第9話

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 社会科見学も終わり、卒業式まであと3日。本来なら、高校も受かって心も晴れやかなはずなのに、俺の憂鬱は深さを増していた。俺と谷口は、相変わらず晴翔達とグループ交際でもしているように一緒に過ごし、卒業式前、中学生として過ごす最後の日曜日には、わざわざ皆で原宿にまで行った。  そこで俺と谷口は、カップルのスナップを撮りたいと雑誌に声をかけられ、その事はすぐ学校に広まり、俺達はいつの間にか、五十嵐達のグループ以外からは、理想のカップルと言われるようになっていた。その上、今まで何も言ってこなかった母が、実は結構前から、俺が谷口と付き合っていることを知っていたことがわかった。 『今度彼女うち連れてきなさいよ!』 『え?』 『またまたとぼけちゃって、ママはなんでも知ってるんだから』 (母さんはきっと、俺が女の子と付き合っているって知って安心してる。本当のことなんて言えるわけない)  俺はいっそのこと、このまま優樹を諦めて、高校生になっても谷口と付き合い続けることが正確なのかもしれないと思うようになっていた。  高校入ったら彼女を作ると張り切っている優樹が、俺を好きになることは絶対にない。晴翔だって、今は俺を好きだと言っているけど、ゲイではないあいつは、そのうち女を選び結婚するだろう。このまま嘘をつき続ければ、俺は、母も谷口も傷つけることなく、いわゆる、普通の男としての人生を歩むことができる。  谷口のことは、決して嫌いではない。もっと長く付き合って、本物の恋人同士みたいにキスしたり、抱き合ったりするようになれば、俺も女の子を好きになれるかもしれない。想像だけで、無理だと思いこんでいるだけなのかもしれない。秀樹さんのように、女性を愛し、幸せにできる男になることこそ、この世で生きていくなら正解なのだ。 (やっぱり、谷口と自然消滅を狙うのはやめよう。ちゃんと好きになる努力をしてみよう)  そう決心した卒業式前日の夜、母が深刻な表情で、俺に話があると1人部屋に入ってきた。中々眠れず、ベッドに寝転び漫画を読んでいた俺は、いつもと違う母の様子に、何事だろうと起き上がり母を見上げる。 「朱音はさ、本当の父親に会いたいと思ったことある?」 「え?」  母が父について語るのは、あの日、珍しく酩酊するほど飲んで、吐き出すように洩らした時以来初めてだった。写真でしか見たことはないけど、一度くらい、会ってみたい気もする。 『あんたの父さんね、男が好きだったのよ。男が好きなゲイのくせに、私を騙して結婚したの!ほんと!ふざけんなよ!」  だけど、母の言葉を思い出し、俺は慌てて首を振る。 「別に、特に会いたいとも思わないよ、なんでそんなこと聞くの?」 「実はあなたの父親、別れてからも高い養育費払い続けてくれててね。まあ、それは実の父親なんだから当たり前なんだけど、今回も、一応あなたが高校合格したこと伝えたら、凄いお祝い金くれたの。 秀樹がさ、中々ここまで私の条件全部飲んで支払い続けてくれる人そうそういないって、まあ、罪悪感もあるんでしょうけど…」  初めて聞く話しに驚愕しながらも、俺は、罪悪感という言葉にギクリとする。母はあの日、俺に言ってしまったことを覚えているのだろうか?一瞬だけ目を伏せ黙った母が、決意するように再び口を開く。 「朱音はさ、今の彼女ちゃんと好き?」  唐突に放たれた、核心をつく言葉。 「私が彼女のこと言った時、朱音、困ったように笑ったでしょ。その表情見たら思い出しちゃったの、あなたの父親も、時々私の前であんな顔してたなって…」  息を飲み、何も答えられずにいる俺を真っ直ぐ見つめたまま、母は言葉を続ける。 「私はさ、人間て、生きてれば誰かしら傷つけちゃうものだと思ってるの。 今だから言っちゃうけど、私、秀樹の母親に、バツイチで子持ちの年上女って相当嫌われてたし、あなただって、私が秀樹と結婚した時、やっぱり傷ついたしショックだったでしょ?」  一時期、母を取られてグレていたことを思い出し、恥ずかしさも相まって戸惑っていると、母は厳しい表情浮かべ俺に言った。 「でもね、それでも私が自分を許せるのは、秀樹も私と同じ気持ちでいてくれたから。私のことも、朱音のことも、本気で大切にしようとしてくれる人だったからなの。お母さんの言ってることわかる?朱音。同じ気持ちじゃないのに、傷つけちゃ悪いからなんて理由で、自分に噓ついて相手に合わせるのは優しさなんかじゃない!ただのエゴよ」  鋭い刃物で、心が抉られていくような痛みが胸に広がる。母は気づいているのだ。俺が彼女を好きではないことに。俺がゲイであることにまで勘づいているのかはわからない。でも少なくとも、彼女に対して、気持ちがないことはわかっている。 「私が朱音に言いたかったのはそれだけ。 お父さんの事も、彼女とのことも、私や、自分以外の誰かがどうとかじゃなくて、全部自分で、どうしたいのか、どうすべきなのか考えて決めなさい」  強い口調と裏腹に、ただ項垂れることしかできない俺の頭を優しく撫で、母は部屋を出て行った。 『愛せないなら!最初から愛してるふりなんてするんじゃないわよ!』  あの日、母が泣き出さんばかりに言った最後の言葉が鮮明に蘇り、自分の罪深さが、今更のように重くのしかかる。母が一番許せなかったのは、きっと父が、男を好きだったということではない。 (俺は谷口に、父が母にしたことと同じことをしてる…)  気づけば俺は、嗚咽をこぼし泣いていた。母達に聞こえてしまわないよう、ベッドの中に潜り込もうとすると、携帯から通知音が聞こえてくる。見るとそれは、晴翔からのラインだった。 〈明日卒業式の後、谷口とどっか行くの?〉  なんてタイミングでラインしてくるんだよと思ったけど、俺は、谷口からではなかったことに安心する。 「いや、写真一緒に撮る約束しかしてない」  そう送ろうとした途端着信音が鳴り、一瞬だけ迷って通話を押した。 「何?」 「すぐ既読になったから、朱音起きてるんだと思って、ていうかどうした?泣いてる?」 「泣いてねえよ」 「嘘だ、絶対泣いてる、今すぐ会いに行っていい?」 「馬鹿じゃねえの?今何時だと思ってるんだよ」 「好きな奴泣いてるの放っとけねえし、時間とか関係ねえよ」 「…」  どうして晴翔は、こんなにも真っ直ぐなんだろう。どうして、俺みたいな最低な奴、好きでいてくれるんだろう? 「俺、谷口に謝ってちゃんと別れる」  晴翔の声を聞いた途端、口をついて出てきた言葉。 「それって、俺と付き合ってくれるってこと?」 「ちげーよ!」  だけど、自分の発言が晴翔を誤解させたことに気づいて、慌てて否定する。 「そうじゃなくて、もう、自分にも他人にも嘘をつくのはやめるってこと」 「…優樹に告白するの?」  思いがけず優樹の名前が出てきて、俺は、晴翔から見えもしないのに首を振ってこたえた。 「今はまだ、そこまでの勇気はない。あいつ、高校行ったら彼女作るってめちゃくちゃ張り切ってるし…ただ、もう、谷口を利用するのはやめる。どんなに謝っても、許されないと思うけど…」  言いながら、俺に告白してくれた時の真っ直ぐな瞳や、手を繋いでいる時の、嬉しそうな谷口の笑顔が浮かんできて、また涙が溢れてくる。俺に、泣く資格なんてないのに、傷つけ騙してきたのは、俺の方なのに…。  晴翔は何も言ってこない。俺が一人泣いている間通話を切りもせず、ただ黙って、携帯ごしにずっと側にいてくれた。 「じゃあな、おやすみ」  ひとしきり泣いた後、急に恥ずかしくなって、ぶっきらぼうな声が出る。 「明日迎えに行こうか?」 「だからそういうのいらねえっつうの、じゃあな、切るぞ」 「うん、明日」  晴翔からは切らないとわかっていたから、俺は、なんだか名残惜しいような気持ちを無視して通話を切る。馬鹿みたいに泣いて、また晴翔に甘えてしまった羞恥心がこみ上げてきたけど、晴翔と話す前より、心が軽くなっていることにも気づいていた。  谷口と晴翔は、真逆のようでよく似ている。俺は卑怯で弱いから、悪者になり嫌われるのが怖い、人と違うと、後ろ指さされるのも怖い。でも、晴翔と谷口は違った。他人にどう思われるかよりも、自分がどうしたいかを選び、純粋に俺への想いを伝えてくれた。だから、どんなに傷つけてしまったとしても、俺は谷口に、ちゃんと別れを告げなくてはいけない。 「ごめん…谷口…」  小さく呟き、俺は再びベッドの中に潜り込む。明日が来るのが、少しでも先になればなんて性懲りも無く祈りながら、ようやく訪れた眠気に身をまかせるように瞼を閉じた。 
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