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「東風を呼べ」
私を呼ぶ人はいない。
「はい」
ヒワは、その長い髪をそよがせる。
足を綺麗に組み、すいと背を伸ばす。
鼻から冷たい空気を吸い込み。
朝陽の昇る東の空を見つめる。
今年最初の東風。
遠い天空に、その裾を漂わせる風。
「風よ…」
ヒワの口が、滑らかに唄いだした。
人がまだ、大地の果てすら知らない時代。
神が世界を支配していた頃。
とある大陸。
海から遠く離れた山の中。
森の深く。
木々の合間に。
空渡りの一族はいた。
川沿いに天幕を張り巡らせ、里を作り、渡りの拠点をいくつも築いている。
ヒワがいるのは、最も東の里。
冬は雪に覆われて、街からは忘れ去られたように隔絶する。
夏に蓄えた食糧と、少しの狩猟で冬を越えて。
今日は。
今年最初の東風を呼ぶ。
天幕を張った里から、川沿いに少し降ると、木々がなく開けた平地がある。
昔、川が氾濫し土砂が流れた跡だろう。
新しい木が生えないよう手入れをして、発着場にしている。
この里で冬を越した4組の空渡りが、最初の東風を待って、慌ただしく支度をしていた。
球皮の破れがないか確かめる。
ロープを手早くまとめる。
ガスボンベを積み込む。
炎を焚き、熱気を送り込む。
ゆっくりと。
色とりどりの気球が膨らんでいく。
「父さん、母さん。
気をつけてね」
渡り支度を整えた両親を、ヒワは見送る。
短く切り揃えた髪。
身体にピッタリと巻きつく、暖かい服。
一族の大人は皆、空渡りとして生きるのだ。
1年中あちこちを飛び回り、冬になると里に降りる。
子どもたちは里のみんなで育てる。
大きい子が小さい子の面倒を見て、老いや怪我で渡りを辞めた大人や、冬に帰り着いた大人が、渡りの仕方を教える。
12歳になったら、親や兄姉について渡りを始め、やがて独り立ちしていく。
しかし、唄うたいのヒワは違う。
「ヒワも、お勤め頑張って」
母が手を伸ばし。
唄うたいの証である、黒く長い髪を撫でる。
「うん」
ヒワは今日、14になった。
今年も気球には乗らない。
それは名誉なことなのだ。
ヒワには風が見える。
唄うたいの才能がある。
ヒワがこの里を守り、一族を守っているのだ。
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