21人が本棚に入れています
本棚に追加
第10話
いつもより遅い登校時間。卒業式に参加するため、両親や友達と登校する同級生達をぼんやりと眺めながら、3年間通い続けた通学路を歩く。
秀樹さんが家で美緒を見てくれることになっていたから、母と一緒に来ることもできたけど、俺は一人で登校することを選んだ。
それは別に、母と二人で歩くのが恥ずかしいという、思春期の少年らしい理由ではなく、昨夜のこともあって、母と二人きりになるのが気まずかったのだ。秀樹さんは、中学最後くらい一緒に登校したらと言ってたけど、母は、お互い一人で行った方が気楽だからいいのよと、俺を先に送り出してくれた。
昨夜からの憂鬱を引きずったまま、重い足どりで歩いていると、突然後ろから声をかけられる。
「朱音ちゃん!」
振り返ると、晴翔の母親が笑顔で俺に駆け寄ってきて、その少し後ろでは、晴翔が少しきまり悪そうな表情を浮かべていた。
「一人?お母さんは?」
「後から来ます」
「だから言ったじゃん、中学生にもなって、卒業式だからって親と登校するやつなんていないって」
「そんなことないわよ、さっきもクラスの子ご両親と歩いてたじゃない」
「ほぼ女だろ」
「男だってたまにいたわよ!」
なんやかんや言い合いながらも、見た目図体のでかい晴翔が、母親に逆らえず一緒にくる姿が微笑ましくて、俺は思わず笑ってしまう。
「でも中学卒業しても、朱音ちゃんと優樹君が同じ高校で本当に心強いわ。二人がいなかったら、こいつ高校いかないでプー太郎かヒモになってるところだったわよ」
「は?なんねえよ!ちゃんと働くって言ってただろ」
「中卒と高卒と大卒じゃ就職しても給料が全然違うのよ!全く世の中のこと何もわかってないんだから。ねえ」
同意を求められたけど、俺もあまりよくわかってないから、今度は曖昧に苦笑いすることしかできない。
「ところで朱音ちゃん、晴翔また変なこと言ってない?」
「え?」
急に声を密め尋ねてくる言葉の意味がわからず聞き返すと、晴翔のお母さんは、小声のまま大真面目な顔で言った。
「朱音ちゃんが行くからって、晴翔がやる気だして西校受かったのは嬉しいんだけど、小さい頃からこの子、朱音ちゃんお嫁さんにするとか馬鹿なこと言ってたでしょ?もしかして、いまだにしつこくしてるんじゃないかしらって心配になっちゃって」
「おいババア!何訳わかんないこと言ってんだよ!」
「ババアとは何!今度言ったらあんたの股間蹴り上げるわよ!」
どう答えたらいいのか迷って一瞬固まったけど、おばさんの晴翔への切り替えしがおかしくて、すぐに力が抜ける。
「全然大丈夫ですよ」
「本当!ならよかった。あら、あれ優樹君じゃない?優樹くーん」
見ると数メートル先の角から優樹が一人歩いてきて、騒がしい俺らにすぐに気づく。
「あ!お久しぶりです」
「何よ、優樹君も一人で登校なの?」
「だから言っただろうが!男で卒業式だからって親とくるやつなんていないって」
「そうかしら?」
そのまま4人で中学まで一緒に行き、学校に着くと、俺と優樹と晴翔は校舎の玄関へ、晴翔のお母さんは体育館へと向かった。
「それにしても、晴翔のお母さん相変わらずパワフルだよな」
「マジ勘弁してほしい」
下駄箱に靴を入れながらそう言う優樹に、晴翔が舌を出し顔を歪める。でも俺は、晴翔のお母さんのおかげで、気が紛れたからよかった。
「朱音と晴翔は、卒業式終わったらそのまま彼女とデート?」
「…」
だけど、屈託なく尋ねてくる優樹の言葉で、俺はすぐに、今日自分のすべきことを思い出し心が沈む。
「俺のは彼女じゃねえって何回も言ってんだろ?それより優樹は卒業式の後どうするんだよ」
応えられない俺の代わりに、 晴翔が何気なく話題をそらしてくれた。
「俺は陸上部のみんなとファミレスに集まって卒業パーティ。でもさ、今日じゃなくてもいいから春休み3人でも遊ぼうぜ」
「うん!」
優樹が3人でと言ってくれたことが嬉しくて頷いたら、優樹はなぜか戸惑ったように俺から目を反らす。
「だから朱音は笑顔が眩しい、はあ、俺も彼女作らなきゃな」
「いいよ優樹は作らなくて」
「なんでだよ!」
優樹に突っ込まれたけど、それは紛れもない俺の身勝手な本音だった。
谷口と優樹が仲良くしていただけで激しい嫉妬に苛まれ、こんな状況を生み出してしまった自分。もし本当に優樹に彼女ができたらどうなってしまうのか、想像するのも怖い。
「早く行こうぜ」
下駄箱の前で話す優樹と俺を、上履きに履き終えた晴翔が廊下から促す。久しぶりに3人並んで3階の教室に向かいながら、俺は、懐かしいような切ないような、寂しさにも似た感情が込み上げる。
小学生の時は、こんな風に毎朝3人で小学校に通い、放課後も飽きるほど一緒に遊んで過ごしていたのに、中学に入ってからは、3人で登下校することも遊ぶこともほとんどなくなった。
(このままなら良かったのに、小学生の時のまま、好きだとか、彼女がほしいだとか、そんな感情気づかないまま、3人で過ごせたら…)
教室に入ると同時に、俺たちはそれぞれ自分の席へ向かう。空のカバンを机に置き、いつものように谷口を目で探すと、槙野達と何やら楽しそうに話していた。俺の告白のせいで孤立した谷口が、槙野や渡辺といるようになってから、もしかして無理してるんじゃないかと心配だったけど、意外にも3人は気が合ったようで、特に槙野とは、時々二人で出かけたりもしているようだった。
(よかった、谷口に友達ができて)
谷口は俺に気づくと嬉しそうにおはようと笑い駆け寄ってくる。その笑顔を見たら、本当に、今日謝って別れを告げることが正解なんだろうか?という迷いが生じる。
『同じ気持ちじゃないのに、傷つけちゃ悪いからなんて理由で、自分に噓ついて相手に合わせるのは優しさなんかじゃない!ただのエゴよ』
だけど、母の言葉を思い出し、俺は決意を込めて谷口に言った。
「卒業式が終わった後、二人たげで話したい。大事な話があるんだ」
すると途端に、谷口の顔から笑顔が消え、その顔は怯えるように歪む。
「他の日じゃダメ?」
まるで、俺が言おうとしていることがわかっているように谷口の反応に、俺は戸惑う。
「樹莉が卒業式の後みんなでカラオケ行こうって言ってるの。今日はみんなで楽しく過ごしたい!ね?お願い!他の日にして!今日は嫌」
今まで付き合っていて、谷口がこんなにもはっきりと拒絶を示したことはない。どうしようと思っているうちにチャイムが鳴り、先生が教室にやってくる。
谷口は俺から逃げるように自分の席に戻り、結局その後何も話せないまま、俺たちは卒業式が行われる体育館に向かった。
最初のコメントを投稿しよう!