顕現

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顕現

 軽い気持ちだったのだ。何もかも上手くいっていなくて。仕事も恋愛も友人関係も。何ひとつ満足いってなかった。二十五を越えた頃から不満は肥大していっていたように思う。仕事は中堅に着々と近づき、責任だけが重くなって、賃金は一向に上がらなかった。恋愛は閑古鳥だった。でも婚活なんてみっともなくてしたくなかった。友人はどんどんと結婚し家庭を築き子を産み家が自らのすべてとなっていた。そうなると私は話題についていけなくなった。田舎から上京して一人暮らし。孤独だった。三十歳は目前だというのに。三十歳といえば母はとっくに私を産んでいる年齢だ。何もかも面白くなかった。だから、軽い気持ちだったのだ。あそこへ行ったのは。  そこは、一部の人たちにとっては有名なパワースポットらしい。住宅街の片隅に、あまりにも唐突に現れる。小さすぎて見逃しそうなくらいだ。こんなところに行っているのを誰かに見られたら大変だと思って、夜に行ったせいもあるかもしれない。仰々しい飾りは何もない。鳥居もお札も祠もなにもない。ただ、真新しい注連縄は張られていた。私の膝よりも低い位置に頂点があるくらいに小さい岩に、直接張られていた。岩の古さはわからない。だが、ほとんど全体がつるつるとしていた。完全な球体ではなく勿論歪だったが、人工的に研磨された墓石のようだった。その岩を撫でる。これで望みが叶う。ネットではそういう触れ込みだった。私は迷わずにごしごしと半ば擦るような勢いで岩を撫でた。お願いしますお願いします、何とかしてください。全部上手くいくようにしてください。お願いしますお願いします。無意識に口に出していたかもしれない。ごしごしごし。ぶつぶつぶつ。ふ、と我に返って、慌てて岩から手を離した。逃げるようにその場を離れた。本当に、軽い気持ちだったのだ。そんな胡散臭いところ。信じているはずがないじゃないか。  次の日から、何か嫌なことがあると、身につけた衣服に付いているポケットのどこかに石が入るようになった。仕事の制服のスカート。寝間着にしているジャージ。プライベートで着ているワンピース。場所も服も選ばなかった。ポケットがない時はコツン、という音をたてて石は地に落ちた。浴室で全裸の私はそれを拾った。どれもこれもそれぞれ形が違い、ビー玉くらいではあるが大小が微妙に異なっていた。一週間で石は三十七も現れた。なんだよこれ、というのが率直な感想だった。私は、現れるたびに石を拾い、それらを一箇所に集めていた。得体の知れない石の対面に座りながら食事をし、スマートフォンを操作し、化粧をした。石は何もしなかった。現れるだけ。例えば大嫌いなあの上司の頭を撃ち抜くとか、輝きを発して異性を惹き寄せるとか、会話が可能になって友人になるということはなかった。ただ現れるだけ。  なんだよこれ、私は石の山を見る。歪でごつごつとした石たちは、綺麗でもなんでもない。その辺の砂利と大差ない。やはりあの岩は胡散臭いだけの代物だった。私は馬鹿らしくなって、石を全部抱えて、ベランダに出た。私の部屋は一階で、ベランダの向こうは用水路だ。私はひとつひとつ石を用水路に向かって放り投げた。ちゃぽん。ちゃぽん。三十七回投げて、私は部屋に戻った。私は一体何に祈ればいいのだろう。  その日以来、石は現れなくなった。  許さない。絶対に許さない。毎日寝ても覚めても息をする限り私はすべてを呪っていた。許さない。絶対に許さない。姉さん。美しくて聡明で優しい姉さん。誰からも愛されていた姉さん。村のやつらも父さんも母さんでさえもさっさと見捨てやがって。あんなに姉さんに頼っていたのに自分たちが危なくなったら率先して差し出しやがって。ゴミと同じように捨てやがって。許さない許さない許さない。姉さんはそれでもおまえたちを愛していたのに。姉さんは裏切られていると知りながら知らぬふりをしてゴミとなったのに。なぜ姉さんよりも矮小なおまえたちが安穏と生きているのか。おまえたちの方がゴミに相応しかったのに。おまえたちが纏めてゴミになれば良かったのに。すべてが憎い。姉さんが許しても私が許さない。神が許しても私が許さない。  朝起きたら腹の横に小さな岩があった。私は岩に腕を絡ませていた。歪な岩はひんやりとしていた。ごつごつとした感触を手のひらに感じた。私は何をすべきか知っていた。この岩は私が産んだのだ。姉さんのために。姉さんに仇をなした者たちを罰するために。私はそれを知っていた。  私は毎日語りかけながら岩を撫でた。姉さん姉さん姉さん。裏切り者のあいつらを。私は絶対に許さない。姉さんを捨てたあいつらを。姉さんのためにあいつらに罰を。ぶつぶつぶつ。おまえたちが束になっても姉さんの方が価値があったのに。姉さん姉さん。皆憎い。憎い憎い憎い。手のひらの紋も線も摩滅して皮が破れて血が滲んだ。私は構わなかった。たとえ私の手が肘まで擦り切れてなくなろうとも、岩を撫でるのをやめるつもりはなかった。ぶつぶつぶつ。皆憎い。姉さん。皆死ぬべし。皆苦しんで死ぬべし。悔いよ。自らの行いを悔いて恐れよ。自らの行いを恥じて恐れよ。須く皆苦しんで死ぬべし。ぶつぶつぶつ。私の手は石のように硬くなり岩を撫でるためにしか要をなさなくなった。私は構わなかった。岩よ。岩よ。我が憎しみを。我が憎しみを。どうか。我が思いを。そのためなら。何も厭わぬ。我が憎しみを。どうか。どうか。どうか。岩よ。どうか。  ある日、気がついたら皆死んでいた。私は岩を抱いていた。岩はひんやりと冷たく、つるりとしていた。私の身体は岩を撫でるためにしか要をなさなくなっていた。でも、最早何もかもがどうでもよかった。私には岩があればそれで良かった。
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