春の終わり

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じゃあ男の人・・・と思ったこともあるけれど、周りの男性には全く興味が湧かず、かと言ってそういうハッテン場に行く勇気もない。 そんなわけで、オレは男としては枯れた日々をただ過ごしているだけだったのに・・・。 なんで今さらオレのところに来るんだよっ。 春の麗らかな昼下がり、なんでオレは男に手を掴まれて見せ物よろしく街中を歩かなければならないか。 さっきから離そうと手を引くものの、それ以上の力で握られて離せないでいる。 昨今、テレビドラマでもこの手のテーマが取り扱われ始め、世間の認知度も上がったとはいえ、まだまだそこら辺に普通にいる訳ではない。しかもドラマよろしく、バリバリのイケメンの風磨は隠れ(?)腐女子の皆さんの心を鷲掴み、壁に徹しようとしてくれてる努力も虚しく思い切りガン見されている。 明日からここ歩けないじゃん。 ここに住んで早7年。引っ越す予定もないオレはここを毎日通るというのに、これじゃあ恥ずかしくて歩けなくなる。 手を離せないなら早くここから去らなければと、できる限りの早足で歩くこと5分。ようやく家にたどり着いた。そして鍵を開けようとしたところでふと気がつく。 「お前、どこまでついてくるんだよ」 早く帰りたい一心で、風磨の存在を忘れていた。まさかこのまま部屋に入る気じゃないだろうな。 「え?二千翔が引っ張ってきたんじゃん」 「引っ張ってない。お前が離さなかっただけだろ?」 そうだ。オレは何度も離そうとしたんだ。なのに、風磨はそんなオレの言葉にしゅんとする。 「オレを助けてくれるんじゃないの?」 「助けるなんて言ってないだろ?」 大体どの面下げてオレのところに来れるんだか。お前はオレを犯して写真で脅して好き勝手したあげく、3年前に女のところに行ったやつだぞ。 なんだかだんだん怒りが増してきたオレに気付いているのかいないのか、相変わらずのイケメンぶりでふわっと笑う。 「でもここまで来たんだから、ちょっとお茶でも飲ませてよ」 その言葉にオレは思いっきり顔を顰めた。なんて図々しいんだ。なのに、そんなオレにもめげず、風磨は笑顔のままポケットに手を入れると鍵を取り出した。そして鍵穴に差して・・・。 ガチャ。 え? 驚くオレの目の前で、鍵を開けた風磨はオレの手を引きながらまんまと部屋に入ってしまった。 「なっ・・・鍵・・・!」 あまりのことに口をパクパクさせるオレの目の前で、風磨は再び鍵をポケットに入れた。 「オレ、ここの鍵返してないよ?気づいてなかったの?」 ・・・そういえば、荷物をまとめて出ては行ったが、鍵は受け取っていない・・・。 今の今までそれに気づいていなかったオレは、顔から血の気が引くのを感じた。 まさか今までも、知らないうちにここに入ってた・・・? そんな考えが顔に出たのか、勝手知ったるなんとやらで靴を脱いで部屋に上がった風磨は笑って否定した。 「あれから鍵使ったの今日が初めてだよ。いくらオレでもそんなストーカーみたいなことしないよ」 そう言ってカラカラ笑うと、リビングに入ってしまった。それを慌てて追いかけると、ちょうど風磨が電気ケトルに水を入れてスイッチを押すことろだった。 その姿を見てオレは一瞬、3年前に戻ってしまう。一緒に暮らしていた頃、帰ってくるとすぐにコーヒーを入れるのは風磨だった。 当たり前のようにキッチンに立ち、慣れた手つきでコーヒーを入れる風磨。なんの迷いもなくそれが出来るのは、そこが3年前と何も変わっていないからだ。 風磨が出ていって、引っ越そうと思ったこともある。そこまでしなくても、せめて模様替えでも・・・。だけどオレにはそれが出来なかった。この部屋には風磨との思い出がたくさんあったからだ。いま入れてくれているコーヒーもそうだ。
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