六・イメージチェンジ?

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六・イメージチェンジ?

 とうとう梅雨の時期に突入した月末。紫陽花が咲き誇る中庭では、綺麗に咲いた花たちが雫に濡れていた。朝露に光り輝き瑞々しさが増している。学食で一人ぼーっとしながら鮮やかな紫色を堪能しているときだった。 「ねえねえ大河内圭人くんだっけ。きみって変身願望とかはないの?」 「は?」  緩くパーマのかかった金髪の男が、圭人の全身を舐め回すように視線を送ったまま近づいて来る。あまりの不審な行動に、不快さを露わにしていると、慌てた素振りもなく流暢に事情を説明された。 「きみ、素材はいいと思うんだよね。とりあえず、ちょっとメガネ外してもらってもいい?」 「なんで……僕が……」 「いいからいいから。大河内くんって女子からモテたいんだろ? 俺がその手助けをしてあげるよ」  そう言われてしまうと無下にもできなかった。ビン底メガネのフレームを指先で摘まみ、素顔を見せてやる。すると、男は大きく何度も頷いた。 「やっぱり! 俺ね、将来はファッション関係の仕事に着く予定なんだけど、きみみたいな逸材を探していたんだ」  男はスタイリストを目指している卵なのだという。就職先も既に決まっており、卒業までに数多くの男女を変身させて、一冊の写真集を作るつもりらしい。企画は理解したし、写真を撮られることは別に構わない。しかし見ず知らずの相手にいきなり〝変身させてくれ〟など言われても戸惑うだけだ。 「正直、今のきみだと髪の毛もぼさぼさだし、メガネはビン底だし、服装もオタクっぽいから、これじゃあモテなくても当然なんだよね」  ギンガムチェックの長袖とジーンズという、小学校時代からあまり変化のないスタイルまでダメ出しを食らう。名前も知らない同級生から一方的に捲し立てられ、内容が内容なだけに珍しく圧倒されていた。もしかしたら、振られる原因は外見なのかもと、思っていただけに断るタイミングを掴めない。 「とりあえず行こうか。今日はもう講義ないよね?」 「な、ないけど」  室井の用事が終わって迎えに来るまでは、学食で時間を潰そうとしていた。いつもつるんでいる二人は、院生の先輩に掴まり研究資料収集に借り出されているのでいない。久しぶりの一人を味わおうとした矢先のでき事だった。 「じゃあ決まり~ついでにお昼まだなら、合間に食べに行こうか」  腕を引っ張り立たされて、有無を言う前に決まってしまった。終始この調子で圧倒され、眼科と美容院とショップ数軒に連行される。そして、みんなの反応を見てみようとのことで大学構内へ引き返していた。 「ちょっと神部くん。一緒にいるのって誰!?」  神部とは男の名字らしい。数時間ほど連れ回されたというのに、たった今初めて名前を知る。  顔見知りなのか少々派手目な女子に詰め寄られ、興味津々といった様子で顔を覗かれた。触れられそうなほどの至近距離に、異性の顔があることなど体験がないので圭人はぎょっとする。 「今週のシンデレラボーイは大河内圭人くんだよ」 「えっ、大河内くん!?」  眼科を受診してから使い捨てのコンタクトを買い、次に向かった美容院では、伸びきった髪の毛を軽く梳いてから脱色する。毛先を金髪に染められ、黒一色からイメージチェンジしたのは二十歳を過ぎて初だ。  それが終わると、主に海外から輸入された洋服が売っているセレクトショップに移動した。英字とキャラクターが描かれた白のTシャツに、黒いシンプルなベストを羽織り、下はぴったりとフィットした皮のパンツを着用する。足元はスニーカーではなく、まだ五月だというのにブーツだ。ガラッと様変わりしても不思議ではない。 「こんなかっこよかったなんて知らなかった!」  生まれて初めて両親以外の人間から、容姿について褒められる。以前、友宏の家に居候をしていると広まったときとは比べ物にならないくらい、男女共に囲まれて驚愕する。見事変身させた側の神部は誇らしげだ。 「それじゃあ中庭の紫陽花をバックに写真を撮らせてね」 「わー見に行こう!」 「俺も俺も!!」  圭人の気分はさながらアイドルだ。眸を存分に輝かせた異性が、自分が移動するたびに着いてくるのだ。あまりのでき事に含み笑いをしそうになる。  こんなことで賞賛されるのならば、もっと早く本来の姿に気づいていればよかった。圭人は内心、落ち込んでいた。悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。  地味にしろと言い続けていたのは、他でもない友宏だ。メガネをやめてコンタクトにしようとしたときも、気分転換のために頭を染色しようとしたときも、健康被害があるのだと大袈裟に脅された。髪の毛が傷んで禿てしまうのだと恐怖心に貶められた。  単純に心配されて止められたのか、それとも、からかうことが目的だったのか。  どちらか定かではないが、せっかく尊敬するようになったはずの友宏のことが分からなくなった。指示された通りにしてきたというのに、今まで一度も恩恵があったと感じることがなかったのだ。 「大河内くん。ベンチに腰かけて、腕と足を組んでくれると嬉しいな」 「こ、こうか?」 「うん、いい感じだね。リラックスが一番だよ~」  がちがちに緊張しながらも、指示された通りに動く。見物人は優に増え、二十人近くが集まっていた。数枚ほど撮影するだけなのに、ちょっとした催し物のようだ。 「お疲れ様、大河内くん。写真集は来年の三月に刷る予定だから、完成したら届けるよ」  今回のお礼を言ってから別れると、遠回しに眺めていた一人の女子に、待ってましたと言わんばかりに声をかけられる。 「大河内くん、今ちょっといい?」 「う、うん。迎えを呼んで、あとは帰るだけだから構わない」 「そうなんだ、手短に済ますね。前からずっといいなって思ってたんだけど、ずっと声かけられなくて……日曜日なんだけど、予定がなかったら一緒に遊びに行かない?」  腰まで綺麗に伸ばされた艶やかな黒髪。白い肌に映える赤いワンピース。見るからにおしとやかそうな女性から誘われ、圭人の心は躍動しそうになる。外見が少し変わっただけで、圭人の世界も開けたようだ。 「に……日曜日? ええと……うん大丈夫、空いてる」  わざとらしく鞄に収めていた手帳を取り出し、白紙だというのにスケジュールを確認する振りをする。誘いを受けると女性はホッとしたような表情を浮かべ、待ち合わせ場所と時間を伝えると去って行った。すっかり姿が見えなくなってから、小さくガッツポーズをする。  デートに誘われたのだ。生まれて初めてデートに誘われた。たかが外見を変えただけで、待ち望んでいた異性からお声がかかるとは思わなかった。  これならば、もう居候を解消してもいいのかも知れない。友宏の手を使わずして、初めての彼女をゲットするチャンスが到来する。  当初の目的はモテるため。友宏と四六時中共に過ごし、花嫁を掴まえるために手管を盗んで磨く。炊事洗濯ができれば将来的に繋がると知り、毎日毎日頑張った。一週間の予定から伸びてしまったが、そろそろ実家に戻ることにした。  その日の夕方。最後の夕飯として、先日初めて褒められたロールキャベツとハンバーグを用意した。せめてもの感謝のつもりだった。二回目だけあって上手く作れた気がする。  けれど。 「………………」 「……なんでさっきからずっと無言なんだ」  帰宅して早々、友宏は口を開こうとはしなかった。変身した姿を一目見ただけで、今は大して面白くもないバラエティ番組から視線を逸らさない。何度も声をかけているというのに、不機嫌さを隠さず無言を貫いている。こんな子供っぽい態度の友宏は、久しぶり過ぎて拍子抜けしていた。まるで小学生時代に逆戻りしたようだ。せっかく外見が人並みになったというのに、友宏は祝福してくれないのかと、圭人は釣られて不貞腐れそうになる。 「この通り、もう女子に避けられることもなくなったし、明日実家に戻るから」 「…………」 「おーい、聞いてるのか? ま、いいや。これ……ここの合鍵、返すから」  首から下げていた鍵を外してテーブルに置こうとする。すると、そこでようやく友宏が反応した。 「それは持ってていい」 「え? でも、もう家に帰るから必要ないって」 「いいから持ってろ」 「……分かった」  振り向きざまに睨まれてしまい、置いた鍵をまた身につけた。来ないと言っているのに持っていろというのは、一体どういうことなのか。おうむ返しにしようにも、またテレビに視線を戻したので質問できなかった。 「とりあえず、ロールキャベツとハンバーグ作ったから夕飯にしよう」  フライパンと鍋を温め直しつつ様子を窺うと、沈黙したままテーブル周りを片づけ始めた。一応は聞いているようだ。気まずい空気のまま、居候最後の夜は更けていった。  広々としたクローゼットの中には、タキシードやスーツなどの礼服と、愛用していた地味な洋服がぎっしり詰まっている。今までならそれで何ら不都合はなかった。しかしデートをするには不向きということで、買い増しすることにした。 「なあ岡野。ちょっと相談に乗って欲しいんだが……」 「乗りたいのは山々なんだけど、おれも詳しくないんだ。ミヤに付き合ってもらってるくらいだし、大河内くんも頼んでみたら?」 「うむ……」  異性受けのよい服装について指南を受けようとしたのだが、頼りにしていた岡野に断られてしまう。それなりにバランスの取れた格好が多かったのでお願いしたかったのに、ここでも友宏が介入していることを知り脱力しそうになる。  ちなみに、居候を解消したことは打ち明けていない。  仕方がないので神部を探すも、今日は見かけていないと言われるだけでとうとう捕まらなかった。コーディネートに困ったらいつでも相談してと、宣言していた割に多忙なようだ。  こうなれば腹を括るしかない。一番声をかけたくなかった人物だったが、止むを得ず相談することにした。  呼び出した場所は第一図書館だ。自由に観覧できる資料が数多く置いてある部屋で、主に卒業間近の四年生が卒論完成のために利用する。そこにある、持ち出し不可の雑誌が保管されている小さな書庫を訪れていた。職員室から拝借した鍵で内側から施錠する。 「なんだよ、俺に用事って」  昨日の不機嫌さは幾らか緩和されたのか、話しかけても無視ということはなかった。たったそれだけのことなのにホッとする。 「うん。明日デートなんだけど、どんな格好をすればいいのか分からないんだ」 「へえ、そりゃおめでとう」 「茶化すな!!」  意地悪を通り越して無関心という反応に、妙な胸騒ぎがする。言いつけを破ってしまったことで、まさかここまで関係が悪化するとは考えもしなかった。 「もう相談できる相手が僕にはいない。岡野はお前に見繕ってもらってるっていうし、僕を変身させた神部だが、今日は捕まらないしお前しかいないんだ」 「…………俺が最後ってことか?」 「そう、だけど……それがなんだ?」  友宏の声のトーンが急激に低くなる。びくつきながらも肯定すると、ハァとあからさまな溜め息を吐かれた。なにか失敗してしまったのだろうかと、自分の言動を振り返るも心当たりはない。 「最後の砦って言葉があるけど、圭人の場合はそうじゃないんだろ。そんなんで協力してもらえると、お前は思ってんの?」 「……え、意味が分からないんだけど」 「お話しにならないね」  高圧的な態度を一向に崩すことなく、今度は圭人が溜め息を吐き出す番だった。 「お前は僕がモテるようになって面白くないんだろ。もういい、室井に頼むから」  埒が明かないと判断した圭人は、早々に諦めて書庫から出ようとした。これ以上一緒にいたくはない。幻滅させられたくはない。無駄な争いはしたくない。それじゃあ、そう言い残して去ろうとしたときだった。 「――お前は女相手にリードできるのか?」  有無を言う前に腕を掴まれた。いつの間に距離を詰めたのか、背後に回り込み退路を塞がれる。掴まれたままの二の腕にギュッと力を込められ、痛みに顔が歪むも、放してくれる素振りは見せない。やばい、逃げなければ。  怒気を含んだ物言いに危機感を覚え、本能ではそう訴えているのに拘束は強くなるため振り解けない。いつしか感じた恐怖心が蘇り、至近距離まで迫られ反射的に顔を逸らす。その隙に空いた手で肩を掴んで引き寄せられた。 「や、やめ――ッ」  押し退けて逃げようとするも机に押し倒される。上から圧しかかると、全体重で押さえつけるので、ろくに抵抗できないまま唇を塞がれた。瞬時に口を閉じるも無理やりこじ開け、舌先をねっとり絡め取られる。どちらのものか分からないくらいの唾液が入り混じり、息継ぎしにくい。苦しい。  いつもなら少し我慢をすれば解放される。だから今回もそうだと恐れながらも高を括っていた。  ところが、虫の居所が悪かったのか、それだけでは済まされなかった。机に押しつけられたまま股間を弄られ、ジーンズのボタンを手早く外される。そこからチャックをゆっくり下げると、羞恥に頬が真っ赤になった。 (――まずい、逃げなきゃ……!)  てっきりキスだけかと思いきや、行為はどんどんエスカレートしてゆく。じたばた暴れても、体格に差があるせいで身動きが取れない。胸を押し退けてもびくともしない。こんな友宏は久しぶり過ぎて怖い。 「さ……触んなッ、どこ握って……やめッ」  着用していた下着に手を差し込まれ、躊躇うことなく握られた。縮こまった性器は、恐怖でより一層、萎縮しているというのに、お構いなしに擦られる。掴まれている個所が個所なので身動きとれず、されるがままになっていた。大人しくなるしかない。これでは触られたがっているみたいで嫌だが、どうすることもできない。  恐怖に萎えたままの性器を上下に擦りながら、再度、咥内を蹂躙されて強制的に官能を引き出される。反応したくないのに同時に攻められると、否応なしにぴくりと動いてしまう。元々、他人から受ける刺激に慣れていないこともあり、気持ちとは裏腹に膨らみ始めた。 「や、やだ……やだっ」  数分間、口と指先で翻弄されたのちに拘束を解かれると、堪えきれずに射精していた。余韻に浸るような余裕は当然ながらない。自らが出した液体で、友宏の掌を汚してしまったので消え入りたくなる。恥ずかしさに顔を背ける。その手を洋服の裾で拭うと、何も言わずに友宏は施錠を外した。沈黙が怖い。一言でいいから喋って欲しい。けれどなんて声をかければいいのか思い浮かぶはずもなく。  ハァハァと肩口で呼吸を整えている圭人を余所に、友宏は書庫を後にするのだった。  三面鏡の前に座り、盛大な溜め息を吐き出すこと数回。寝不足のせいで目の下にはくっきり隈ができてしまったデート当日。落ち込む様を心配したのか、給仕の女性がコンシーラーを貸してくれたので塗りつけて誤魔化す。  前の日に、あんなことがあったせいでろくに眠れなかった。一ヶ月振りにされた口づけと、その延長線上の行為に理由はあるのだろうか。考えているだけで夜は更ける。いくつか過程を立ててみるも、しっくりくる答えは見つからなかった。 「仕度してください。遅れてしまいますよ、圭人さん」  意地でも遅刻したくなかったので、室井に送迎を頼んでいて正解だった。  結局、昨日は帰り際にデパートへと寄ってもらい、店員にコーディネートをお願いする方向で服装問題は解決した。最初からこうすれば良かったのだと後悔しても後の祭りだ。  新品の洋服に袖を通して一先ず脳内を切り替え、デートの最中はデートに集中しようと頬を叩いて自身を戒めた。  待ち合わせは大学傍の最寄り駅。九時丁度に到着すると、既に待っていたのかピンクのチュニックとホットパンツ姿の異性が手を振ってはにかんでいた。今日はこの子と初デートなのか、高揚する思いを胸に声をかける。 「ごめん、待った?」 「あ、おはよう大河内くん。大丈夫だよ、まだみんな来てないから」 「へ?」 「あれ、聞いてなかった? 今日は全員で十人くらい集まるんだよ」  てっきり二人きりだと思い込んでいたので、圭人は面食らった表情になる。一対一のデートではなかったのだ。誘われたことが嬉しくて、彼女の説明を鵜呑みにしていたようだ。 「ああ、うんそうだった、ちゃんと聞いてたよ。みんな遅いなァ」 「うんうん。電車組みが多いし、今日は日曜だから遅延してるのかな?」  待ち合わせに遅刻をされても大して気にならないのか、寛大な心を見せられ圭人は好意を持つ。すぐ癇癪を起すようなタイプは疲れるので、結婚をするならば大らかな女性がいいと思っていた。外見も美人だし、性格も問題なさそうなので株が急上昇する。  圭人から、花嫁候補という目で評価されていることは露知らず。そんな彼女は、そわそわしながら友人らの到着を待っていた。特別親しい間柄というわけではないので、互いになにを喋ればいいのか分からずに五分ほど沈黙が流れる。程なくして一人、また一人と現れ始めると、安堵したのか彼女からは満面の笑みが零れた。 「遅れてごめんね、おはよう~」 「そこでばったり会ったから一緒に来たぜ。よ、大河内」 「ああ、おはよう」  辛うじて、名字だけは記憶にある男女が連れ立って歩いてくる。二人は面識があるのか、仲睦まじい様子を堂々と披露していた。こっそり付き合っていると打ち明けられても、驚くことはないだろう。  それから更に五分後。遅れながらも女子は全員集まったが、男子が一人足りなかった。これでは女子が余るではないかと、圭人はなにを思ったのか同情する。明らかに異色なのは自分自身なのに、外見が変わっただけで自意識過剰っぷりに拍車がかかったらしい。 「ねーねーそれにしても遅くない? 本当に来るって言ったの?」 「言ったよォ。いつもなら速攻で断るのに、今回はやっと頷いてくれて……」  幹事の女子と仲の良さそうな友人が、ひそひそ声で会話していた。耳が優れているために、圭人は盗み聞きしていた。 「ミャーくんが来るなんて珍しいのにね」 「――なんだとっ!?」  誘ってくれた彼女の口から一番耳にしたくない名前が飛び出し、こっそり聞いているはずが思わず反応してしまった。圭人の叫びに驚愕した女子数名が、何事かと一斉に振り向く。慌てた同学科の知り合いが、助け舟を出して誤魔化してくれたので事なきを得たのだが、小声で注意された。 「女子連中は大河内と宮の確執について知らないんだから、ここで反応したらだめだって」 「う……すまない」  フォローのお礼を告げると、同級生の男子に肩を軽く叩かれた。たったそれだけでだが、圭人は冷静さを取り戻す。寝不足になってしまった原因が、一体どんな顔をしてのこのこやってくるのか。  圭人は来る前から楽しみにしていた。待ち合わせ場所に圭人がいれば、もしかしたらポーカーフェイスを崩せるかも知れない。そんなかっこ悪い一面を女子が見れば、幻滅してくれて自分にチャンスが巡って来る可能性だってある。友宏が現れる瞬間を今か今かと待ち望んでいた。  面白くない。実に面白くない。ただボールを転がしてピンを倒すだけだというのに、ストライクを連発させる男子連中の輪から圭人だけが浮いていた。寧ろ、か弱い女子より下手かも知れない。真っ直ぐ放っているはずなのに、吸い込まれるようにガーターに飛んでしまうのだ。首を傾げても要領を掴むことができない。  どこに行くかを聞き逃していたため、事前に練習することも適わなかった。もしもボウリングだと知っていれば、講義をサボってでも練習していただろう。  柄にもなく落ち込んでいると、脚光を浴びている最中の友宏が、周囲には聞こえないように圭人の背後で吐き捨てた。 「だせえ」  明らかに小馬鹿にしたような物言いをされ、親の仇でも見るような目で睨んでやる。しかし効果はないので、張本人は涼しそうな表情で黄色い声援に応えている。気に食わない。運動神経の違いをまざまざと見せつけられ、憤慨した圭人はお手洗いに行く振りをして帰ることを企てる。このままこの場にいても惨めになるだけだ。  ところが、それを阻止したのは他でもない友宏だった。 「教えてやるから来い」 「え、やだよ」 「……いいのか? このままだとダサいままだぞ? この中に好みのタイプがいるってんなら、名誉挽回のチャンスは逃さない方がいい」  そう耳元で呟かれ、嫌だと反論する機会を奪われてしまった。数秒間ほど悩むも、かっこ悪いままなのは癪なので、仕方がなく友宏に任せることにする。恥を掻かされることになれば、容赦ないからなという視線を送ると、知ってか知らずか腰を抑えられた。 「おいっ、どこ触ってんだッ」 「ばーか。姿勢がおかしいから正してやろうとしてるんだろ? いいから大人しくしてろ」 「う……」  そんなやり取りをしている最中、女子連中は頬を染めて二人を凝視している。男二人が公衆の面前で密着していれば、誰だって気になってしまうのも自然だ。  口々に〝私も教えられたい〟なんて語尾にハートでもつきそうなほど甘ったるい声で呟かれ、圭人は両耳を反射的に塞ぎそうになる。 「俺は男子にしか教えません。噂になったら面倒だからな」  そう投げかけると、同性からは猛々しい歓声が上がる。女子はがっかりといった様子だが、依怙贔屓があるわけではないので文句が飛び交うようなことはない。これで特定の女子にだけ優しくすると、反感を買うだろうがみな平等に扱うので、男女ともに好感度は高かった。  しかし、そういうスタンスが昔から気に食わない圭人は、牙を剥きだして反論する。 「本当は教える自信がないんだろ」  火に油を注ぐとは分かっていても、言わずにはいられなかった。案の定、友宏は乗ってくる。 「バカ言え、そのくらい朝飯前に決まってる。俺を誰だと思ってるんだ?」 「じゃあ僕が一度でもストライクを決めることができなかったら、負けを認めるんだな?」 「ああいいぜ。手取り足取り腰取り教えてやるよ。その代り、ストライクが一つ決まるごとに俺の言うことをなんでも一つ聞くこと。負けたら圭人の言うことを聞いてやるよ」 「分かった、乗った!」  自信満々に宣言されてしまい、売り言葉に買い言葉で勢い余って承諾してしまった。後悔をしても時すでに遅し。 「こういう場合は普通〝なにか奢れ〟とかじゃないのか? 宮」 「大体はそうだよな。よし、俺らも二人になんか賭けようぜ」 「いいな、面白そうだな~」  一部始終を聞いていた同級生が悪乗りを始める。友宏が勝つか、圭人が勝つか、賭けることになったようだ。ああでもない、こうでもないとヒートアップしている。  ところが、全員一致で友宏を推したので賭けは失敗に終わった。早い幕切れに各々吹き出している。ちょっと聞いていれば失礼な話題だが、圭人はそれどころではなかった。  圭人は、先ほど頷いてしまった条件を慌てて訂正しようとするも、外野の男女が異様に盛り上がっているのを目にして言い出せなくなる。普段ならば、しらばっくれるところだが、将来の花嫁候補がいるかも知れないので、口約束とは言え守る必要がある。 「なあ宮。勝ったらなに奢ってもらうんだ?」 「そういうのは却下。俺は圭人にたかりたくて一緒にいるわけじゃない」  予想外の一言が友宏の口から飛び出し、圭人は面食らってしまった。キスされることはあっても、確かに金品を要求されるようなことは今までなかった。反応に困ってしまう。一方、同級生はと言うと、一蹴されても気にならないのか、気を悪くした素振りも見せずに友宏を賞賛している。 「……じゃ、じゃあ、なんで絡んでくるんだよ……?」  思わず聞いてしまった。趣味が合わなければ性格も合わず、気が合うわけでも、食が合うわけでもない。唯一の共通点は友人の岡野くらいだが、圭人は岡野と専攻が一緒でも、友宏だけは違う。それなのに何年も一緒にいる理由はなんなのか。単純にどう思われているのか知りたかった。 「――からかいたいからに決まってんだろ」  先ほど庇われたときは見直しかけたのに、結局は意地悪がしたいだけなのだと知り、圭人は落胆した。自分のストレス発散だけのために使わないでほしい。ただそれだけだった。  顔色が暗くなるのが分かったのか、友宏に不意打ちで額を小突かれる。 「なに辛気臭い顔してるんだ。女子にいいところ見せるチャンスだろ? ほら顔あげたあげた」 「そう……だけど」 「ストライク投げさせてやるからしょんぼりするな」 「や、やれるもんならやってみろ!!」  誰のせいで落ち込んだと思ってるんだよ、そう文句を告げたかったものの言葉を飲み込むと、有言実行とばかりにあちこち触られるのだった。  ボウリングの後は友宏のバイト先へ訪れていた。創作料理が食べたいと女子が言い出したのがきっかけだ。  午前十時から十七時までたっぷりとアミューズメントパークで過ごし、二十分ほど歩いて移動する。アミューズメントパークでは、ボウリングだけではなくゲームコーナー、カラオケ、テニス、卓球、スカッシュなど様々な施設があり、もちろん飲食するスペースもある。昼食はそこで済ませていた。  電話で個室を予約し、日曜日だというのに待ち時間なしで店内へと案内される。顔見知りが多いので居心地が悪そうだが、滞りもなく二次会が始まった。 「まさか、どさくさに紛れて飲もうとしてないだろうな?」  誰かが頼んだビールジョッキに手を伸ばしかけると、すかさず友宏に突っ込まれる。聴こえない振りをして飲もうとすると、奪われてしまった。 「なにするんだよっ」 「いいのか? もし飲むんだったらお前の昔の恥ずかしい話、こいつらの前でするぞ?」 「げっ」  もしそんなことになったら彼女なんて夢のまた夢だよな、そう付け足されてしまいグッと押し黙る。下手に幼少時代を知られている腐れ縁だと、弱みをいっぱい握られてしまうので厄介だ。中学、高校、そして大学とまさか一緒になるなど夢にも思わなかったので、途中で私立に行かなかった自身を呪った。富裕層が集まる学校もあったが、生徒の人数は公立校が勝っていたため興味が引かれなかった。花嫁を探すという目的があったので、より人が多い学校を探して選んだ結果こうなってしまったのだ。 「きょ、今日はこっちにする」 「分かればよろしい。もし万が一、飲むようなことがあったら覚悟するように。過去を洗いざらいばらしてやるからな」  恐ろしいことを耳元で囁かれ、圭人はゾッとした。心当たりがいっぱいありすぎて、どのことを指しているのか皆目見当がつかない。人は黒歴史という、誰にも知られたくない過去を持っているものだが、圭人の場合は一つや二つではないので、幼馴染みという存在は自分の過去を知る恐怖の存在でしかなかった。立場を脅かされると本気で思っている。  汗を掻いたスポーツあとの身体を、キンキンに冷えたアルコールで癒そうと思った矢先なので不満も募るが、大人しく我慢しなければ圭人に未来はない。 それらを見ている事情を知る面々は、笑いを堪えるので必死のようだ。  そしてボウリングで勝負した結果は――。 「ストライクを六回出せたんだから、六回分なにか命令しなきゃな?」 「……帰りたい……」  みなが頬を染めてほろ酔い状態になっているのを羨みながら、圭人は焼き鳥をやけ食いする。焼き鳥は美味しい。美味しいのだが、圧倒的になにかが足りない。  しかし監視の目があるので結局、一人だけ飲めないのだった。  素面のまま帰宅し、どうすれば友宏よりも目立てるようになるのか試行錯誤する。恒例になっている反省会だ。なにかある度にその日を振り返り、二の足を踏まないようにしている。  外見が変わって取っつき易くなったのか、声をかけられる回数は格段に増えた。岡野以外の友人も、少しずつだができつつある。結果としては良好とも取れるだろう。  けれど行動に出たのが遅すぎたのか、もう学生の期間は一年を切っているのだ。これで焦らないわけがない。当初の計画からだいぶ逸れてしまっているので、早く彼女を作って大学卒業と同時に入籍しなければ。ファーストキスは奪われてしまっているが、一線を越えていない今ならまだ間に合う。  大学卒業後に入籍をし、父親の会社へ就職、世田谷にあるマンションの最上階に住みながら二人の生活を楽しみ、三十で親になる。半分以上台無しにされてしまったが、幼少から描き続けていた人生設計だ。  試行錯誤を繰り返すだけであっという間に深夜になっていた。睡眠不足は美容の大敵だと神部に注意されていたので、丑三つ時を差す時計を目にして慌てて布団をかぶった。ところが脳内は冴えているのでなかなか寝つけなかった。
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