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「ずっと赤字が続いておりまして……それに、駅前のお店、あるでしょう? 大抵の方はあちらに行かれるので……一応打開策としてあれこれ商品を作ってみたのですが、そろそろ潮時かもしれませんね」
「……」
眉を下げて微笑む奥さんに、ぼくは何も言うことができなかった。悲しさや無力感、哀れみ……様々な感情があまりにも一気に湧き上がり、それらを処理することができなかったのだ。
何とか励まそうと思ったのだが、どうにも気の利いた答えを出すことができなかった。こういう時にバッチリの回答を出せる人間ならどれほど良かったことか。結局まごまごした末に「あっ……そうなんですかぁ」という不甲斐ない言葉を絞り出すばかりだった。我ながらしょうもない返答だ。コッペパンで殴られても文句は言えない。
愛すべきパンを眺める。いつまでもこれを味わえるものだとばかり思っていた。違う。永遠に続くものだとありはしない。形あるものはいつか必ず砂になってしまう。どんなに美味いものも、不味いものも、いつかは必ず消えてしまう。
受け取りたくなかった。これを受け取ってしまえば、次ぼくが訪れた時、もうここはないかもしれない。何事にも始まりと終わりが存在する。終わりを否定していれば、それが訪れることはない。
そんなぼくの心境を察してか、奥さんは子供を諭すように言った。
「確かに残念です。でも、自分たちで決めた道なので後悔はありません。パンでお客さんを幸せにする、それが私たちの夢でした。やりたくもないことをやっていたなら多少悔いも残るかもしれませんが、これは好きなことですから。いつもご贔屓にしていただいて、ありがとうございました」
そんなことを言われると、ますます切なくなってしまう。しかし、ぼくが何かしてあげられる訳でもない。今のぼくにできることは、ただ、そのコッペパンを受け取ることだけだった。
「……また、来ます」
去り際、ぼくはそう言い残した。奥さんは丁寧に頭を下げ、客を見送ってくれた。
ベンチに座り、コッペパンをかじる。相変わらず愛想の欠片もない味。あの夫婦とは大違いだ。
それでも、ぼくはこれを愛していた。あの店を愛していた。あの夫婦を愛していた。
他の人たちからすれば、駅前の立派なパン屋に比べるとみすぼらしい店なのかもしれない。全体的な味のレベルも、正直かなり劣っているだろう。それでも、ぼくはこの店が好きだったんだ。
潰れてほしくないな。
「……美味い」
ちびちびと、味わうようにコッペパンを食べる。
あの店が潰れてしまうことがただただ残念で、なかなか喉を通ってくれなかった。
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