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 彼も自分を覚えている。反応を見る限り、向こうも須永を意識しているのは明らかだ。 「いらっしゃい安曇ちゃん。しばらくご無沙汰だったじゃない」 「こんばんは。ここのところちょっと立て込んでて、今日は息抜きに寄せてもらったんだ」  ママとにこやかに会話しながら、安曇が前と同じカウンター席に腰を下ろす。 「こんばんは。この間はどうも」 「……その節はお世話になりました」  不意に話しかけられ、ついぶっきらぼうな返答になってしまった。いつになく緊張している自分を、吉村が興味深そうに眺めている。 「いや、俺が勝手にしたことだから。今日は一人じゃないんだね」 「あ、俺こいつの友人で吉村っていいます。ママから聞いてた通りの美人っすね」  須永の体を押し退け、吉村が愛想よく安曇に話しかける。 「ママは持ち上げ上手だから。話半分で聞いてちょうどいいくらいなんだよ」 「えー? その割には俺のことは全然持ち上げてくれないんですけど。ねえママ?」 「美しいものが好きなのよ。ごめんなさいね」 「ヒデー! どこが持ち上げ上手なんすか!」  自分を挟んで交わされる言葉のラリーを、須永は傍観者の気分で眺めていた。  人好きのする性格の吉村を、安曇はすぐに気に入ったようだ。吉村の方もまんざらでもないらしく、笑顔でグラスを傾けている。 (吉村のヤツ、どうせ適当に遊ばれて捨てられるのがオチだとかなんとか言ってたくせに、ずいぶん楽しそうじゃないか)  須永は苛立ちをごまかすように、グラスに残ったハイボールを一気に煽った。心なしか友人の顔が脂下がっているように見えるのは、気のせいだろうか。 「ところで安曇ちゃん、立て込んでるって仕事? それともプライベート?」  それは須永も気になるところだ。  グラスをコースターに戻してこっそり隣の様子を窺うと、あまり突っ込んでほしくなかったのか、安曇は困ったように苦笑した。 「うーん……プライベートが仕事に影響出ちゃったって感じかな」 「何か面倒なことになってるの? 私で力になれることはある?」 「ありがとう。大丈夫。もういい大人だしね」 「大人だって言うならいい加減そろそろ落ち着いてほしいわね。ヨロヨロフラフラ、危なっかしいったら」  大学生の頃から通っているだけあって、言葉の端々に相手への親しみが込められている。須永に向けるよそよそしい表情とは違って、心を許しきっている様子なのも面白くない。 「安曇さん、仕事は何を?」  思わず話に割って入ると、安曇は驚いたように目を瞬いた。アイライナーで縁取っていない瞳は、すっきりとして好ましい。 「俺、何かおかしなこと言いました?」 「いや、こういう場所で個人的なこと聞かれたのって初めてだったから……」 「詮索しないのがルールとか?」 「新鮮だなと思っただけだよ。塾の講師をしてるんだ。二人は大学生?」  頷くと、安曇はふっと鼻先で笑った。 「一番楽しい時だね。羨ましい」 「別に楽しくなんかないですよ。ゼミだのレポートだので時間は削られるし、自由になる金も少ないし」 「少ない時間とお金をやりくりするのが楽しいんだよ。働き出すとお金はあっても使う時間がなかったりするから」 「だから俺のことも助けてくれたんですか? 金も余裕もない学生がかわいそうに見えた?」 「そういうわけじゃないけど、学生のうちは他人の好意に甘えておけばいいと思うよ」  子供扱いするなと返そうとして、咄嗟に口を噤む。むきになって言い募る自分を、ママと吉村が奇妙な表情で眺めていた。 「……なんだよ?」 「いや、面白いもん見たなーって」 「渉くんってこんなにしゃべる子だったのね」  確かに普段はどちらかというと口数は少ない方だ。それが安曇の前だとつい饒舌になってしまった。しかもいちいち子供じみた返答ばかりしていた気がする。  ちらりと隣を見ると、安曇と視線がかち合った。自然とそうなってしまうのか、彼の口元はいつも緩く弧を描いている。波立った心を穏やかにしてくれるような柔和な顔立ちだ。 (やっぱりすごく好きな顔だな) 「名前、渉くんっていうんだ?」 「須永渉です。安曇さん、下の名前は?」 「……(みどり)。女の子みたいで笑っちゃうだろ」  早口で言い、視線を逸らして一息にグラスを煽る。どうやら照れているらしい。 「安曇さん、耳が赤いよ」 「うるさい」  さっきまで大人然としていた横顔が、途端に親しみやすいものに変わる。  かすかに色づいた項に誘われて、テーブルの上の、男のものにしては繊細な手をそっと握った。
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