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合流ポイントで昭仁は自車の前に車を入れた。ハザード二回の点滅。少し進むとまた一台が右にウインカーを出している。昭仁は当然のように前に空間を作る。そしてまた前の車がハザードを二回点滅させる。無言の「ありがとう」の光がフロントガラスの雨粒に映る。
私の予想は当たっていたようで事故で一車線が塞がっていた。パトカーのライトがくるくると回っている。警官が車線変更を促して棒状のライトを振っていた。張り付いてはワイパーに落とされる雨粒ひとつひとつにあたった光が屈折して色を放つ。小さな金平糖を撒いたようにフロントガラスに散った雨粒は、一瞬のうちにワイパーで落とされ、また着いてまた光る。きらきらと光り、一瞬でなくなる。
助手席から手を伸ばしてワイパーの動きを一段遅くしていた。昭仁が不思議そうにこちらを見る。ハンドルを握ったまま、ようやく彼は私の方を見た。きらきら光る雨粒はさっきより少しだけ長くフロントガラスに張り付いてからワイパーに落とされた。
気がついただろうかと思う。こんな風に渋滞していなければ、雨の夜に事故に遭遇しなければ、金平糖のような雨粒の光に気がついただろうか。
事故の横を抜けると渋滞は緩和されていく。二車線の道が流れ始める。そのとき右車線にいた車がウインカーを出した。昭仁は自分の前にスペースを作る。チカチカと二回ハザードの点滅。
「真面目で優しいだけが取り柄の……」ふと義母の言葉を思い出していた。優しさはずっと変わらない。でも真面目だった彼を惑わせたものはなんだったのだろう。
優しい昭仁は、上司との不倫に疲れた彼女の相談を断れなかったのかもしれない。たった一度の関係はその延長にあった。
彼のなかにあった淋しさのようなものが、彼女のそれと共鳴してしまったのかもしれない。
結婚して十年。年齢とともについてしまった背中の贅肉のように、私の心にも無用のものはついていなかっただろうか。あたりまえになった日常のなかで、きらきらと輝くものを見落とし、誓った頃の純粋な気持ちを忘れ、かけてはいけない場所にモザイクをかけて、昭仁を、夫婦生活を見てはいなかっただろうか。
流れる時のなかで私は昭仁を理解しようとしていたのだろうか。平和な日常を持続するための努力をしていたのだろうか。
後部座席の喪服を思う。義母が召されたら昭仁に渡そうと市役所で貰った離婚届は、まだデスクの引出しにある。
「……でも僕は君の選択に従う」と昭仁は言った。
私にもう一度、考える時間と機会と、小さな大切なことごとを思うきっかけをくれたのは、義母なのかもしれない。
フロントガラスの向こう、またハザードランプが二回光った。
〈 fin 〉
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