七・転機

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七・転機

 梅雨入り真っ只中の六月下旬。圭人の通う大学では、他の学校よりも先駆けて祭事が開かれる。奇跡的に五月晴れとなり、晴天に恵まれ嘘のように空気が澄み切っていた。時節柄、曇天は避けて通れないだろうと予報されていただけに、嬉しい誤算だった。突然の快晴に人の入りも好調のようだ。  二日間の日程で開かれる祭の一日目。今ではすっかり定番になっている、ミスターコンテストとミセスコンテストが開催される。もちろん圭人もエントリー済みだ。男子の部は初日の午前中に行われ、開票は午後に予定されている。 「あ、大河内くん。ねーねー、ミヤ見かけなかった?」 「ん……? 今日はまだ会ってない。僕に恐れをなして逃げ出したのかもなっ」  思わず悪役のような言い回しになる。この日のためだけに神部に頼み込み、コーディネートや髪型のアドバイスをもらっていたので自信満々だった。 金髪に染めていた髪の毛を一日染めで黒に戻し、自由に遊ばせた毛先には癖をつける。定番になりそうなアイテムを敢えて避け、別の方面を目指していた。 兎の耳がついたシルクハットに、黒のワイシャツと白のベスト。下半身には七分丈の黒いスラックスを穿き、足元は白いブーツだ。コンセプトは不思議の国のアリスに登場する時計ウサギだ。懐中時計も持っている。 「確かに大河内くんも上位に食い込むと思うよ? だけど自薦だし、おれはミヤを他薦して景品のお零れをもらおうと……」  だが、岡野の〝上位に食い込む〟という言葉のみ脳内で何度も再生され、圭人は話しを聞いていなかった。擦れ違う度に写真をお願いされるので、すっかり優勝した気分に浸っている。 「なんで頑なに拒否したのかな……三連覇がかかってたのにさ。なんかあったのかな」  しかし今日の圭人の耳には、自分に都合のいいことしか入らない。岡野はそんな圭人にやれやれ、とは感じながらも見守っている。 「今から午後の発表が楽しみで仕方がないんだ。だけど、こうやって歩いた方が票を狙えるからって言うから、構内を行ったり来たりで忙しい」 「なるほど。途中でミヤに遭遇したら、連絡くれるように伝えてほしいんだけど……」 「ああ、分かった。会うようなことがあれば伝えておく」 「珍しく素直だね……ま、いいか頼んだよ。じゃあ、おれは彼女が妹と来ているらしいから挨拶してくるね」  妹の先輩と合コンをしたあと、何度かご飯に誘った話は聞いていた。まだ付き合っているわけではないが、いい感じなのだと笑顔で報告を受けている。 「あのーすみません。お写真いいですかァ?」  いそいそと去る背中を見送っていると、二人連れの女性に呼び止められた。了承すると、嬉しそうに歓声を上げられ気分もよくなる。 「ああ、構わない」 「やったー、ありがとうございます!」  通行人の邪魔にならない位置まで移動し、一人の写真と三人の写真を複数枚写してから別れる。人気は上昇中のようで、今までの学際の中で一番楽しんでいた。  それから一時間ほど似たような対応を繰り返していると、圭人のスマートフォンにメッセージが届く。 『ミヤが見つかったから学食で昼飯なう』  そろそろ十二時を回ろうとしていた。休憩するには丁度いい頃合いだ。発表は二時からなので昼食を取る余裕がある。着替えもせずにそのままの格好で向かうと、ライバル視している友宏と岡野が、様々な食べ物を目の前に並べていた。 「そんなに買ったのか?」  焼きそば、焼き鳥、お好み焼き、たこ焼き、カレーライスに、フライドポテト、からあげ、フランクフルトと縁日で販売してそうなラインナップが連なっている。他にもリンゴ飴、わた飴、ポップコーンまであった。全て生徒が格安で販売しているものだ。 「違う違う。ミヤと一緒に歩いていたら、男女関係なくくれるんだよ。人徳だろうね」 「そんなのないって。ただ、味見してくれって渡されただけだ」 「そんなことないと思うけどな。あーあ、なんでミスターコンテストにエントリーしなかったのかねェ」  随分と歩いたが、圭人は誰からも食品をもらうようなことはなかった。この差は一体なんなのか、首を傾げるも思い浮かばない。 「給料日前とかで物乞いでもしたのか? 庶民は大変なんだな」  悩んでも分からなかった結果、見当違いの発言が口から飛び出す。圭人がお坊ちゃんだということを知っている人間でも、普通の人ならば気分を悪くする言葉だろう。岡野は思わず苦笑している。  しかし付き合いが長いため、友宏は怒ったりはせずに軽く笑って見せた。 「残念ながら給料日は昨日だったから、金欠じゃない」 「なんだそうなのか。うーん……じゃあ、どんな理由なんだ?」  本気で悩んでいる素振りが楽しいのか、友宏はクツクツ笑っている。普段ならば、笑われただけで憤慨とばかりに文句を言っていたが、今日は気分がいいため気にならない。 「さあな、昼飯時だったからだろ。とりあえず、好きなのあったらやるよ」 「ど、どうしてもって言うんなら、協力してやらないこともないっ」 「……ったく、大河内くんは相変わらず素直じゃないね~」  ほしい、とは意地っ張りな性格の都合上、絶対に口にはしたくないので返答が上から目線になってしまう。顰蹙を買ってもおかしくはないのに、慣れというものは人の心を寛大にするらしい。それすらも熟知されているため、大して問題ではなかった。  汚れないよう配慮してなのか、好物の焼き鳥ではなく焼きそばに手を伸ばす。岡野はカレーライスを食べ始め、友宏はたこ焼きを突く。三人はそれなりに目立つのだが、昼食を食べている最中はみな遠慮しているのか、遠回しに見守られているだけだ。その隙に食欲を満たそうと、各々好きな物を咀嚼している。 「しかし目立つな、その恰好」  動かしている指先を止めると、圭人はパッと顔を上げた。 「そうだろう? 僕も気に入ってるんだ、この格好!!」  咥内のものを飲み込んでから誇らしげに自慢する。友宏は、圭人の反応に愉快そうに目を細めた。心なしか、普段見せている意地の悪い表情をしていないので、居候を解消した際のよく分からない怒りはようやく治まり、機嫌が直ったのだろうかと、圭人は思い込む。 「女子供が好きそうな童話みたいだな」 「うん。女子はなにがテーマなのかはっきり分かる方がいいって、神部からアドバイスされてこうなった。題材を選んだのは僕だけどなっ」 「その神部とかいうヤツと、お前は二人きりで頻繁に会ってるのか?」  神部という名前が口から飛び出すと、なにかを察知したのか友宏の眉根がぴくりと動く。そんな小さな変化に圭人は気づくはずもなく。予想外のおうむ返しに、小首を傾げて不思議そうにしている。 「……え? いや、まだ二回目とかだったはずだけど、それがなんだ?」  人を疑うことを知らないので、聞かれたまま素直に答えた。 「いや、いい。てっきり俺ら以外にも喋るやつができたのかと。確認だな」 「ふうん? 別に宮と岡野以外でも、挨拶を交わすことはあるぞ」  隣で一生懸命盗み聞きしていた岡野が、なぜかいきなり吹き出した。友宏から肘鉄を食らい戒められるも、笑いが止まらないのかカレースプーンを握ったまま震えている。 「こら。カレー以外も食べたいんなら落ち着け。な?」  そんな様子に呆れたのか、友宏はハアと溜め息を吐いた。岡野が食べたがっている焼き鳥を、目の前でキープしているにも関わらずしかめっ面した友宏が取り上げる。まるで小学生時代に戻ったようだ。圭人はそんな二人を視界に入れながらも、空腹の方が勝るので残りの焼きそばを平らげている。 「ご……ごめんって!! なんでこんなに露骨に分かり易いのに、伝わらないのかなって思っただけだから」 「逆に鋭かったら、今まで何年も一人身じゃないだろ」 「ま、そうだよね。鈍いせいで、今まで何度もチャンスあったのに逃してるし……そっと教えてあげてもいい?」  張本人には聞こえないようにこっそり耳打ちしたので、今度は不気味なくらいの満面の笑みを浮かべた。意地の悪いものではなく、完全なる作り笑いだ。友宏の本性を知っている岡野からすれば、恐怖以外のなにものでもないはずだ。 「――絶交してやってもいいけど?」 「わー嘘だって。もう黙るから、ね? その顔やめてくださいっ」  食べ物を奪ったり、奪い返されたりを繰り返している二人を目にしているとなんとなく面白くなかったので、無視した。 「それではお待たせいたしました! これより、ミスターコンテストの結果発表に移りたいと思います!」  司会・進行役を務める実行委員の女性が壇上へ上がり、会場内を盛り上げようと躍起になっている。片手でマイクを握りトークをしながら、空いたもう片方の手で手拍子を求める。とても器用に盛り上げていた。圭人はそんなことよりも早く結果が知りたくてうずうずしている。 「まずは第三位から!」  ライトアップが一斉に消され、ドラムロールが流れる。観客たちの歓声が一際大きくなり、会場内は最高潮に盛り上がる。数秒続いたドラムロールが止んだところに、シンバルの大きな音が響いた。いよいよだ。 「四年生――大河内圭人くんです! 会場にいますね、壇上へどうぞ~」 「えっ」  思ったよりも早く名前を呼ばれてしまい、圭人は両目を真ん丸くした。きょとんとした表情のまま呼ばれたので、指示された通りに上がるとスポットライトを当てられる。 「今年は随分接戦で、二位と三位の差はわずか百票だったんですよ。おめでとうございます!」  集計までのいきさつを聞かされても、どう答えるべきなのか逡巡してしまう。だが、このまま黙っているわけにもいかないので、一先ずお礼を述べることにした。ショックを受けている場合ではない。 「投票してくれたみなさん、ありがとうございました! 僕は自分の順位に驚いてなにも言葉が出てきません」  もちろん優勝のつもりで挑んだので、がっかりして言葉が出なかった、の方が正しい。自信に満ち溢れていたので悔しい。  しかし、順位に落ち込んだことをそのまま発言するには、リスクがある。見ず知らずの第三者から、一方的に逆恨みをされたくないので無難な発言で乗り切った。  ミスターコンテストで栄光に輝いたのは、正統派のイケメンと呼ばれていた二年生だった。細身の長身、頭髪は茶髪に染め、ワイシャツにところどころ破れているジーンズという、至ってシンプルな格好をしている。街中へ行けば人ごみに紛れそうなくらい、どこでもいそうな雰囲気を醸し出している。そんな後輩に自分が劣っているとは思えなかった。上位に食い込めば写真を撮影され、大学構内にある掲示板やホームページなどにインタビューと一緒に掲載される。それらの用事を済ませると、日が暮れかけていた。 「…………ください!」  中庭のベンチで休憩してから帰ろうとしていたとき。缶コーヒーを呷っていると、誰かの話し声が聞こえてくる。はっきり会話は聞き取れないが、音のする方向へ視線を向けると、見知った顔が遠くに見えた。 「なにやってるんだ……? あんなところで」  呼び出されたのか、友宏と友宏よりも小柄な女子が立っていた。どこかで見たことのある、少女とも取れそうなほどの異性を目にして、とある人物が浮上してくる。 「あれ……岡野の妹か」  そういえば、学際に来たがっていると数日前から耳にしていたことを思い出す。コンテスト前のそわそわで、岡野と交わした数日間の会話の殆どは覚えていないが。 「悪い……。昔から知ってるし、可愛い妹のようにしか思えない」  無意識のうちに距離を詰めていた。聞き取り難かった会話がはっきり飛び込んでくる。 「そう…………ですよね、ごめんなさいっ」 「いや、こちらこそ、俺なんかを好きになってくれてありがとう」 「俺なんかってことはないですよ! そんな風に言ったら、ミヤさんを好きになった私に失礼じゃないですか~」 「それもそうだな、悪い」  案の定、告白されていたらしい。兄とはあまり似ずに美人と評判の少女は、まだ高校生だというのに大人びた風貌をしていた。肩まで伸ばされた髪を綺麗にカールさせ、頭にはピンク色の大きなリボンをつけている。気合いの入った格好に、よっぽど好かれているんだろうなと圭人は思った。  なんとなく胸中がモヤッとする。自分は大勢から告白され、付き合ったり別れたり、振ったりを日々繰り返しているのに、数時間前の発言はどんな意図があったのだろう。そこまで狭量な人間だとは思えなかったので、未だに分からなかった。 「また気が向いたら遊んでくれますか? あ、兄と一緒でいいんで!」 「俺で良ければもちろん」 「よかった。じゃあ、友達が待ってるんで行きますね!」  最後にはにかんだ少女は、泣きそうに歪んだ顔を隠して走り出した。盗み見をしていて申し訳ない気分になってくる。妹の姿も見えなくなったので、さて帰ろうかと、圭人が重い腰を上げるのとほぼ同時だった。 「――で、お前はいつまで隠れてるつもりなんだ?」 「え」  小さく溜め息を吐きながら友宏が振り返る。茂みに隠れていた圭人に向かって出て来るようにと手で合図した。驚いて退きそうになる。 「そこの物陰にいることは分かってるんだよ、圭人。ったく、悪趣味だな、お前は」 「な……なななっなんでっ!?」 「俺はそこまで鈍くない。伊達にモテてないんでね」 「う、うるさいっ」  本人にばれてしまっては仕方がない。少々格好悪いが、茂みから煉瓦造りの地面まで歩いた。 「それで、なんで盗み聞きなんて真似してたんだよ?」 「べ、別に、聞きたくて聞いたわけじゃ……」 「だけど俺が来たときは周囲を確認したし、誰もいなかった」  問い詰められた圭人はグッと押し黙る。偶然だが、姿が見えて移動したのは事実のため、強気に出られなかった。 「室井が迎えに来るのを待ってただけだよ」 「――また室井か」 「え?」  聞き返すも友宏は答えようとはしなかった。 「そろそろ室井さん、来るんじゃないのか?」  右手首に身につけていた時計を確認すると、あからさまに話しを逸らした。それどころか、背中を軽く押して帰るように促される。 「気をつけて帰れよ」 「え……気をつけるったって車だし、まだ連絡はない」 「それでもだよ。じゃあな」  有無を言わせぬまま裏門まで連行されると、友宏はまた大学構内へ引き返した。意味が分からない。けれど戻る気にもなれないので大人しく待っていると、ほんの数分で車は現れた。 「圭人さん、お迎えに上がりました。三位残念でしたね」  車内に乗り込むと、車を発進させるよりも先に言われてしまった。順位を思い出し、苦虫をかみつぶしたような表情になる。  しかし、ふと思い立ってみると一つの疑問が浮上してくる。 「ん? なんで優勝できなかったって知ってるんだ。まさか、こっそり見に来てたとか?」  どうしても外せない用があるとかで、今年は来訪しないことを事前に聞いていた。もしも足を踏み入れているのならば、圭人は構内を案内していただろう。去年、一昨年は時間を作ってまで一緒に回っている。 「いえ、行ってませんよ。用事は済んでましたが呼び戻されて、先ほどまで本社で雑務をこなしていました」 「そうか」  だったら母親だろうかと圭人は考える。本人が足を運ぶようなことはないが、ビデオカメラで撮影させるために、何名か社員を送り込むことがある。そこからだと順位を知っていても何ら不思議ではない。  帰り際に遭遇した友宏のことが気になりながらも、心地良い揺れに目を閉じていると、いつの間にか眠ってしまっていた。  秋分を迎える九月末。ようやく暑さも和らぎ、一段と過ごしやすい季節が到来する。  たまにはいいだろうと、誘われた飲み会に参加していた。一年の頃からお世話になっていた、大学院生である先輩主催ゆえに無下にもできず、一杯だけならとアルコールを口にする。久しぶりに飲んだビールは喉越し爽快で美味しかった。 「きゃー、みてみて!!」 「あーあ、久々に被害者が出たんだな。写真撮っとこう」  周囲がやけに騒がしくなるが、圭人は気にならなかった。グラス一杯で酔いが回ってしまい、あっという間に上機嫌になる。その気分のまま、隣で酒を勧めて来た先輩に抱きついた。たまたま見ていた岡野が止めようとするも、エスカレートする行動は止まらない。間違いが起こる三秒前――。 「お、どうした? 大河内」 「えへへ……先輩……、ちゅー!!」  にこにこ笑いながら顔を近づけると、避けられるよりも先に唇めがけて吸いついていた。驚いた先輩は、抵抗することも忘れ、されるがままになっている。それをいいことに、小首を傾げて蹂躙しようと躍起になる。 「わーキスしてる! やっぱりあの噂は本当なのね」 「大河内が酔っぱらうとキス魔ってやつ? 本当、本当」  会話を耳にし焦った岡野が引き離しても既に遅かった。 「もう……怒られんのおれなんだから、しっかりしてよ……」  そう嘆くも本人には届かない。もう一度擦り寄ったところを見た野次馬たちがまたざわつき始める。 「面白そうだからミャーくんに送ろう」  傍で見ていた女子は、鞄からスマートフォンを取り出すと、撮影していた動画を添付しているようだ。それを遠目に目撃してしまった岡野は溜め息を吐く。懸念していた通りの事態に陥ってしまいほとほと困り果てている。 「ああもう……どうなっても知らないからね」  岡野は頭を抱えると、止めることなく誰かにメッセージを送った。一旦、暴走してしまうとなかなか治まらないので、烏龍茶などを騙し騙し飲ませてこれ以上は飲ませないように見張るしかない。この症状は毎回出るわけではなく、運がいいときは泥酔してすぐに眠ってしまうので、同級生の間でしか知られていなかった。 「庇護先輩……硬直してますけど、大丈夫ですか?」 「やばい……やばいよ、岡野」 「あちゃー、そうですよね、酔っ払いに強引にキスされたらトラウマになっちゃいますよね」  同じことをされて、圭人と一緒に飲み会へ出なくなった友人を数名知っている。圭人が近づくだけで顔を赤らめて逃げられるのだ。 「違う違う、その逆……俺、男もイケるかも知れない……」 「えっ」  隣でのほほんと微笑む圭人を見て、庇護は何かを確信したように大きく頷く。 「イメチェンしてから初めて会ったけど、こんな美人だって知らなかったし、さっきだって避けられるのに、わざと避けなかったんだよ。それって、そういうことだろ!?」  な、と力説されても、岡野は同意も否定もできなかった。もしかしたら、同級生たちも新たな世界に目覚めそうになり、慌てて圭人のことを避けたのかも知れない、そう考えが行きついたところでハッとする。可能ならば気づきたくなかった。 「なァ、岡野ォ……なんで今日、ともひろはいないんだァ?」  自分で仕出かしたことも忘れ、圭人は幼馴染みに詰め寄り始める。少しずつ後退りするも、段々と距離を縮めるので壁に背中をぶつけそうだった。 「頼むから早く来てよ、ミヤァ~」  同級生たちは暴走する圭人に面白がっているし、先輩は先輩で岡野にカミングアウトしてくる。彼の災難はしばらく続く。  久しぶりに襲われた頭痛に、起きるだけでもやっとだった。薬を飲んで一日中寝ていたいが、いつもの時間に起きないことを心配してか、自室の扉をノックされる。 「圭人さん、起きてください。大丈夫ですか? もう大学へ行く時間ですよ」  返事を待たずして室井が入ってくる。その声すら頭に響いているようで、しかめっ面になってしまう。辛すぎる。  昨夜の記憶は綺麗さっぱりない。どうやって帰宅したのかも覚えていないので、室井が迎えに来たんだろうと勝手に解釈している。友宏のマンションならともかく、自室にいるので疑問にすら思わなかった。 「飲み過ぎに注意してくださいよ、まったく。昨日も送って下さったんですよ?」 「え……誰が?」 「宮さんです。また悪い癖が発動して、周囲に迷惑かけたって……ちゃんとお礼言うんですよ?」  書き置きを渡され唖然とする。そこには〝次、酔っ払ったらもう知らないからな〟とだけ書かれていた。罰が悪いので紙をくしゃくしゃに丸めると、ベッド脇にあるゴミ箱に捨てた。一言文句を言わなきゃ気が済まない。  頭痛に負けそうになりながらも、軽くシャワーを浴びてから急いだ。 「あ、岡野。宮知らないか?」  四年目の終盤ともなると、早々に通学する機会も減って来るが、まだ卒業論文がある。心当たりを探しているというのに、何故か友宏に遭遇できずに数日が経過していた。どうやら意識的に避けられているようだ。  構内では先輩である庇護とキスしてしまった話題で持ちきりになり、学食は居心地悪い場所となってしまった。酔っていたとはいえ自分で蒔いた種だ。それは仕方がない。  けれど友宏に避けられている理由が見当つかなかった。学習能力のなさに呆れて愛想を尽かされてしまったんだろうか。  しつこいくらい一緒にいたので、逆に行方を晦まされると気になって眠れない。卒業論文も捗らない。脳内を占める男の存在にほとほと困り果てていた。  スマートフォンの振動で、迎えが到着したことを察する。早歩きしていると、懇意にしてくれている先輩――庇護にいきなり声をかけられた。近寄られただけでもアルコールの臭いがする。研究室で酒盛りでもしていたのか、やけに頬が赤い。嫌な予感がするので、なんとなく後退りをして出方を窺う。 「大河内――いや、圭人」  力強く名前を呼ばれ、また一歩後ずさった。普段の柔和な雰囲気を引っ込め、異様過ぎる威圧感に怯む。 「――圭人も俺のことが好きなんだろう? そうだよな?」  自信満々にそう言われ、予想外の一言に圧倒されてしまった。人通りの多い構内で繰り広げる内容ではない。  ところが目の坐った庇護は、裏門の影に圭人を連れて行くと、壁に押しつけてキスしようとしてくる。 「やめてくださいっ!!」  ぞわぞわと背筋に悪寒が走る。泥酔した様子で迫られ恐怖以外なにも感じなかった。口元狙われ抵抗するも、噛みつくように貪られ唇をこじ開けられる。乱暴な行為に抵抗できず、酒臭い舌先で蹂躙される。 「俺はあのキスで目覚めたんだ。だからキスしたって問題はないんだ、そうだ問題ない」  男の胸を必死に押し返しているのに、寧ろ距離を縮められてしまう。友宏にされているときとはまったく違い、吐き気が込み上げてくるし、嫌悪感が勝っていた。それなのに、嫌だと言っているのに、酒に酔った男は暴走し続ける。こんなことになるなら飲み会に参加しなければよかった。 「好きじゃありませんッ……寧ろ、こんなことするんなら嫌いですッ」  手が出そうになるところを抑えている。圭人は護身術として空手や柔道を習っているので、急所を狙えば抜け出せるだろう。けれど、酔っている相手ともなれば話が別だ。寸でのところで我慢していたが、耐えきれずに頬を引っ叩いてしまった。  すると、あろうことか頬を打たれた先輩は、なぜか正気を取り戻したらしく、途端に大人しくなった。逆上されずに済んで安心したのも束の間、ことの重大さに気づいたのか、顔面蒼白になっている。  今すぐ口を濯ぎたいところを我慢し、荒くなった呼吸を整える。言葉を脳内で纏めると、圭人は声を振り絞った。 「迷惑かけてごめんなさい。でも、僕は先輩のことは好きではありません」 「じゃあ、じゃあ……宮のことはどうなんだ……」 「…………分かりません、ごめんなさいっ」  小さくお辞儀をしてから逃げ出した。追いかけられることはないだろう。室井が車から降車し、煙草を吸っている姿に一安心して泣きそうになる。金輪際、飲み会に参加するのは止めよう。誘われてもアルコールは絶対に飲まない。圭人はようやく反省するのだった。  昨日のでき事を学食にて打ち明けると、岡野に呆れられてしまった。今までの非礼を謝ると、許してくれたものの、友宏はと言うと無反応だ。脳内でとある言葉が蘇る。 『次、酔っ払ってももう知らないからな』  アルコールはあれ以来飲んでいない。怖い思いをしたからだ。  それなのに、友宏は相変わらず冷たいままだった。散々注意をされながらも、やらかすまでは自覚しなかった圭人に呆れ果て、見限られても仕方がない。そういうことを仕出かしてしまったのだ。  今更になって不安になってくる。十数年もの間ずっと一緒にいたのに、大学を卒業間近になって仲違いしてしまうとは思わなかった。口では嫌だとは言いつつも、自分たちの関係は揺らがないものだと恐れてすらいなかった。それが当たり前だと気にも留めなかった。  食欲が湧かなくなる。講義が終わっても沈んだままでいると、それを見かねた後輩が、甘党だと知っているためにチョコレートを差し入れてくれた。 「これ美味しいんでおすすめですよ」  だが、そのチョコレートの中にはウィスキーが入っていた。人間、酔うと素直になれることもある。迎えを頼むことなく、ほろ酔いのまま友宏のマンションへ向かった。 「…………どうしたんだ? 一体」  自分でも分からない。ただ無性に顔が見たくなって衝動に駆られて訪れていた。 「おい……圭人?」  言葉もなく玄関先で抱きつくと、戸惑っている友宏に引き剥がされそうになる。だが、ここで離れてしまうと、余計なことを言ってしまいそうで更に腕に力を込めた。 「会いに来た……友宏に」  そう正直に打ち明けると、言われた張本人は両目を見開いた。ここまで動揺する姿はあまり目にしたことがない。なんとなく嬉しくなって笑顔になると、引き寄せられるように自ら口づけしていた。そこに気持ち悪さはない。身体が高揚している。 「…………いいんだな?」 「……うん」  何度か眠ったベッドに押し倒されると、記憶が曖昧ながらも抱かれていた。  翌朝。小鳥の囀りと、誰かが歩いているのか足音で目を覚ます。なんとなく懐かしさを感じつつも少しずつ覚醒すると、気分は最近ではないくらい爽快だった。久しぶりに清々しい朝を迎える。  けれど身じろごうとしたときに、今までとは違う鈍痛を感じて青ざめた。微量のアルコールは抜けて素面に戻ったのだ。自分の記憶を遡ろうにも、大学でチョコレートを食べたこと以外なにも覚えていない。またやってしまった。 「ま、まさか……僕になにかしたのか!?」  身体の痛みの原因は一つしか考えられない。とうとう友宏と一線を越えてしまったのだろう。動揺を隠しきれずに開口一番で責めると、深く長い溜め息を吐かれた。 「圭人と寝たのは間違いだった」 「え……」 「帰ってくれ」  冷たく言い放たれ、脱いだ洋服を胸元に押しつけられると、寝室から追い出されてしまった。手を出されたのは圭人だ。突っ込まれてしまったのだ。だが、数週間前に先輩相手にやらかしているだけあり、なにも言い返せなかった。大人しく服を着込んで帰るしかなかった。  帰宅途中、スマートフォンからメッセージアプリの通知音がする。相手は先ほどまで一緒にいた友宏だ。内容は気になる。でも開きたくない。恐る恐る目を通すと、圭人は絶句した。 『俺は金輪際、お前には近づかない』  目に飛び込んで来た文面にショックを受ける。ついに愛想を尽かされてしまったのだ。端末を握りしめたたまま、しばらく放心状態に陥っていた。  それから数日間。有言実行と言わんばかりに、以前避けられた以上に友宏と顔を合わせなくなってしまった。遠目に歩く姿を目撃しても、こちらに気づいて方向転換してしまうのだ。こうなってしまえば、頼みの綱は共通の友人である岡野しかいない。けれど、そんな岡野ですら掴まらないんだと嘆いていた。  圭人や岡野と行動しなくなった友宏は、代わりに女子と二人で行動するようになった。手作り弁当らしきものを食べて、仲睦まじさを目撃してしまい、理由もわからないのに胸が痛んだ。食欲が激減してしまった。 「どうしたの? 大河内くん。最近全く食べているところを見ないんだけど……」  普段ならカツ丼の後にうどんなど、一度に二食は平らげるのに、一食すら残すようになったので心配される。細身の割に大食漢だとよく言われていた。だが、今は全く食べ物を受けつけないのだ。 「お腹が空かない……ここがずっと痛くて」 「胸が痛いの?」 「ああ……原因が分からなくて困ってる。悪い病気なんじゃないだろうか」  素直に打ち明けると、すぐに分かったのか岡野は優しく微笑んだ。その笑みの意味が理解できない圭人は首を傾げる。 「それってさ、恋じゃない?」 「え……どういうことだ。僕は今までに何度も告白してるけど、痛んだことは一度もないぞ?」  振られてしまった回数は軽く二桁を超えるだろう。恋なら沢山してきたはずだ。 「今までは好きじゃなかったけど、好きだって思い込んでたんじゃないのかな。花嫁作るって目的だったしね」  恋煩いしているんだよと指摘される。 「これが恋……なのか?」  経験豊富だと思い込んでいたはずなのに、確証が持てなかった。今までは結婚しなければならない、という義務だけで突き進んでいたので、そこに胸の疼きは存在しなかった。  だが今は痛い。とてつもなく苦しい。自分の意思とは裏腹に溜め息が止まらない。それらの症状を岡野に伝えると「ようやくわかったんだね」と言われた。  ──そうか、これが恋……だったのか。  秘められた想いを自覚するまでが遅すぎた。もう少し早く気づいていれば、友宏を幻滅させずに済んだだろうか。何かしていないと沈んでしまいそうだった。卒業論文と睨めっこをしていても、脳裏に浮かぶのは一人のみ。これでは終わらせられるものも終わらせられない。  岡野に感謝をすると、このまま卒業したくなかったので自分から行動することにした。   自分の想いに気づかされてから三日目。相変わらず避けられているので、酔った振りをして謝る作戦を思いついた。この前はそれで初めて一線を越えられたので、アルコールを飲んだ振りをしてインターフォンを鳴らす。居酒屋のバイトは辞めたことを知っていたので、施錠は直ぐに外された。 「……なにしに来たんだ。もう金輪際、関わらないと言ったはずだろ。帰れ」  彼女が出て来なかったので一安心する。玄関をちらりと覗いても、婦人物の靴は見当たらない。 「あ、遊びに来ちゃ悪いのか?」  友宏の問いかけには答えずに、遊びに来たのだと素知らぬ顔で主張する。 しかし素面だと気づかれているのか、自ら抱きつこうとするも交わされてしまった。力強く引き寄せられることも、押し倒されることもない。不審がられるだけだった。それもそのはず。圭人は自身が酔っているときの記憶は一切ないので、演じようとしても無理がある。勘の鋭い男にはつけ焼刃は通用しなかった。  いつの間にか番号を交換していたらしき室井を呼ばれて帰される。迎えが来るまでの間、近所で見つけた喫茶店で待ちながら、圭人は人知れず落ち込むのだった。  紅葉が色づき始め、一段と秋が深まる霜降の頃。寒い地域だと霜が降り、関東でも上着が手放せないくらい気温が下がる日がある。  あれからすっかり覇気を失った圭人は、あまり大学に顔を出さなくなった。柄にもなく落ち込み、日に日に痩せて行く。数ヶ月振りに帰宅した母親が驚くほどだった。  そんな矢先、圭人にお見合い話が浮上する。とてもじゃないが会食できるほどの精神ではないというのに、塞ぎ込んでいる理由は女性に振られたからだと勘違いされた。  一度思い込んでしまうと、有言実行と言わんばかりに席を設けるのが圭人の母親だ。人の話しをあまり聞かないところが似ている。本人の気持ちもお構いなしに、一人で勝手に進めていた。  そんなこんなでお見合い当日。動く気にもなれず、待ち合わせの時間ぎりぎりまで自室で過ごしていた。どうにか中止にならないかと祈るも、願い空しく室井に呼ばれて屋敷を後にする。 「……元気がないですね……」  仕事ではない、プライベートの顔をして室井が心配している。公私混同しないタイプなので珍しい。  そんな室井と車で向かう途中、敷地内を出てすぐのことだった。誰かを轢きそうになったのか急ブレーキをかけられる。普段の圭人なら文句を言っているところだが、今はまだ向かいたくなかったので黙っていた。 「……宮さん」 「えっ…………!?」  予想外の人物の名に、圭人は自分の耳を疑った。自分に都合の良い空耳かも知れない。  しかし慌てて視線を向けると、恋焦がれている人物そのものだった。安否が気になり車外へ飛び出すと、尻もちをついただけのようで無傷の姿に安堵する。だが、万が一の事態を考えた圭人は叱咤した。 「なに考えてるんだよっ、バカ! 一歩間違えれば轢かれてたんだぞ!?」 「……悪い」 「取り合えず、車に乗って。ここじゃ本当に轢かれるから」  そう促すと、素直に乗り込んだ友宏は、圭人の隣に座り罰が悪そうに頭を掻いている。もちろん、轢かれた訳ではない。車を止めようとして前に出ただけだ。  どうして突然会いに来てくれたのか、その理由を知りたい。考えていることを洗いざらい打ち明けてほしい。けれど、真相を知りたいのに、その真相を本人の口から聞くのは怖い。また拒絶されないとも限らない。突き放されるかも知れない。そう思うと手が小刻みに震えて、なかなか発せられなかった。  友宏も友宏で無言を貫いていた。そんな二人の沈黙を破ったのは、ゆっくり車を走らせていた室井だった。 「いやー俺としたことが、宮さんをうっかり轢いてしまうとは。これは早く病院に連れて行かなきゃ、首になっちゃうかもな」  わざとらしい室井の独り言に、圭人と友宏は目を丸くする。車に轢かれそうになったものの、運動神経がよい友宏は無傷だ。傷一つない。  二人を心配した室井が、気を遣って助け舟を出してくれたことに感謝した。 「そうだそうだ、病院に行かなきゃ」  わざとらしく真似した圭人は、スマートフォンを手に取り電源を落とすと、端末を後部座席に投げ捨てた。お見合い会場では相手の女性や母親らが今か今かと待ち侘びている。催促の電話が何度か着ているので、もう既に先方も到着しているのだろう。  しかし車はホテルへ向かうことなく、友宏が住むマンションを目指していた。 「悪いな……室井。でも、僕に加担してしまったら解雇されないか?」  逃亡の片棒を担がせてしまったことを、圭人は素直に謝罪する。雇い主は父親ゆえに簡単には辞めさせられないものの、今回ばかりは罰則が発生する可能性もある。 「私のことは心配せずとも大丈夫ですよ。口八丁手八丁は得意ですから。クビになっても、技術はあるので働き口はすぐ見つかります」 「恩に着ます、室井さん」 「圭人さんがこんな状態なのは、宮さんが原因なんですよね? 元通りにしてくれればいいです」  お礼を告げてから二人で下車すると、真っ直ぐ友宏の住むマンションに移動した。 「どうして今日になって会いに来てくれたんだ?」 「…………」 「包み隠さず本当のことを教えてくれ」  ソファーに腰かけ懇願すると、観念したのかさっそく切り出した。 「……岡野に聞いたんだよ、見合いするって。それでいいと思った。お前は結婚して後継者を残さなきゃならないから、遅かれ早かれこうなるんだって」 「うん」  ようやく隠していた本音をぶつけてくれた。ずっと好きだったこと、飲酒してキス魔になるたびやきもきしていたこと、先輩に襲われたと聞いて腹が立ったこと。  岡野に見合いの話しを聞き、ついにきたかと覚悟していたらしい。圭人の立場は長年、共に過ごしていたので十分理解している。一人息子ゆえに女性と結婚し、いずれ子供を授からなければならないことも。  だが、自分以外と一緒にいる姿を目にするたびに、おぞましいほどの嫉妬心に駆られ、どうしようもなかったのだと打ち明けられる。長年、悩んでいたことを聞かされる。  もちろん、圭人からは長年、嫌われていることも気づいていたという。 「だけど衝動的に動いてた。今を逃したら後悔するって。だから迎えに来た」  人に後悔すると言っておきながら、その自分自身が後悔しようとしている事実にハッとしたのだと言う。今は自分の考えを貫いて良かったと、友宏の表情は誇らしげだ。 「宮……いや、友宏」 「やっぱり名前で呼ばれる方がいいな」 「好きなだけ呼んでやる! 友宏友宏友宏!」 「……うん」  そのくらいお安い御用だと言わんばかりに繰り返すと、嬉しそうに微笑んだのちに唇が重なった。 「……わ、ちょっと待て……本当にこの前も、こんなことしたのか?」 「ああ、あのときは酔ってたから、もっと凄いこともしてくれたんだぜ?」  愉快そうに笑いながら説明され、圭人の顔は瞬時に茹蛸のようになる。大胆に足を開いて誘っただなんて信じられるはずがない。  素面のままベッドに押し倒され、どうすればいいのか困惑していた。アルコールが入っていれば羞恥心も和らぐが、今は一滴も入っていないのだ。耐え難いほどの恥ずかしさに台所へ行こうとすると、腕を取られて〝そのまま抱きたい〟と囁かれてしまった。  こうなれば頷く他ない。自ら酔った振りをして訪問した際、拒絶されたときは本当に悲しかった。そのときの思いがあるからこそ、圭人は求められる喜びを感じることができる。  だが、怖いものは怖い。咄嗟に逃げ出しそうになる心を見透かされたのか、一枚一枚洋服を奪われる。一糸纏わぬ姿では、無駄な悪足掻きはせずに観念するしかない。 「シャワーを貸したのはいいけど、また着込んで出て来るって、天然なのか?」 「だ、だって、全裸とか、なんか期待してるみたいだろ!?」  友宏のことが好きなんだとようやく自覚したとしても、奥手の圭人は恋愛初心者なのだ。振られてばかりいるため、両想いになったあとのことは経験がない。 「……本当は一分、一秒だって待てなかったんだけどな」  いざ、ことに及ぼうとしたとき。風呂に入らないままなのは嫌だと暴れて、友宏を待たすことになった。ちなみに着いて行こうとしたら怒られたので、シャワーを浴びたのは圭人だけだ。 「ん……」  仰向けに寝ている圭人の身体の上へ、友宏は静かに覆いかぶさった。怖がらせないよう唇を重ねながら、身体のあちらこちらに指先を這わせる。胸を触ったり、まだ萎んだままの性器を揉んだり、指先で翻弄されてしまう。 「や……なにっ!?」  急に冷たい液体を下半身に垂らされ咄嗟に声が漏れてしまった。それだけではない。片方の膝を胸に付くくらいまで折り曲げられ、つけ根にも滴らせるのだ。 「男同士で繋がるときは、ここを使うんだ」  ぐるぐると周囲を撫でて、指先を少しだけ挿入される。 「んう、痛い……ッ」 「お願いだから我慢してくれ。圭人と一つになりたいんだ」  ふと顔を見上げると、額にびっしょり汗を浮かべた友宏と視線が合う。いつものふてぶてしい表情ではなく、眉根を寄せて苦しそうだ。それを目にしただけで、どうしても嫌だとは言えなくなる。 「わかった……から、恥ずかしいから早く……ッ」  不安ながらも了承してやると、友宏は心底嬉しそうに微笑んだ。こんな表情もしてくれるのかと胸がギュッと痛くなる。傷つけないようにと慎重に指先を進められる。少し解しては抜きを繰り返し、極力痛まないように暴かれる。第二関節まですんなりと受け入れられるようになる。 「ひゃ……う、なんか、へんッ」 「ここか……前立腺」 「ぜんりつ、せん?」  そこに触れられるだけで全身の力が抜けてしまい、圭人は泣きそうになる。前立腺と言われても分からないが、自分の体内になにか器官があることだけは理解した。 「今は感じてくれるだけでいいから、その話しはまた今度な」  不思議に思い首を傾げるも、指先は止まらなかった。そこを突かれるだけで、別のどこかが刺激されているのか達しそうになる。 「もう……いいか?」  時間をかけて丁寧に解すと、切羽詰まった声で囁かれた。 「わ……かんない……けど、恥ずかしいし、いいよ……んんぅ」  もどかしさに耐え切れなくなり合図を送ると、下半身に熱いものを宛がわれる。友宏の性器だ。興奮しているのか、あまりもの体積に怖くなり身構えそうになる。必死に堪えて、無理やり入ってくる異物感に涙が込み上げた。だが、背中にしがみ付いてやり過ごす。 「い……たい……ッ」 「悪い、一旦抜くか?」 「や、そのまま……また入れる方が辛いっ……!」  慣らしたとは言え肉を割いて侵入してくるので、想像以上の痛みに襲われていた。一歩間違えれば裂けてしまうだろう。  けれど一つになりたいという気持ちだけで、突き動かされていた。 「圭人……大丈夫か?」 「ん、もう、平気……だから動いて、いいッ」  友宏が気遣いながらも恐る恐る下半身を動かすと、圭人は苦しそうに顔を歪めた。本来ならば使わなくてもよい個所なので、どうしても痛みは伴ってしまう。 「痛くても、いいから……ッ」 「バカ、そんなわけにはいかないだろ……!」  せっかく素面だというのに、自分一人だけで楽しむつもりはなかった。片手で圭人の性器を擦ってやると、幾分紛れるのか反応するようになる。 「んん……ッ、あ、や……なにこれッ!?」  きついはずなのに、浅く出し入れを繰り返すたびに甘い声音が上がるようになる。友宏は一気に埋めたい衝動を抑えて、圭人の求めるまま動いていた。 「擦れるんだな、前立腺」 「や、やめ……ん」  艶っぽい声音に友宏は笑みを浮かべる。わざとそこだけ重点的に責めると、圭人は涙目で訴えてきた。だが、出し入れしている性器がより硬くなるだけで逆効果だ。 「やめない。圭人にも気持ちよくなってほしいから」 「あ……ん、こんなの……こわい」 「俺しか見てない……」 「だから嫌なんだろ、ばかっ!」  苦痛の中にも快感が見え隠れして、圭人は困惑していた。細い腰を掴むとさっきよりも素早く揺さぶり、圭人と友宏はほぼ同時に絶頂を迎えるのだった。  身体に残る倦怠感を味わいながら、二人並んで天井を見上げる。もう一歩も動けないほどに体力は消耗しているというのに、気持ちは満たされていた。 「将来の話しはとりあえず、今はいい。あとで俺と話し合ってくれるんだろう?」 「ああ、そのつもりだ。なにも考えがないわけじゃない」  一人っ子の圭人が相手では、後継者問題は切っても切り離せない。今後、二人の関係が周囲に知られた際に、様々な妨害がないとも限らない。  しかし、ようやく成就したばかりだというのに、先のことに怯えて暗くはなりたくなった。それは友宏も同じのようだ。 「――それより、気になることがあるんだが」  一呼吸置いてから、緩んだ表情で自分を見つめる男に視線を向ける。 「ん? 隠し事は今までも、これからもしてないつもりだ」  そうはっきり言われる。だったら聞いてみようと圭人は意を決意して投げかけた。 「この前、学食で弁当を食べさせてもらっていただろう? あの女性は誰なんだ」  数日間もやもやしていたことを、とうとう口に出してしまった。仲睦まじい姿を目撃して嫉妬していたのだが、本人から真実を告げられたい。ギュッと両目を閉じて覚悟を決める。 「ああ。お前、忘れたの?」 「…………?」  けれどケロッとした顔をされ、圭人が危惧した通り──とはならなかった。 「俺の姉ちゃんだよ。最近、新しく彼氏ができたらしいんだけど、味に自信がないからアドバイスしてくれって」  真相を耳にしてハッとする。今も家賃を半分出してくれている姉には、圭人も間接的だがお世話になっている。彼女の職業はパティシエだ。誌食品をもらっては味見をし、好き勝手に感想をメールしている。 「ああ……そうか、後ろ姿しか見なかったから……。けど、なんで大学なんだ? 家に泊まりに来てないのか?」 「今は彼氏と同棲してて、誤解させたくないんだってさ」 「なるほど……」 「ったく。何年も圭人だけだったのに俺のこと疑ってたのか?」 「だ、だって、彼女とか、とっかえひっかえだったろ?」 「焼かせるために決まってるだろ。俺はずっと独り身だ」  ああでもない、こうでもないと、些細なことで喋られるのは仲の良い証拠だろう。 「そうだ、圭人。一応、俺たちはお付き合いって立場になるんだから、飲み会で酔っぱらって無作為にキスするのは無しな?」 「ぎくっ、もう飲まないって決めた!」 「ならいいけど、お前が他のヤツに迫るたびにムシャクシャしてたんだからな」  痛いところを突かれてしまい、気まずさを紛らわすために圭人は視線を逸らした。酔って記憶にはないとは言え、証拠もばっちりあるのでしらばっくれることは不可能だ。 「次やったらお仕置き」 「お、お仕置き……? 一体なにをするんだ」 「一週間うちに監禁する。姉ちゃんも来ないことだし、俺は実際にやるからな?」 「げっ」 これからも二人は度々衝突しながらも成長してゆく。極力、アルコールは控えようと圭人は本気で思うのだった。
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