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「ふぅ……、今日でこの景色も見納めか……。」
窓際に立った俺は、揃えた中指と人差し指を口元から離しながらため息をついた。
市庁舎から見える景色は、いつ見ても……特に何もない。3階建てだから。
「いや煙草吸ってないし、そもそもあなた口開きっぱなしだし。」
まったくうるさい奴だ。こいつに俺の地位を明け渡すというのか。信じられんな。
「先輩、そろそろ帰ってくださいよ。明日からは僕がこの市のマスコットキャラクターなんですから!」
「何だよぅ!最後くらい感傷に浸ったっていいだろう!」
腰に手を当て奴に向き直る。うっ、眩しい!
奴――市の新マスコットキャラクターの頭は星型で、いやにキラキラしている。
頭で予算を使い果たしたのか、体は黄色い全身タイツだ。
何故これでGOサインが出たのだ。
理解に苦しむ。
俺とそこまで変わらない気がする。俺は申し訳程度の顔と手足が付いた、ただの黄色い球体だ。
さっき奴が指摘したとおり口が常に開いていて、ここにも我が市の予算不足が垣間見える。
口をパクパクと開閉させる機能にはお金がかかるものな。わかるわかる。
「というか!何で市の名称を変更するんだよぉ!うちの市は2年前に出来たばっかりだぞ!?」
俺が喚くと、奴はにやりと笑った。
いや、にやりと笑った気がするだけだ。
何しろ奴にも口を動かす能力はない。
「それは、宵の明星はちょっと暗い感じがするからじゃないですか?これから夜になるっていうときに見える星ですし。」
「ぐぬぬ……まあ、それもそうだが。」
「諦めてください、”旧”マスコットキャラクターのビナスくん!」
「くーっ!」
俺たちの市は、2年前に3つの町が合併して誕生した。
市名は3つの町の住民の公募で決められたのだ。
それが『宵の明星市』。
宵の明星とは、日没前後、西空に輝く金星を指す言葉だ。
「星が綺麗に見える市だから」「響きがかっこいいから」というのが理由らしい。
星が綺麗に見える市って、要するに何もないってことじゃないか?
いや、星が綺麗に見えることはいいことだけどさ。
それはさておき、新しい市の誕生を祝って、またこれからの市の発展を願って、俺が生み出された。
その名もビナスくん!
金星を英名にしただけの潔いネーミングセンス。
俺は悪くないと思っているぞ。
俺は市のマスコットキャラクターとして存分に働いた。
市のイベントがあれば駆け付け、手を振り、記念撮影にも応じた。
広報紙にだって載っている。
おまけにもうすぐ俺のグッズがつくられる予定だったのだ。
俺のアクリルキーホルダーと缶バッチ、とびきりかわいいはずだぞ。
しかし……。
3か月前、市長が変わった。新市長はなんと、「市の名称を変える」ことを公約にしていたのだ。
元々、「3つの町の昔からの名前を複合して使ってはどうか」という声が大きかった。
新市長はそこに目をつけたらしい。
なかなかの切れ者かもしれん。
かくして、我が市は明日から『宵の明星市』ではなくなる。
同時に、俺もマスコットキャラクターから”卒業”というわけだ。
納得がいかない!俺のキーホルダーと缶バッチは!?
「ひどい仕打ちだ!せめて俺のグッズを出してからにしろ!」
「無理です先輩。僕のキーホルダーと缶バッチが出ます。来月。」
「はぁ!?」
こんなキラキラした奴の缶バッチとか、目が痛くなるわ!
ふと俺は気づいた。こいつって頭が星型でキラキラしているよな。
え?何をモチーフにしたキャラクターなんだ?
もちろん新しい市の名前にちなんだキャラクターのはず……。
いかんいかん、俺は自分の卒業に気を取られて、新しい市の名前を知らなかった!
「なあ、ひとつ聞いていいか?」
「何ですか?」
「新しい市の名前って、何だ?」
俺は恐る恐る尋ねた。
すると、奴は勝ち誇ったように言った。
「『明けの明星市』ですけど?」
「はぁ!?」
はぁ!?『宵の明星市』から『明けの明星市』に変わるだと!?
どっちも金星じゃないか!
「ちなみに、僕の名前は『キラリくん』です。」
「……俺、卒業する必要なくね?」
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