたことのある数少ないクラスメイトも陽キャに便乗した。
きっと『遊び』の対象が自分に向かうのが怖かったのだろう。
僕でもそうするさ。
僕が反応しない事が面白いのかつまらないのか、『遊び』の内容は段々とエスカレートしていく。
それが嫌だったわけじゃない。
それが苦しかったわけじゃない。
それに耐えられなかったわけでもない。
そもそも『遊び』のせいかと言われると、それも違う気がする。
起床に対して。
学校に対して。
植物に対して。
テレビに対して。
クラスメイトに対して。
満員電車に対して。
教師に対して。
異性に対して。
信号に対して。
隣人に対して。
授業に対して。
食事に対して。
同性に対して。
テストに対して。
親に対して。
動物に対して。
思考に対して。
会話に対して。
喜んでいる人に対して。
怒っている人に対して。
悲しそうな人に対して。
楽しそうな人に対して。
僕に対して。
そして、生きることに対して。
全ての事に対して、僕は面倒になった。
だからやめた。
だから捨てた。
何をって?
わかるだろう?
卒業アルバムの白紙のページ。
最初は白紙のページだったはずなのに、今ではクラスメイトのメッセージで埋め尽くされている。
だから僕は皆にメッセージを返す。
僕の卒業アルバムに皆でメッセージを書こうと言い出したのは、いわゆる陽キャと呼ばれる連中だった。
バカな教師も目尻に涙を浮かべながら賛同している。
綺麗に見えるメッセージを書きながら、彼らは心で嗤っているのだろう。
まさか卒業する最後の日まで僕で『遊ぶ』ことができるとは、って。
だから僕も皆にメッセージを返すんだ。
僕は皆の事を空から見ているよ、って。
そう、それこそ綺麗に見えるメッセージを。
覚えのないメッセージが卒業アルバムに書かれていたら、皆はどんな顔をするのだろうか。
もしかしたら今日は気が付かないかもしれない。
それは明日かもしれないし、明後日かもしれない。
一年後かもしれないし十年後かもしれない。
でも大丈夫。
僕は空から皆を見ているから。
ちゃんと見続けているよ。
君たちが喜んでいる時も、幸せな時も、ずっと僕が傍で見ているから。
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