0人が本棚に入れています
本棚に追加
1. 異世界への招待
その日も残業だった。大学を卒業して就職してから三年間、一日だって残業が無い日は無かった。
入社当日から今日までだ。酷いときは休日出勤。残業は全部サービス残業。
文句を言えば「お前が仕事ができないのが悪い」と言われて、明らかに時間内に終わらない仕事を押し付けてくる。
クソッタレ。
本当にクソッタレだ。
たまの休日は疲労回復のために寝てるか、近所のスーパーに買い出しに行くのが精一杯。
会社に同年代の女なんかいやしねえし、先輩たちの中に外の女と接点がありそうなのもいない。
合コンって何だ?出会いって何だ?
俺の人生はこのまま会社に食いつぶされて、いつの日か独居老人の死としてニュースになるのか?
「ブラックだ……」
呟いた瞬間、俺の視界は光に包まれた。白い光に。
眩しいとは一切思わなかった。ただ、白い光で視界が完全に閉ざされた。
俺の足は驚きで止まり、光が引くのを待った。
それほどの時間じゃない。二秒か三秒か。長くても五秒は無かったと思う。
次に視界が戻ったとき、そこは俺の帰り道ではなかった。
石壁の部屋。
よくわからないからとりあえず辺りを見回す。
窓は石造りのアーチ状の窓があるが、雨戸とかガラス窓みたいなものはなく、完全に採光だけを目的としているようだった。
部屋の大きさは大体二十畳あるかないかか?流石に八畳を越えるとどうにも部屋の大きさの感覚がつかめない。
俺を囲むようにフード付きパーカーの長いのを着た人間が……ああ、アレだ。昔ファンタジーアニメで見たローブってやつだ。よく、老魔術師とかが着てるヤツ。
後ろの方には三人くらい武装した男がいるのは分かった。
分かったからと言って何ができる訳でもないが、少なくともここが俺の住んでいた世界ではないということは間違いない。
「まさか、現実にあるとは思わなかったなぁ……異世界転移とか。あんなの漫画だけの話だろ……」
「言葉が分かるのか?」
俺の正面にいるフードを被った男が俺に声をかけてきた。
確かに、言葉が通じる。
どう答えたものかな?と一瞬考えたが、ここで無駄にわからないふりをしても意味がないだろう。
むしろ、意思疎通が図れることを理解させておいた方が得策だ。
「ああ、どういう訳か知らないけど、アンタが何を言っているのかは分かるよ」
俺は言って窓をもう一度見た。
明るい。
俺は夜の十時まで仕事をしていてその帰りだった。
町の明かり以外には無いはずだった。
だが、窓から光が入ってきていて、これほど明るいということは、多分昼間なんだろう。
「今、何時だ?」
俺が訊くと、目の前の男は何も喋らなかった。
言葉は通じているよな?
じゃあ、なんで答えない?分からない言葉がある?
「今は朝飯前か?昼飯の後か?」
俺は質問を変えた。ひょっとしたら……というか、時間に対する考え方が違うのかも知れない。
「朝食は終えている。その後、すぐに集まって術を展開した。この術には時間がかかる。昼食の時間はもうすぐだ」
「分かった。俺はここに来る前、夜、飯を食う前だった。働いた後ですごく疲れている。まずは飯を食わせてくれ。そして、一度寝かせてくれ。お互い言いたいこともあるだろうし、聞きたいこともあるだろうが、それは全部後回しにしてくれ」
俺は自分が言いたいことを一気に言った。
多分、向こうからしたら「召喚された者が何を勝手なことを」とでも思っているかもしれないが、そんなことは知ったことではない。
こっちだっていきなりこうやって訳も分からずに召喚されているんだ。勝手を言うことくらい大目に見てほしいものだ。
俺の声はそれほど潜めてはいない。むしろ、部屋にいる他の連中にも聞こえるくらいの声で話をしている。
予想通り、回りはざわつき始めていた。
そりゃ、そうだろ。向こうとしては自分たちが上、俺が下の存在だと思ってる。
その下の存在が不躾に自分の要求を突きつけているのだ。理知的な奴らでなければ、俺は殴られたり殺されたりしていてもおかしくはないだろう。
だが、ただ一人。
ただ一人、俺の目の前の男だけは静かだった。
しばらくざわつきが収まらない。
俺は相手の答えを待っているが、目の前の男は違うようだ。むしろ、間を計っている感じさえある。
「分かった。部屋を用意しよう。食事も運ばせる。起きて、十分気分が整ったら、ドアをノックしてくれ。お前の言うように、話はそれからだ」
最初のコメントを投稿しよう!