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エピソード1
風が吹いた。
通学路脇から生まれた桜色が、3月の青空にひらひらと舞い散る様子を見て、春の訪れを感じる。中学3年生になってからずっと伸ばしてきた黒髪は、サラサラと風を受けている。
桜は入学式に咲くものだったと話す母は、もう立派なおばさんだ。もしかしたら、私がおばあさんになるころには、桜はお正月に咲いてるかもしれない、と思うと不思議な感じがする。
そんなことを考えながら、私は思い出深いコンクリートの道をゆっくりと歩く。それなのに、見慣れた景色は、まるで電車に乗っているかのように早々と過ぎ去ってゆく。
もう、卒業かあ‥‥。
「おはよ!どうした?元気ないな。」
いつの間にか私の隣を歩いていた幼馴染の勇也が顔を覗き込んでくる。
「勇也にはきっとわからないよ、お年頃の乙女の気持ちなんか。」
私は歩を少し早めることにする。そんな私の歩幅に勇也は合わせてくれる。
「うーん、まあ、複雑な感情になるのはわかるよ。大人たちが戦ってる中、卒業式なんかって思うもん。」
そう。今、日本は戦争をしている。戦況は芳しくないようだ。
歴史の授業は日本の正義を語っていた。近所のおばさんは、日本の誇りとやらについて講釈を垂れていた。友達は、その日の戦果報告に一喜一憂していた。
ふん、クソくらえ。
「違うわよ、全然ね。そんなこと興味ないわ。」
「ありゃ、外れかい。」
「少しは悔しそうにしたらどう?」
「はは、幼馴染だからって全部わからねえよ。しかも、奈那子は頭が良いからな。バカの俺が一生経っても思いつかないようなことを考えてるんじゃないのか?」
朗らかに勇也が笑う。子供のころから見てきた、誰よりも温かい笑顔だ。
「へえ~。つまり、私は幼馴染にさえ理解されず、孤独なまま死んでいく哀れな人間だって言いたいのね。」
「いや、言ってねえよ。」
「あーあ、奈那子ちゃん、すごくかわいそうだわ。」
「いや、話聞けよ。」
こんな勇也とのやり取りもきっと今日で最後だろう。一部の成績優秀者を除いて、中学校を卒業した者は、戦争のための労働者となるからだ。女子は、男子に代わる働き手として、男子は、駒のような兵士として。
小学生の頃、母のアルバムを見て、高校生活に憧れた。体育祭で精一杯汗をかいたり、文化祭で夜遅くまで準備したり、修学旅行で好きな人と枕投げをしたり…、母が楽しそうに語った思い出に、私は強く惹きつけられた。でも、私が、虹色に思い描いていた高校生活は全て、赤色の炎で焼き尽くされてしまった。残ったのは、灰色の煙だけだった。
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