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7. 大きく開けられた窓
幼い頃を思い出す夢から目が覚めると、
もう私は小倉の1つ手前の駅まで来ていた。
小倉からは特急に乗り、宇佐駅まで約50分。
13時前に宇佐駅に着き、改札を出ると、
母の弟の亨おじさんが迎えに来てくれていた。
九州とは言え、東京と同じ位の寒さを感じ、
私はコートのボタンを閉めた。
「おー、小雪! よく来たな」
「亨おじさん、お久しぶりです」
「小雪、お腹空いただろ。
病院はすぐ近くなんだけど、おばあちゃんに会う前に食事を済ませてしまおうな。会ってからだと、喉を通らなくなるかもしれないから」
「......はい。実は、朝から何も食べてなくて
お腹がすいているんです」
「そうか! じゃあ、行こう」
この時、私は何故、亨おじさんが先に食事を
させたかったのか、よく分からなかった。
そして、駅から近いレストランに入り、
私と亨おじさんは仕事の話や、小さい頃の
想い出話をしながらランチを食べた。
亨おじさんは私を車で病院に送ってくれた後、
仕事の関係で一度、博多に戻らなくてはならなかった。
そして、この町では車が無いと不便だからと
言って、おじさんの車のキーを私に渡し、
自分は、特急で帰って行った。
「病室は308の個室。姉さんが居るよ」
私は「308号室」と唱えながら病院に入り、
エレベーターの前まで来た。
(病院のエレベーターって、
患者さん専用って聞いたことがある......)
なんとなく、そんな記憶が頭をよぎり、
階段を探して3階まで上がった。
祖母の病室はナースステーションの近くに
あり、隣の棟へ続く渡り廊下の手前だった。
―― 後藤 加代 様 ――
私は入口の名前を確かめ、
小さくノックをして扉を開けた。
薄いカーテンを開けると、約2ヶ月ぶりに
会う母が私に優しく微笑みかけ、
「お疲れさま」と声を掛けてくれた。
私は穏やかな母の表情にホッとした。
そして久しぶりに会う祖母に目を移した。
白いベッドに横になり、点滴や酸素を送る為の管等を沢山付けられた祖母は、目を閉じ、
喉にタンを絡ませながら一生懸命、
息をしていた。
そして、その1回ごとの呼吸をする度に肩が
大きく動き、苦しみに耐えている様子だった。
私は想像以上に衰弱した祖母を見て、
亨おじさんがさっき言った言葉の意味が
ようやく分かった。
病室の空気はよどんでいた。
私の大好きなおばあちゃんを、
憎らしい病が取り囲んでいるのを肌で感じた。
息をするたびに、体中をえぐられるような
病人が吐き出す独特な臭いが駆け巡る。
祖母の人生の最期を受け入れている病室の
窓は大きく開けられていた。
生々しい現実を目の前にして困惑し、
表現のすべを知らない私の気持ちを察してか、母は椅子から立ち上がり、祖母の横に置いている椅子に私を座らせてくれた。
私は布団の中に手を入れ、祖母の手を握った。
その手はとても温かく柔らかかった。
足は浮腫み、足の指先は冷たくなっているが、
手は優しい祖母の手のままだった。
「おばあちゃん、小雪だよ」
私が祖母に声を掛けると、
母も一緒に話し掛けた。
「お母さん、小雪が会いに来てくれたよ。
ずっと待っていたのよね。
会いたい人、みんなに会うまでは、
痛みに耐えてたんだもんね」
祖母の反応は無く、死前喘鳴(しぜんぜんめい)と呼ばれる、ゼーゼーと音を立てながら
呼吸を続ける事によって、自分を苦しめている癌と戦っているように見えた。
しばらくすると、
私と同じ位の年の看護士が巡回に来た。
「後藤さーん。
お口の中のタンを取りましょうね」
そう祖母に大きな声で呼び掛け、
細長いチューブを祖母の口の中へ挿入して
喉にかかっているタンを取り除いた。
意識は無いとは言うものの、
祖母はこの作業が嫌らしく、
口をどうにか閉じようと力を入れていた。
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