くじびきや

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くじびきや

 私は日暮れ、住宅街を歩いていた。その時の目的は忘れた。単なる散歩だったと思う。あの頃の私にはそういう趣味があった。自分以外の生き物の生活を感じるのがおもしろかったのだ。庭先のパンジー。変わった色の瓦。玄関に鎖で繋がれた大型犬。変わった苗字の表札。ずっと入居者募集のアパート。川を泳ぐ魚。電信柱に作られた鳥の巣。どれもおもしろかった。散歩ルートも複数あった。だからきっと散歩していたのだと思う。いつものコースに、見慣れない屋台が居た。屋台といえば神社や観光地に店を構えるはずなのにこんな住宅街で何をしているんだろう、と私は不思議に思った。近づくと「くじびきや」と書かれていた。  「いよっ、旦那、やってかないですかい。」  朱色の法被を着た私より若そうな男が、元気よく言った。パンパンと手を叩いて、如何にも呼び込みというスタイルだ。これまた閑静な住宅街には似合っていなかった。  「……くじびきやって、何だい?」  「くじびきやはくじびきやでさあ。」  男は自分の頭の上を指さした。「一等!豪華ハワイ旅行!」と大きく書かれ、A4くらいの海の写真のまわりを、キラキラした飾りで入念に囲ってある。  「今どきハワイなのかい?他に人気があるところがありそうなもんだが。」  「いやあ、むかしっから一等はハワイって相場が決まってんでさあ。一回二百円ですよ。」  男はにこにこと揉み手して言う。目は新月から二日月に変わる途中くらいに丸く細められている。私は二等以降を見た。「二等!豪華運勢!」としか書かれておらず、三等以降がなかった。  「……豪華運勢って?」  「運は運でさあ。」  男は笑顔のまま言う。  「種類がたくさんあるんで、こうとしか書けねえんで。書ききれねえんでさあ。」  「種類?」  景品の物品のことかと聞くと、男はちがうちがうと首を振った。右手まで自分の目の前で振った。  「だから運は運なんでさあ。これはね、ありがた〜い神様の御利益の使い残り。運の年度末大セール。ハズレがない分宝くじより良心的な代物でさあ。一回二百円でハワイか幸運かの大チャンス。」  なんだそれは。カプセルトイみたいな。私が馬鹿な、という顔をしたのを見て、男はにんまりと笑った。目と同じくらいのカーブが逆さになって口元に浮かんでいる。  「信じられないってえのも無理はござんせんが、誓って本当のことなんで。こんな罰当たりな嘘つきゃあしませんよ。」  世の中には意外と罰当たりなやつが多い。私は今度は胡散臭い、という顔で応じた。  「ふうん。じゃあそういう景品があるって証拠はあるのかい。」  「証拠ですか。あっしはバイトなんでねえ。あっしが運を与えるわけじゃあねえからなあ。まあでも何種類かならソラで言えまさあ。えっと、『七十歳になるまで老眼にならない』『雨の日に傘を忘れない』『死ぬまで水虫にならない』『一生犬に吠えられない』……。」  「なんだそれ。」  私は笑った。男は指折り数えてなおも誦じていた。  「幸運というには些か弱いんじゃないか?」  「そりゃあまあ使い残りの御利益なんでね。」  それにハワイより豪華な運じゃ二等になりませんよ、と男はまた写真を指さした。一等を変えりゃいいじゃないかと思ったが、この男の言い分によると「使い残りの御利益」とやらを捌くのが目的で、一等は「相場が決まっている」からハワイなのだ。先に一等が決まっている普通のくじびきやビンゴゲーム等とは違うのだ。男はまたにんまりと笑って、どうなさいますか旦那、と言った。  「わかった、やるよ。」  「毎度アリぃ!」  男は高らかに言い、右手を出した。私はその上に二百円を置いた。すると男は、神社にある御神籤のようなものを出した。底が八角形になっている、木製の入れ物。筒。がしゃがしゃと振って穴から棒を出すあれだ。私は入れ物を受け取ったが、予想していたより軽くて面食らった。中で棒が動く気配もない。男を見ると、振れ、という動作をしたので、穴を下に向けて振った。何の手応えもなかったが、にゅっ、と棒が頭を出した。三百二十七番。男はばっと入れ物を奪い取って、結果をしげしげと見た。  「おめでとうございまぁす!二等でござあい!」  男はがらんがらん、と鈴を振った。二等なのに仰々しい。よくこんなことを住宅街でやって文句が出なかったな、と私は思った。男は入れ物をいそいそとしまって、三百二十七番と書かれた紙を渡した。  「……これでおしまい?」  「くじびきはおしまいでさあ。あとは実感していただくだけで。」  男は揉み手してにこにこ笑った。私は紙を見て首を傾げた。  「あれ?ご不満で?お銭とご利益が尽きない限りだったら何度でもできますぜ。」  「いや……不満なわけじゃないんだが……。」  なんとも不思議な内容だったのだ。先ほど男が誦じていたように。じゃあまたの御贔屓に、と男が言うので、私は紙を見下ろしながらくじびきやを後にした。またの御贔屓にと言われた割には、二度とあの男もくじびきやも見かけなかった。探しても居なかった。  私はくじをひいた。  「生涯青信号以外に出会わない」  それ以来本当に、青信号以外を目にしていない。 
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