四・モテるためには……?

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四・モテるためには……?

 昼食後一発目の講義は眠気との戦いになる。寝ないように意識をしていても、頭は下がり机に打ちそうになる。そんな最中、肩を大きく揺さぶられてハッと顔を上げた。 「おーい、大河内くん。大丈夫? さっきからずっと危なっかしくて見てられないよ」  同じ学科に通う岡野だった。いつも近くに座るので圭人の様子を観察していたらしい。 「大丈夫。ちょっと寝不足気味なだけだから」 「今はミヤのマンションにいるんだっけ。どうなの、なにか掴めそう?」  唯一、圭人が懇意にしている友人なので、居候を決めたことも打ち明けていた。最初は驚いたものの背中を押しただけあって、逐一近況報告を求められる。 「料理を作ってるんだ。今はまだ目玉焼きとかだけど、行く行くは岡野にも食べさせるから、そのつもりでいるといい」  端末を取り出し画像を見せると、少し焦げついた写真が出て来る。それを目にした岡野は苦笑しつつも、美味しそうだなと呟いた。社交辞令だとは到底、見抜けない圭人は得意気にしている。  講義を終えた帰宅後、家でなにをしているかと言えば一つだけだ。友宏のバイトがない日に包丁の使い方や、料理の作り方を習っている。まだ一人で調理することは禁止されているが、上達が早いということで今晩は炒飯に挑戦する予定だ。  いくら苦手な相手だろうとも、呑み込みが早いと褒められれば嬉しい。本来の目的を忘れたわけではないが、簡単に料理を振る舞えると、確かに好感度はあがると身を以て体感した。ならば自分も習得する他ない。 「ミヤの料理はどうなの? 美味しいの?」  講師が板書している隙に、ひそひそ話を続ける。雑談がばれると締め出されるので、今日は後ろの方へ着席していた。 「ああ。悔しいけど、さすが一人暮らし四年目だけあってスキルはあるだろう」 「へえ、そうなんだ。おれは作れないし、ミヤの手料理とか興味あるかも」  食べ歩きを良くしている食通の岡野も、てっきり作れるものだと思っていた。美味しい店があると随時報告してくるのだ。しかし、そうではないことを知り圭人は首を傾げる。 「岡野は料理しないのか? 去年だったか、実家から出てるだろう?」 「まあ、父親が転勤で地方に飛んじゃったから寮だけど、自炊しない男子学生も珍しくはないはずだよ。誰かに食べさせるなら作り甲斐もあるだろうけど、生憎モテないし……」  それに有料だけど食事は出るんだ、と恥ずかしそうに付け足した。 「料理好きの寮生だと台所を借りて、昼ご飯作ってくれるけど、たまにだよ? 通いで来るお姉さん見たさに、自分で作ろうとする人は少ないのかも」 「そのお姉さんに食べさせたいとかはないのか?」 「あー自信あればいいけど、カフェとかでバイトしてなきゃ厳しいかな」  そこで友宏のバイト先が居酒屋だということを思い出す。創作料理をメインに扱う店で、ときどきメニュー開発にも携わるらしい。そこで培われたものが身についているんだなと、圭人はしみじみと思った。  居候生活から四日目。とうとう一人で料理をしてもいいと許可が下りたので、友宏不在の中台所に立っていた。身に纏うのは自分専用のエプロンだ。黒いシンプルなものを用意してもらったので有難く愛用している。  単身で料理をするにあたって、友宏と圭人の間で交わした約束が三つほどある。  ――一つ、例え失敗しても捨てることなく、必ず試食させること。  ――二つ、火の取り扱いと、刃物の取り扱いには十分気を付けること。  ――三つ、自分の力量を過信しないこと。  最初の決め事を耳にしたときは、そこまでしないと庶民は生活苦なんだなと、坊ちゃん思考ゆえに思い込んでいた。二つ目はそのまま注意なので素直に聞き入れる。三つ目は、煽てられれば図に乗ってしまう節があるので、ぐっと堪えて受け入れた。  レシピの載っているサイトから、初心者向けのメニューをいくつかピックアップしてもらったので、大学の図書館で印刷した。お好み焼き、野菜炒め、パンケーキ。なるべく皮を剥く作業の少ない野菜で構成されており、パンケーキは甘いもの好きという部分を考慮されているのだろう。素材は全て冷蔵庫にあるとのことで、圭人は早速取りかかった。 「キャベツは千切りだよな……うんうん、このくらいなら簡単だ」  まだ素早く刻むことはできなくても、細くすることを意識して腕を動かす。つい先日、指先を切ったばかりとは思えない手つきで、こんもりとキャベツを盛り上げる。切り過ぎにも関わらず満足する。  ついでに野菜炒め用のキャベツと玉ねぎも大雑把に切る。そちらは水に浸けた。  そこでふと、ポケットに収めていたスマートフォンが振動する。タオルで手を拭き端末を覗くと、母親の定例電話だった。やれやれとは思いつつもスピーカーフォンにして通話を開始する。 『もしもし、お母さんだけどちゃんと食べているの?』  普段は多忙で家にいないくせに、圭人が居候を始めたと耳にした瞬間、以前よりも頻繁に電話をよこすようになった。女性のところへ転がり込んでいるのではないか、そう勘繰っているのだろう。執事でお目つけ役でもある室井から、事細かく報告されているはずだが、過干渉はますます酷くなる。 「可愛い花嫁を連れて帰るので、心配しないで待っていてください」  通話が来るたび毎回答えているため、もう常套句のように口癖になっていた。それで違和感もないし、それをいうと満足したのか解放してもらえる。自分もそのために料理を頑張っているという自覚があるので、疑問にすら思わない。  けれど解放されると、ハアと小さな溜め息が出てしまった。結婚、という言葉が重いわけではない。好きな女性と幸せになりたいし、父親の後も継ぎたいと思っている。  だが、進学先の大学にて、なに不自由ないと信じ込んでいた自分よりも、伸び伸びと学生を楽しんでいる面々を目にすると、途端に空しくなるときがある。 「あ……あちッ」  考え事をした隙にフライパンから油が跳ね、火傷しそうになり慌てて水道水で冷やした。怪我をしたことを知られてしまうと、不在時には料理はだめだと禁止され兼ねない。  気を取り直して調理に集中すると、多少焦げたがまずまずの物が仕上がった。味見をしても、専用の粉やレトルトの素を使っているので、お好み焼きも野菜炒めも不味くはない。これなら及第点をもらえるはずだ。まだ友宏のように自力で味をつけることは難しいが、それでも、少しずつ着実と成長していた。  居候生活七日目。当初に設けた期間だと同居は今日までだが、ようやく炊事・洗濯、そして騒音などに慣れたということで延長することになった。  せっかく料理が楽しくなってきたのに、このまま実家に戻ってしまうと、危ないという理由で台所から追い出されることは目に見えている。まだ覚束ない手つきなので尚更だ。室井は過保護ではないが、メイドなどの女性陣に見つかると厄介だ。 「珍しく呼び出してどうしたの? 大河内くん」 「ああ悪い、岡野。昨日の夜に作ったから試食してほしいんだ、肉じゃが」  混雑時を避けて学食に呼び出すと、家で温めてきたばかりの容器を取り出す。保温のために新聞紙とタオルに包んだ甲斐があったのか、ふたを開けた瞬間に湯気が立ち込めた。 「へえ~凄いな、目玉焼きから随分と飛躍したね」 「師匠がいいからな、師匠が」  岡野が素直に成長したことを褒めると、すかさず友宏が自画自賛した。教え込んだのは友宏だが、教えられている張本人にとっては面白くないのか拗ねている。そんな二人を見た岡野はおかしそうに笑いを堪えていた。 「肉じゃが作るまでに、どのくらい時間かかったの?」 「二時間」  ピーラーで皮を剥く作業に時間を取られ、芽取りなどを教わっていたらいつの間にか一時間経過していた。 「うわ……すごいね、お疲れ様」 「それはそうと、早く食べてくれないと冷める」 「ああ、ごめんごめん。いただきます~」  紙皿を用意していたので盛りつけて手渡すと、早く食べるように促した。感想を聞きたい一心で見つめる。食べ歩きが趣味という食通の評価が気になるようだ。 「ど、どうだ?」  自信はあるものの不安は拭い去れないので、顔色を窺いつつも恐る恐る尋ねる。 「味が染みてて美味しい! すごいね大河内くん」 「そ……そうだろう、そうだろう!? 僕はすごいだろう!」  あんなにおっかなびっくりだったのに、友宏が危惧した通りに褒められて天狗になっている。そこで出鼻を挫こうとしたのかは謎だが、とある提案を投げかけられた。 「ロールキャベツとハンバーグ」 「え?」 「その二つができたら、俺も認めてやらなくもない」 「なにっ、早速今日はその二つに挑戦しようじゃないか!!」  新たな料理名を告げられ、圭人は早速作り方を検索し始めた。あと一時間で午後の講義が始まるというのに、今から図書館のパソコンで印刷し兼ねない勢いだ。調べながら食材や手順を呟き、妙にやる気になっている。そんな様子を見ていた岡野は苦笑した。なるほどな、と何度も頷いている。 「……おれ、ミヤの魂胆わかっちゃったかも……」 「分かっても内緒な?」 「うん、それはいいけど、自分の好物作らせるってすごいな……肉じゃがもそうでしょ?」 「アイツ気付いてないから。腐れ縁が続いてるっていうのに薄情なもんだろ」 「うーん……薄情ってか、料理だけじゃなくって、洗濯とかもやってもらってるんだよね。それって、将来的なことも見込んでる……?」  圭人が料理サイトに釘づけになっている隙に、男二人が攻防戦を繰り広げる。 「ノーコメント」 「あ、ずるい! あらかた女子にモテるって言ってやらせてるんだろうけど、それって絶対違うよね。だって、ミヤって――」 「岡野。それ以上言ったら俺はもう協力しないからな?」  協力、とは恐らく合コンなどの類いに参加することだろう。今まで何度も断ったというのに、泣きつかれて数えきれないくらい巻き込まれた。普通、自分よりも秀でた人間は自然と回避するらしいが、岡野は客寄せパンダの役割として友宏を使っている。友宏目当てに集まった女の子を、自力で陥落させるのが楽しいらしい。柔らかい口調に反して肉食系な部分がある。 「う、ご……ごめん、もう言わないからっ」 「わかれば宜しい」  圭人の様子が気になるのか横目で盗み見るも、二人の会話は頭に入ってこないようだ。 「なあ宮。ロールキャベツってのは普通のキャベツでいいのか? カットされたやつじゃダメなんだろ? それなら帰りにスーパー寄らないとダメなんじゃないのか?」  ようやく会話に混ざったかと思えば、食材の話しを切り出される。友宏は吹き出しそうになり必死に堪えた。にやけていることがばれると拗ねるので、隠さなければならない。 「ああ、そうだな。家にあった野菜だと、巻くのに足りない。あと挽き肉がない」 「わかった。また図書館でレシピ印刷してくるから、今日、用事がなかったら付き合ってくれ」 「俺で良ければ喜んで」  やる気になっている圭人と、それを上手い具合に懐柔している友宏。そんな二人のやり取りを見ていて、岡野はボソッと呟いた。 「ミヤは凄いやつだけど……ちょっと怖いな」  聞こえない振りをした友宏は、圭人から端末を借りて初心者用のレシピを探すのだった。  ことこと鍋で煮込んでいる間に、回していた洗濯機の中身を取り出す。色を分けて洗濯したつもりが、白いシャツに赤い色が移ってしまっていた。またやってしまったのだと圭人は落ち込む。  世の主婦は、料理の合間に洗濯や、掃除を済ませるのだという。もしも奥さんが妊娠をした場合、家事を代わってあげられる男は離婚され難いと、教えられてからは予行演習とばかりにやるようになった。これもなかなかの労働だということを初めて知る。  時折鍋の様子を気にしつつ、一枚一枚しわを叩いて伸ばしてから部屋干しをする。ベランダもあるのだが、もうすぐ梅雨の時期に突入するので室内だ。 「洗濯ものは俺が干すよ」 「いや、このくらい一人でやれなきゃ困るだろ? それより、また色移りさせてしまった……ごめん」 「気にしなくていい。色つきの物は別のかごに入れて後から洗うけど、混じることもあるから、次からは一つ一つ放り込むことを心掛ければいいと思う」 「ああ、分かった」  友宏の真っ白いTシャツだったために素直に謝った。意地悪なはずなのに、居候を始めてからは格段に減った気がする。鍋を焦がしても、洗濯機では洗えないものを洗ってしまっても、一度も怒るようなことはなかった。その都度、注意をして改善点を教えてくれるだけだ。  そんな一面から、友宏がどうして女子から人気があるのか、少しだけ理解した気がする。誰かが失敗をしても、絶対に責めるようなことはない。よく言い訳をしたり、他人に擦りつけたり、男らしくないことをする人間がいる。けれど、友宏にはそういう節は一切なく、人を不快にさせずに誘導できる力を持つ。  人を気づかぬうちに怒らせてしまうことが多い圭人にとっては、そんな友宏が羨ましくもある。一種の才能なのだろうかと、ふと考える。 「それより、吹きこぼれないか見ててくれ」 「了解。匂いはいいし、もう少しでできるな」  縮んでしまったジーンズを申し訳なく思いながら、丁寧に伸ばして引っかける。これは生地の性質上、仕方がないとは教えられても、自分の洗濯する手順が悪かったのではないかと、思わず聞いてしまった。  友宏との生活は大変なことだらけだが、毎日が新鮮で久しぶりに充実感を味わっていた。本来の目的は忘れていないものの、できることならもう少し続けばいいのにと思い始めていた。
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