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ロック画面にズラリと並んだ着信ありの表示を目にして、再び電源を落とす。わざわざ画面を開いて確認するまでもない。しつこい電話の相手は、ひと月前に一度だけ寝た男だ。
週末、いつものように「止まり木」を訪れ一人で飲んでいたところ、あの男に声をかけられた。見た目は好みだったし、一緒に飲んでいる間もたまに上の空になるところがいかにも遊び慣れてそうでいいなと思った。
営業職らしく話し上手で、体の相性も悪くなかった。できれば次の約束を取りつけたいと思っていたのだが、男が実はノンケで、家庭持ちの身だとわかり、結局連絡先も交換せずに別れた。
だから知らない電話番号から着信があった時は、まさかあの時の男だとは思いもしなかった。名前を告げられても、しばらく誰だかわからなかったほどだ。
男は突然の連絡を詫びた後、安曇がシャワーを浴びている間にこっそり連絡先を調べたこと、安曇のことが忘れられず、思い余って電話をしてしまったことを訥々と語った。今になって自分のセクシャリティーが揺らいだことにひどく戸惑っている、一度会って話を聞いてほしいと懇願されて、仕方なく会う約束をした。
自分が社会的マイノリティーだと認めるのは勇気がいる。安曇自身、ゲイだと自覚した時には動揺もしたし、それなりに悩みもした。
仕事も家庭も持つ大人の男が、出来心でこっちの世界に足を突っ込んでみたら、うっかりはまってしまったと聞けば、同情もするし、少しばかり責任も感じてしまう。
だが結果的に、安曇は男に会ったことを後悔した。男は待ち合わせ場所を訪れた安曇を強引に車に連れ込み、一方的に責めたあげく、同意もなくことに及ぼうとしたのだ。
のしかかってくる男の体を突き飛ばし、車のドアを乱暴に閉めてその場から逃げ出した。数時間おきに電話がかかってくるようになったのはそれからだ。
あんまりしつこいので、職場の人間と友人には用がある時はPC宛にメールを送るようお願いし、スマートフォンの電源を落とすことにした。逃げても問題の解決にはならないが、あれこれ思い悩むのも億劫だった。
大抵のことは受け入れられる安曇だが、ノンケと家庭持ちだけは別だ。
恋愛なんて誰かを悲しませてまでするものじゃない。浮気性だけど優先順位を間違えない。安曇のことなど簡単に切り捨てるくらいの男がちょうどいいのだ。
目を閉じると、闇の中に蛍光灯の形がくっきりと浮かび上がった。雨が降り出したのか、頭の奥が鈍く痛む。
昔から雨が降る日は頭痛がした。ついでに思い出したくないことを思い出しそうになり、安曇はあわただしく荷物をまとめて、無人の教室を後にした。
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