くるまの一生

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「お願いします! お医者さまを呼んで!」  あろうことか、カオリさんのために訪れた病院で、先に診察台に乗せられたのはカオリさんではなく、僕だった。  運ぶのが仕事であるはずの僕は、駆け寄ってきた病院のスタッフに運ばれ、気付けば、背の低いカオリさんの目線の下で横たわっていた。  普段は背中越しに声を聞くばかりで、直接目にする機会の少ないカオリさんの顔が青ざめていくのを、僕は朦朧と眺めた。 「少年期からの薬物摂取および不摂生で、心臓を中心にかなり深刻な容体(ようだい)です。もう手の打ちようがない。残念ですがあと数時間ほどでしょう」 「そんな……くるまさん!」  僕の処置をした医者の言葉にカオリさんは泣き崩れた。  いつも明るいカオリさんの涙を見るのは、なんてつらいんだろう――。 「カオリさん、帰りは送ってやれなくて悪いね。それに、もう呼ばれても駆けつけることもできないみたいだ」 「何言ってるの、そんなことどうだっていいわ! あなたは私にとって、もう大切な家族同然なのよ。なのに、なのに、こんなことって……」 「あなたにとって単なる乗り物に過ぎない僕のことを……犯罪者として忌み嫌われた、服役中の僕なんかのことをそんなに……まいったな……」  一生で流したことのなかった涙というものが、僕の眼から溢れてくるのに気付いた。  罪を犯した人間が高齢者の(アシ)であるこの時代、これほど身に余る言葉を受ける者が他にいるだろうか。  AIによる自動運転車は、安全性についての議論が紛糾した末、責任の所在が問題となって実用化されなかった。  その代わりに高齢者の生活の保障と抱き合わせで始まった、この国の刑罰。  それは、足腰の弱くなった高齢者をおぶって、文字通り“足”となることだった。  高齢者の乗る自動車を、受刑者に運転させる案が当初は出された。  しかし実験的に何人かを運転席に座らせた結果、自暴自棄になっていた受刑者が故意に、高齢者を載せたまま小学生の列に突っ込む悲劇が起こった。  そんな経緯で、より危険度の低い、原始的な方法が選ばれた。  そうして僕たち犯罪者は体を張って、現代社会の移動手段になった。  呼ばれるまでもなくそこに待機していて、自らの背中を差し出す。僕は新時代の“乗り物”だ。
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