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「碧さん……? なんでこんなとこに……」 「こんばんは、偶然だね。ちょっとこの近くに用があって、でももう帰るところなんだ。君たちはこれから?」  彼の視線が須永から野宮へと移る。須永は野宮の腕を取り、華奢な体を無理やり引き剥がした。 「ちが……っ! これはそういうのじゃ――」 「よかったらこの傘使って。俺は折り畳みも持ってるから。じゃあね、須永くん」  差していたビニール傘を野宮に手渡し、にこやかに手を振って駅方面へ歩き出す。名前を呼んだくせに、安曇は須永を見ようとしなかった。 「いい人だね。イケメンだし。年上みたいだったけど、須永くんの知り合い?」 「……ごめん。悪いんだけど一人で帰ってくれる?」 「えっ⁉ ちょっと、須永くん⁉」  その場に野宮を残し、安曇の背中を追いかける。折り畳みがあると言っていたくせに、彼は傘を差していなかった。 「碧さん! 待って!」  聞こえているはずなのに、彼は足を止めもしない。須永はチッと舌を鳴らして、逃げる安曇の腕を捉えた。振り払おうとするのを抑え込み、シャッターの下りた店の軒下へと引き込む。 「痛い。腕、離して」 「乱暴なことしてごめん。でもこうでもしないと、碧さん逃げるでしょ?」  安曇がゆっくり振り返り、須永を見上げる。細い髪から雫が滴り、形のいい額を濡らした。 「別に逃げてない。帰るところだって言っただろ」 「偶然なんて嘘だよね? 本当はわざわざ俺に会いに来てくれたんでしょう?」  安曇には例の炉端焼き店で忘年会をすると伝えていた。安曇の勤める学習塾はここからは離れているし、こんな時間に学生街に用があるとも思えない。 「俺に何か話があったんじゃないの?」  安曇の瞳がゆらりと揺れた。あまりいい話ではないような気がして、腕を掴む手に力がこもる。 「今日止まり木に飲みに行ってたんだけど、店を出たら佐々木さんがいて……」 「佐々木って、しつこく電話かけてくるって言ってた……? まさか何かされたの⁉」  思わず声を荒らげると、安曇が怯えたように何度も首を横に振った。 「これまでのことを謝ってくれただけだよ。俺とのことは気の迷いだった、やっぱり自分には家族より大事なものはないって」 「は……、なんだよそれ」 「うれしかったよ。心底よかったと思った。他人の家庭を壊さないで済んだって」  強がりではなく、それが本心なのだろう。安曇の顔は穏やかだった。 「君は女の子とつき合える人だったんだね」  静かな口調で告げられて、頭からサッと血の気が引く。間の悪いことに、駅前での野宮とのやり取りを聞かれてしまっていたらしい。 「それは――、黙っててごめん。でも」 「あの時、君は俺に興味があるって言ったよね。俺もそうだったから受け入れた。……だけど、俺たちはもう会わない方がいいと思う」  予想もしなかった言葉に、息が止まるほどショックを受けた。  動揺しているのは自分だけで、安曇はあくまで落ち着いた態度を崩さない。彼との温度差が何よりも辛かった。 「ちょっと待ってよ。どうして急にそうなるの? ねえ碧さん、俺の話を聞いて」 「俺はノンケとはつき合わない。佐々木さんとのことだって、彼に家族がいるって知ってたら寝たりなんかしなかった。同じ間違いを繰り返すほど、俺はバカじゃないよ」  安曇が須永の手を腕からそっと外し、何も言わずに軒下から出て行く。須永が名前を呼んでも、彼が振り返ることはなかった。  雨粒がアルミ製の屋根を叩く。さっきよりも雨脚が強くなったらしい。  こんな日に安曇を一人にしたくない。側にいられないのなら、せめて濡れた髪を拭いてやればよかった。振られたばかりのろくに回らない頭で、須永はそんなことを考えていた。
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