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彼女がそっと胸の前で指を組み、祈りを捧げていると一陣の風が吹いた。裸木の枝がぶつかり合い、軋むような音が墓地に響き渡る。秋風にしては身を強張らせるほど冷たく、木々に囲まれた森からするはずのない磯の香りが風に運ばれて来た。思わず身震いをすると遠くに見えるヘーゼル山脈を見つめた。
ポートランド島の北西部に構えるヘーゼル山脈は毎年冬が訪れると激しい寒波が吹き荒れる。しかし、まだ枝から葉が落ちたばかりのこの季節は寒波が襲うほど気温は低くないはずである。この風と磯の香りは何処から運ばれて来るのか、周囲を見渡した。海から遠いこの地で磯の香りなど絶対にしない。
ありもしない香りに彼女は逃げ去るように墓地の入口に身体を向けた。後から思い返してみればこの時、既にそれは起こっていた。数秒早く気付いていればまだ逃げられたかもしれないが、それは全てを知った後に言えることだ。
墓石の間に細く伸びる入口までの道。暗い闇の淀みに包まれた入口からもう一度冷たい風が吹き荒れ、露になっている彼女の肌を掠めた。肌を刺すような鋭い刺激が身体全身に広がり、痛みのあまりか身体がふらついてしまった。
その時、誰かが身体に触れた感覚がした。彼女にとってその感覚は忘れるはずもないもので、幼い頃から触れてきたものだった。だからこそ彼女は疑い、頬に一筋の涙を伝わせ、そして――震えた。
裸木が骨を擦り合わせたような不快な音を立て、軋み合う。郷愁も哀しみも恐れも、全てを嘲笑うかのように不協和音を響き渡らせる。彼女はその音に耳を塞ぎ、苦悶に満ちた表情を浮かべた。
音が、音が、木々が、音が、反響し、半狂し、軋み――弾けて消えた。彼女は薄ピンク色のくちびるを震わせながら開き、「 」何かを口走ろうとしたが歯の間からは空気しか漏れ出なかった。何故ならその時、既に彼女の身体は背後から忍び寄っていた闇に呑まれてしまったからだ。
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