2. 母からの電話

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2. 母からの電話

「小雪さん、みなさんが戻ってきたら、 ランチに行きますか?」 「ごめんね、後にする。今日中にデザインを 簡単にまとめて、須藤さんに見せたいから」 「じゃあ、コーヒー淹れますね」 「ありがとう。ホント、弥依って気が利くね」 私は弥依が淹れてくれたコーヒーを一口飲み、電車の中でイメージしていた、フォトジェニックなお花屋さんカフェをイメージしたイラストをPCの画面に描き始めた。 時間と空腹感を忘れて集中すること4時間。 「すみません、須藤さん。 後でお時間を頂けますか?」 「いいよ。30分後でいい?」 「はい」 須藤さんは、32歳のデザイナー。 身長180cm、日本人離れをした顔立ちをしたイケメンだが、まだ8ヶ月の一人息子の話をし出すと、親馬鹿ぶりを発揮する典型的な新米パパだ。 しかし、仕事に関しては厳しく、私が手掛ける作品は、必ずこの須藤さんのチェックが入る。 (30分後か......) デスクに戻ると、携帯に留守電が入っていた。 「あっ、ママです。 手が空いたら電話を下さい」 先月初旬に入院した祖母の看護の為に、 九州の実家に帰っている母からだった。 私は胸騒ぎがし、すぐに母の携帯へ電話を掛けたが、3コール目でプツッと切られた。 (病室に居るのかな......) 案の定、すぐに母から電話が掛かって来た。 「もしもし、今、大丈夫?」 「うん。どうしたの?」 「おばあちゃんね......。あと2,3日だって......」 私の体は硬直し、いつかはと予期し、心の準備をしていたはずの知らせであったのにもかかわらず、母の言葉の意味を理解するのに時間がかかった。 「おばあちゃんに会いに来れる?」 「もちろん、行く!」 「仕事があるんだから、無理はしないでね」 また連絡すると言って、一度電話を切った私の耳には、「おばあちゃんに会いに来れる?」という母のフレーズが残り続け、今すぐにでも、祖母に会いに行こうとする自分と、仕事に追われている自分が頭の中にいた。 (早く飛行機のチケットを取らないと!) (仕事! この一週間にかかってるんだよ!) (おばあちゃんが待ってるのに......) (せっかく任せて貰えた仕事だよね。 人に任せていいの?) 瞬きをする度に、自分の気持ちが入れ替わり、どちらを選べば良いのか分からなくなった。 何故、こんなに大事な事が重なってしまったのだろう。 悩んだ...... 迷った...... 祖母の命と仕事を比べれば、 もちろん命の方が大切なのは分かっている。 だけど今回の仕事は...... すぐに決断できない私は間違っている? 冷たい? おばあちゃん、私、どうしたらいい? おばあちゃんに会いたい。 温かい手を握りたい。 おばあちゃんの優しい声で名前を呼んで欲しい。 でも...... どうにか自分を正当化しようと言い訳を探し、頭に並べている。 この時点で答えは出ているのだ。 (仕事を放り出す事は出来ない......) 私は精一杯の思いで「仕事」を選んだ。 4日に田原さんに1回目のデザインを持参し、 修正して7日の午前中までにOKを貰えれば、 午後には入稿出来る。 13日に色校が出るから、 それまでは一時的に私の手から離れる。 つまり8日から12日迄なら帰れるのだ。 一週間後の8日では、病院の先生が2、3日と言っているのだから、間に合わないかもしれない。 しかし、間に合うかもしれない。 私は祖母の生命力に賭ける事にし、とにかく須藤さんにデザインを見てもらう時に、8日からの休みを貰えるか聞いてみる事にした。 「柳瀬、そろそろやるか!」 デスクのカレンダーにじっと見入っていた私に、須藤さんが声を掛けた。 「はいっ!」 私の頭は仕事モードに切り替わり、フラワーショップの田原さんから受けた依頼内容を説明し、それに対して自分がイメージしたデザインを須藤さんに見せた。 須藤さんの指摘は、私が気になっていた部分を、まさに突いてきた。 そして、その部分を直し、このデザインとは別のものをあと3案考えるようにと課題を出された。 私は最後に、おずおずと祖母の話を聞いてもらい、8日の水曜日から12日の日曜日までの5日間、休みを貰えるかどうか聞いた。 答えは、即OKだった。 「すみません。ご迷惑をおかけします」 「事情が事情なんだから気にするな。本当はすぐに行かせてやりたいんだけどな。別の仕事の件は、井上に引継ぎしておけよ」 「はい。ありがとうございます」
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