初恋にも満たないお話

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初恋にも満たないお話

ある日のことだ。 雨が激しくて、とてもじゃないが外出しようなどとは思えない天気。 だからといって日課なのだしサボるのも居心地が悪いからと、汚れてもいい服を着てレインコートを羽織り傘を差した。 傘に跳ね返る雨音が激しいリズムを刻んで面白い。持ち手は上下運動に耐えるのに必死だ。電車で何の支えもなく立っているより大変。 視界は上から下に落ちる線でぼやけている。通りがかった家の屋根から傘、地面へジュボッと川ができた。面白い。でも寒い。 靴は既にジュクジュク。スニーカーで来たのがそもそもの間違いだと気づくも、後の祭りだ。 そうして辿り着いたのは、ある空き地。 家から持参した空き缶を、雨風で倒れてはいけないと排水口の傍、水捌けの良いところへ置き、飲み口に差し込んだミニ花束の向きを整える。 屈みながら傘を差しつつ、目を瞑って手を合わせた。 「……っ……はぁさむ…」 目元が狭まり唇が軽く震える。薄く空いた口に湿気混じりの重たい空気が入り込んだ。 「またな」 遠ざかっていく人影を、くるくると回るミニ花束だけが見送った。 「幸せならわらいましょ! トントン幸せならわらいましょ、トントンッ幸せなら」 「うるさいな、静かにしろよ」 機嫌よく歌っていた少女は、難しそうな本から視線を離さない少年を見遣った。 「あら、ごめんなさいアナタ」 「はあぁ、何なんだよお前。その呼び方はやめろ」 面倒臭そうに本を閉じた少年は、にこやかな表情の少女へ睨みを効かせた。それに対し肩をすくめるばかりの少女。 二人は小学校からの仲だった。もうじき来る高校受験を乗り越えれば、別々の学校に通うことだろう。なぜなら彼女の志望校は女子校なのだ。まかり間違っても男子という意識の抜けない自分は行けないし、行くつもりもない。 「あと少しで離れ離れなのよ、少しは惜しんでくれてもいいじゃない」 「恋人同士ならともかく、俺たちはそんなんじゃないだろ?」 「この、反抗期め!」 「うるさい」 何故かこいつとは長くつるんで…いや、絡まれるせいで一緒にいることが多かった。 ようやく静かになると内心でせいせいしながら、大して気にしていない少女に目を留める。 途端に嬉しそうに笑うのだから、邪険にしつつも憎みきれないでいた少年。いわゆる思春期だった。 日々は遠く、今となっては昔のこと。かつてを思い返してみると、好意に近しい感情があったのだと気づく。 死因はなんてことのない、当たりどころが悪かったための脳内出血だった。 面白みがないな、あいつらしい。 そう思った自分に、背筋が冷えた。 本の中のような刺激的なミステリーなどなく、だが死は突然訪れた。 いつかは自分も、自分の家族や友もきっとそうなるだろう。 それが報いになるのかもしれないと考えたら、濁ったうねりが喜びの声を上げた。知らず識らず口角を上げる彼は、少年時代に嫌った大人の顔を浮かべていた。 あいつの夢は、看護師だった。 3Kとか言われていたとしても、やはり立派な仕事だろう。意外と図太いあいつなら、きっと上手くやると思っていた。勿論口にはしなかったが。 互いに何を目指すのかを語り…強制的にやらされて、いつもの言い合いをして、…楽しかったのだろうな。 戻ってこない過去も、あいつも、俺の中の一部であり、死んでいないから大丈夫だと思った。 あいつの葬式であいつの両親が泣いて、俺は何も言えなかったし寧ろ自分はいないほうがいいと思った。 ただの同級生に過ぎなかったし、他人で、友達かすら曖昧で。 あいつの両親は、俺に来てくれてありがとうと言って、それが社交辞令か本音かはわからないが俺は頷くばかりだった。 子供はこんなもんだ。 同窓会など、行く気もなくてゴミ箱に捨てた。あいつがいないから、と頭の中の俺が言った。 爺さんになっても、俺はあいつを忘れないんだろうと思う。伴侶ができるかはわからないが、申し訳ないが忘れないと思う。 自殺して地獄についていくほどの好きではなかった。 あいつの死因を作った奴等を絞めに行くつもりもなかった。 俺にできることは、意外と寂しがりなあいつに毎日会いに行くことだけ。 死んだあいつにはもう会えない。 好きだなんて虚しいだけだ。 涙なんてくだらないし、あいつは俺に笑ってほしかったはずだ。だからいつも音を外した妙な歌で、俺の気を引いていたのだから。 幸せなら笑いましょ! トントン 幸せなら笑いましょ、トントンッ 幸せでもそうではなくっても、ほらみんなで笑いましょ、トントンッ! ポツリポツリと弱い雨音が聞こえる。あの激しすぎた天気は、どうやら走り去ったようだ。 「ーーー幸せでもそうではなくぅっても、ほらみんなでわらいましょ、トントン… はぁ、なんでトントンなんだよ………あいつはほんっっとに、馬鹿だなぁ………ははっ」 雨は降れども降らねども、曇った窓ガラスに映る少年、…青年は、やはり少年時代に嫌っていた、大人の顔を浮かべるのだった。
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