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「まずいな、めちゃくちゃまずい……」 「ちょっと、仮にも飲食店で不穏なこと呟かないでくれる?」  テーブルを指でコツコツと鳴らされて、ハッと我に返る。どうやら心の声が漏れてしまっていたらしい。 「ごめん。ちょっと考えごとしてた」 「若いのに独り言なんていやね。今日は渉くんとは一緒じゃないの?」 「うん。大学の友達と忘年会するんだって。しばらく忙しいみたい」  夜の公園で強く指を絡められたことを思い出し、じわりと頬が熱くなる。  須永からどこに行きたいか尋ねられ、昔暮らした街を指定したのは、ほんの気まぐれだった。  懐かしむ思い出もなければ、愛着もない。だけど実際に赴くと、忘れたはずの感傷がどんどん蘇ってきた。  須永は安曇の変化に気づいていたようだが、何も聞かずに側にいてくれた。夜の工場地帯を眺めながら、本当は父親を待っていたんだろうと言われて、安曇は初めて自分が寂しい子供だったことに気づいた。  理想的な容姿をした、遊び慣れた大学生。こういう相手となら、きっと後腐れなく欲を満たせる。そう思っていたはずが、今では朝晩送られてくる他愛ないメッセージを心待ちにしてしまっている。いっそ体が目当てだと言ってくれたらスッキリするのに、セックスはおろかキスさえろくに仕かけてこない。 「年寄りぶるつもりはないけど、若い子が何考えてるのか本気でわからない。からかわれてるのかな、俺」 「渉くん、いい子じゃないの。遊んでるのかと思えば、案外そうでもないみたいだし。少なくともこれまでのどの相手よりいい男なのは間違いないわよ」  長いつき合いだけあって、勇ママは安曇の男を見る目のなさをよく知っている。クローゼットゲイの安曇にとって、つき合っている男への愚痴や泣き言を聞いてくれるのは勇ママしかいなかった。 「安曇ちゃんがまともな恋愛をしてくれるなら、相手は誰でも大歓迎よ。それに渉くんが側にいてくれれば私も安心だし」 「心配性だな。俺、そんなに頼りない?」  笑って答えると、勇ママは困ったような顔つきで口を噤んだ。 「何? どうかした?」 「これは言おうかどうか迷ってたんだけど……心配だから言っておくわね。ここのところ毎日のように佐々木さんが店に来るのよ。多分安曇ちゃんに会いに来てるんだと思うわ」  その名前を耳にした途端、背中に冷たいものが走る。着信拒否をしてからはすっかり鳴りを潜めていたので、てっきり諦めてくれたものだと思っていた。 「佐々木さんがどうして今頃……」 「そりゃ未練でしょ。向こうの頭が冷えるまで、ここには一人で来ない方がいいかもしれないわね。これ飲んで今日はもう帰りなさい」  サービスだというホットミルクを飲み、勇ママに礼を言って店を出る。駅に向かって歩き出すと、何分もしないうちに雨粒がアスファルトを濡らし始めた。
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