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「でね、彼ってば私の前で絶対スマホ見ようとしないの。電話かかってくるとすぐどっか行くし。疑えって言ってるようなもんだよ」
目の前で揺れる長い髪と、腕時計を交互に見やり、安曇は小さく溜め息をつく。もうかれこれ三十分以上、ノロケだかなんだかわからない与太話につき合わされていた。どうやら質問というのは口実だったらしい。
「質問がないならもう帰るぞ。彼氏の愚痴なら友達にでも聞いてもらいなさい」
「安曇ちゃん、冷たい! 生徒の悩み聞くのも塾講の仕事のうちでしょ」
「悩み、ね……」
勉強の悩みならともかく、恋愛相談まで請け負う塾講師なんて聞いたこともない。とはいえ、一応悩んでいるらしい生徒を無下にはできず、出番のなさそうなテキストを閉じて、騒々しい女子高生と向き合った。
化粧をしていても、ふっくらとした頬や丸い瞳には年相応の幼さが見える。こんな子供が、不誠実な男の言動に振り回されているのかと思うと、見たこともない彼氏に対して無性に腹が立ってくる。
「何よ、急に黙り込んで」
「真面目な話、自分を一番に思ってくれないような男とつき合うのはやめた方がいい。女の子なんだからもっと自分を大事にしなさい」
女子高生が虚を突かれたように目を丸くする。そこでようやく自分の失敗に気がついた。
彼女は助言や同情が欲しかったわけじゃない。ただ誰かに話を聞いて欲しかっただけなのだ。
「……なんか意外。安曇ちゃんってもっとクールな人かと思ってた。熱いことも言うんだね」
「失言だった、忘れて。それよりいい加減帰れよ。女子供が出歩いていい時間じゃないぞ」
「何それ。女子供とかって、めっちゃウケるんだけど!」
勝手な子供は、人のことを爺臭いと散々笑った後、迎えが来たからと帰って行った。
「なんだよ、やっぱりノロケなんじゃないか」
手をつないで歩く睦まじい姿を窓から見下ろし、思わず苦笑が漏れる。
一回りも年下の女子高生がいっぱしの恋愛をしているというのに、自分ときたら特定の相手も持たず、フラフラしている。いい歳をして本気で誰かを好きになったこともない。
(そういやあの時の彼、どうしてるかな)
あれから身の回りが騒がしくなってしまい、店には一度も顔を出せていなかった。行けば勇ママから吊るし上げを食うのはわかっているし、彼にまた会えるという保証もない。
(それに、さすがに今は浮かれた気分にはなれないんだよな)
安曇はテキストの下に埋もれていたスマートフォンを引っ張り出し、起動ボタンを押した。
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