傍観者

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「警察を呼ばないと……」  少女は震える手で電話を握ると、コール音を聞いていた。金切り声を上げそうな表情ではない、無の表情。あまりの怖さに無となってしまった表情。目には空虚が見え、肌も青白くなっている。白地のT-シャツにまだらな赤が混ざった服を着た少女は、「はい」という声がしてホッとしたような表情をした。  人生で初めて110番をした。きっと、もう絶対に無い経験だと思う。いや、絶対に無い経験でなくてはならない。だから貴重な経験、といったら不謹慎だけど、これは貴重な経験なんだとアスカは思った。  コール音が鳴ってからすぐに「こちら110番です。事件ですか? 事故ですか?」という女の人の声が聞こえてくる。アスカはその声を聞いた途端、持っていた熱が外に出たように、涙がボロボロと零れた。 「お父さんとお母さんが、死にました」  なるべく聞き取れる声で言っても、涙のせいで上手く声が出ない。呂律が回らない。でもお姉さんはちゃんと聞き取れたみたいに、穏やかな声でアスカに声を掛け続けてくれた。 「名前、教えてくれる?」 「アスカ……ミノワ、アスカ」 「アスカちゃん。今、周りに大人はいる?」  アスカはくるりと振り返ると、人影を目に入れながら首を横に振った。「いない」という弱々しい声を、人影を見ながら言う。大人は、いない。嘘は吐いてない。大人は、ここにはいない。 「お父さんとお母さんはどんな様子?」  お姉さんは穏やかな声ながら惨い質問をしてくる。それでも今のアスカにはお姉さんの声だけが便りで、必死になって状況を説明した。  血がだらだらと流れてます。息はしてません。胸にはナイフが刺さってます。二人共です。仰向けになって目を開けたまま死んでます。  ナイフで刺されてる、という言葉で一気に向こうの空気が凍ったのが分かった。お姉さんも微かに声が動揺している。
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