くるまの一生

3/8
前へ
/8ページ
次へ
「でも、こうやって運転もできない年寄りが一人で乗れるというのは、本当に有難いことね。おかげで買い物難民にもならなくて済むし」  確かに、生活や通院の足がない独居老人の孤立が、一昔前には問題になったものだ。  老化で身体能力が落ち、車の運転が難しくなる一方で、衰えた体では車がなければ日常生活が立ち行かなくなる。年金暮らしでタクシーを多用するわけにもいかない。  事故を起こした高齢ドライバーに対して、車を手放せ、運転するな、と責める声もあったが、それは死ねという言葉に等しかった。  そんな行き詰まった高齢社会に、救世主のごとく現れたのが僕たちだった。  僕たち新時代の乗り物が高齢者のために働くようになり、今ではこの問題はほとんど解消されたと言っていい。 「あとね、くるまさんにはわからないでしょうけど、独り身になっても道中、話し相手のいる移動というのは嬉しいことなのよ。あら、でも人一人載せて走りながら、こんなばあさんの話し相手なんて大変かしらね」 「いえいえ。僕の体からすればカオリさんは十分に軽いから」 「そうね、立派なボディですものね」  僕は前を向いて走っているので、自分に乗っているカオリさんの表情は窺えない。  でも、後ろから聞こえる声色で彼女が今どんな顔をしているのか、どんな心持ちなのか、想像するのは難しくなかった。  移動手段として乗るだけ乗る他の人間とは違って、カオリさんは単なる乗り物でしかない僕にいつも話しかけてくれる。さん付けで呼んでくれる。  カオリさんと出会う前には想像もしなかったが、そんな彼女の応対が今では僕の毎日の励みになっている。  別の世界を生きているはずの僕とカオリさんは、いつしか言葉を交わし合い、心を通わせ合っていた。  乗り物に与える燃料など最低限で問題ない――。そんなふうに僕らの待遇は(ないがし)ろにされがちだ。  しかしその風潮の中でカオリさんは僕の食料にも気を配り、質の良いものを余裕を持って補給してくれる。  そんなカオリさんに僕が返せるものと言えば、ただ実直に安全運転をすることだけだ。  昔の自動車の乗り手と違って現代、僕に乗るカオリさんは公道を走る技術も知識も持ち合わせていない。  安全で快適な走行の責任は全てこの身に委ねられているのだと、僕が意識しない日はなかった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加