色褪せる

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 どんなやつに不味いと言われても、ぼくの心は揺らがない。でも、当の本人に不味いと言われてしまっては……それを愛していたぼくの気持ちはどうなるのだろう。  あれは、不味いコッペパン。  安さだけが取り柄のパン。人気のないパン。もう棚に並べる価値もないパン。存在する必要のないパン。誰にも求められていないパン。  昔の記憶が、ぼくにとっての価値が、一気に色褪せてしまう。  あの店が人気店となって、本当にめでたいことだと思う。たくさん努力を重ねて、素晴らしい味のパンを作っているのだとも思う。  それでも、彼女だけは、過去のものを否定しないでほしかった。  たった一言で、ぼくの思い出は死んでしまった。  あんなもの、一体何が良かったのだろう。 「……やっぱり、来るんじゃなかったな」  忘れていた方が幸せだった。  思い出は、思い出のままにしておくべきだったんだ。  ぼくがあれを愛していたことも、すべては無意味だったのだろうか。    生ぬるいため息を吐きながら、ゆらりと立ち上がる。  前方から吹く秋風が、ぼくに染み付いたパンの香りを拭い去っていった。
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