春の終わり

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実は電気ケトルは一度壊れたのに、全く同じものをまた買ってしまったのだ。インスタントコーヒーもマグカップも3年前と全く同じ。この部屋のものを、オレは何一つ変えることが出来なかった。 未練だ。 オレのことなどセフレかオナホくらいにしか思っていない風磨のことを、うっかり好きになってしまったオレの悲劇。 決して叶うことのない虚しいだけの思いなんて、気付きたくなかった。だけど気付いてしまったから、どうにか自分の中で折り合いをつけなくてはならなくった。 オレはそれを仕事の忙しさに紛らわせて、考えないようにしてきたけれど、それでもふと、家のあちこちに散らばる風磨の痕跡に心が痛んだ。だから一度は視界から消そうと全てを片付けたのに、今度はそれらがないことで本当にいなくなってしまったという現実に押し潰されそうになってしまった。 それで結局元に戻したのだ。 オレは辛い現実から逃げ、最後の1週間のようにしばらく留守にしているだけだという体を装うことにした。そうして過ごしていたらいつかは思いも冷めるだろうし、新しい出会いもあるかもしれない・・・なんて思っていたけれど、結局いまに至ってしまった。 だけど、たとえあまり実感がないにせよ、3年も経てば何かが変わってるはずだ。なのにまた本人登場で、気持ちがリセットされてしまうかもしれない。 お前はほんの気まぐれ程度でここに来たかもしれないけど、オレのこの3年の努力が無駄になるかもしれないんだぞ。 なんだか本当に腹が立ってきた。 考えてみれば風磨とのことは、最初からオレには一つも非はなかった。強いていえば酔って寝てしまったことくらいだ。なのになんで、こんなにも長い時間苦しまなきゃいけないんだ。 そう思って風磨を睨むけど、当の風磨は呑気にカップにお湯を注いでいる。お揃いの色違いのマグカップ。ひとつにはなみなみとお湯注ぎ、もうひとつには半分だけ。それに砂糖を2杯入れるとスプーンでかき混ぜて牛乳をたっぷり注ぎ込む。 オレの好み、ちゃんと覚えてたんだ。 甘いコーヒーじゃないと飲めなくて、おまけに猫舌だから牛乳をいっぱい入れて冷ましたコーヒー。それを風磨はオレの定位置に置いた。 いつもごはんを食べる小ぶりのダイニングテーブルの、2人で暮らしていた時のいつもの席。そこに3年前と同じように当然のようにカップを置く風磨。 本当に3年前に戻ったようだ。 当たり前だった光景が、当たり前じゃなくなった光景。この3年、オレは一人だった。 「そういえば二千翔、彼氏出来た?」 オレの複雑な心とは反対に、いつもの口調で風磨が訊いてくる。 なんで彼氏なんだよ、腹立つな。 「そこは『彼女』だろ?」 なのに風磨は何言ってんの?と笑う。 「二千翔に女の子は無理でしょ?」 その決めつけた言い方にさらに腹が立つ。 「そんなのお前に関係ないだろ。大体なんで来たんだよっ」 助けてくれとか何とか言ってたけど、さっきのような切羽詰まった感じがない。 嘘だったのだろうか? 「ここに誰か来たりした?」 シカトかよ。 「だから・・・」 「このカップも違う男が使ったのかな?」 手に持った自分のカップをじっと見る風磨は、顔は笑ってるのに目は笑っていない。その顔に一瞬ぞくりとする。 「誰も来てないし、使ってないよ。それ、お前のだろ」 すると風磨はカップをテーブルに置くと、オレの方に向かってきた。 なんだか怖い。 「恋人は?」 「今はいないよ」 「今は?前はいたの?」 オレはその質問には答えなかった。 オレは風磨以外と付き合ったことは無い。後にも先にも風磨だけだ。だけど、風磨にとってはそれは付き合いではないし、オレは恋人ではない。 オレだけが付き合ってたと思ってることを知られるのは癪に障る。 オレは風磨を無視してダイニングテーブルに向かった。 「オレの後、恋人いたの?」
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