14人が本棚に入れています
本棚に追加
私と父が一緒に暮らすようになったのは、ちょうど二年前だ。同時に二年前は母が死んだ年だった。
当時の私は50歳で、区役所の事務員を、定年まで勤めあげることを目標に生きていた独身男だ。今もそれは変わらない。
実家は近くにあるが一緒に住んではいなかった。若い頃、なかなか身を固めない自分に小言をいう父親が嫌で家を出た。一人息子の貴方が私達が居なくなった後、一人になるのを心配しているのだと母は宥めたが、それさえも鬱陶しく思った。
父と母はごく普通の夫婦だと思う。父は頑固で小言が多かったが、母はおおらかで何でも受け入れてくれる人だった。その母が認知症になってから、父の介護生活は始まったのだけど、自分はそれを知っていながら全て父に任せていた。時々実家に行くと、衰えていく母親や下の世話をしている父の姿が嫌で目に蓋をしたくなる衝動にかられた。父が大変そうだと理解しながらも、忙しいことを言い訳にして実家に行くことを避けてしまった。
二年前の突然の電話で自分の生活は一変した。夕食時だった。夕飯のマグロを喉に詰まらせてあっけなく母が逝った。それを機に24年ぶりに父親と暮らすようになった。
「田添さん、田添悟さんのご家族さんですか?」
全身防護服に身を包んだ先ほどの女性が私を呼んだ。女性の慌てぶりからただ事ではない雰囲気が滲みだしている。
「...は、はい!」
私は急いで立ち上がり、女性の方に向かう。
「今、お父様は大変危険な状態でいつ何が起きるか分かりません。医師の方から話がありますのでこちらに来ていただけますか?」
目の前が、真っ暗だ。
パソコンのある個室に案内され、若い男の医師が映像を見ながら淡々と説明する。医師の言葉がなかなか頭に入ってこない。一通り説明をすると、直ぐには答えは出ないと思います。ご家族さんと相談されてからお知らせくださいと言われた。そしてもう少し処置をしてからICUに移動するので、暫く待っていてくれと元の場所に戻された。
さっきの場所には他の人が座っている。年を取った草臥れた男性の前には車椅子に乗った老女がいる。もうその老人の隣にしか席はなく、仕方なくそこに腰を下ろした。
何を言われたんだっけ?
急性心不全で、入院中に亡くなるかもしれない?それからなんだっけ?
ああそうだ。
延命措置をするかどうか聞かれたんだ。
突然孤独感が襲い、渡された同意書を握りしめた手が震え出した。
最初のコメントを投稿しよう!