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「すみません……つい興奮してしまって。ひとまずあがって、落ち着いてから話しましょう」
「……嫌だ」
「……え?」
「何も話すことなんてない」
「どうしてですか……?」
「……お前には関係ない。もう俺に話しかけんな」
冬馬が忙しいあいだ、ちゃんと待っててやればよかった……とか、あのときちゃんと必死で謝って、泣きながらでもすがっておけばよかった……とか。今まで何度後悔したかわからない。
やっと忘れられたっていうのに、もうこれ以上思い出したくない……。
「関係ないってどういう意味ですか?」
「……離せ。触んな」
「僕はまだ夏樹さんの彼氏のはずです」
「……は? 何の話?……つーか『夏樹』って誰?……お前のことも知らないし、さっさと離さないと殴んぞ」
「今度は僕を『知らない』……ですか。ひどいですね」
「……そうだよ……『夏樹』はひどくて最低な奴だから、もうこの世から消えた。……本当にここがお前の実家だっていうんなら出て行くよ。板長と女将には世話になったし、いきなりで悪いけど……」
「……電話するたび、父と母はいつも嬉しそうに夏樹さんの働きぶりを語ってくれました」
「……え?……あぁそうか。板長がお前の父親で、女将が母親なわけね……」
「はい。……決してふざけていたわけではありませんが、さっきは自分本位な発言をしてしまいすみませんでした……」
へぇ……あの冬馬が『自分本位』なんて言葉を。まぁ三年も経てば変わるのは当然か……。
「夏樹さんの居場所を奪うつもりはありません。……今の夏樹さんにとっても僕がいらないのなら、もうここには帰ってこないと誓います」
「……いいよ、気つかわなくて。お前の実家なんだろ」
「いいえ、夏樹さんこそ気をつかわないでください。……もともとここを継ぐ気はなかったんです。夏樹さんがいるから帰ってこようなんて虫がよすぎました。僕は東京に戻って医師にでもなります」
『医師にでも』って。相変わらず嫌味な奴だ。悪気はないんだろうけど……。
「……だから言ってください。僕がちゃんと、死ぬほど傷つけるようなことを……」
いつか俺が冬馬に言った言葉だ。
そうか……俺が言わなきゃならないのか。冬馬から逃げたのは俺だから……。
「今の俺にとっても……ってどういう意味?」
「謙人さんがそばにいない夏樹さんにとっても……という意味です」
「……あぁそう……結局ぜんぶお前の思い通りってわけね」
「……え?」
「仕事もなくなって、謙人もいなくなって……ていうかもう誰もいない。お前の親しか」
「それは本当に偶然です」
「はっ、どうだか……」
だけど今さら、俺にはもう怖いものなんてない……。
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