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8. 眠れない夜
この病室の窓からは、遠くの森がよく見える。
私は母から、祖母の話をいろいろと聞いた。
18歳という若さでお見合い結婚をし、
嫁いだ家には姑は勿論、
その上のお祖母さんまでいた生活。
「そう言えば、私が結婚する時、『今の時代はいいね』っておばあちゃん、言っていた......」
「あの時代は本当に大変だったのよ。
おばあちゃんや、子供の私たちの世話をするよりも、厳しいお姑さん達のお世話ばかりで。
それに、おじいちゃんのお父さんは石屋だったから、沢山の従業員の人が家を出入りしていたしね」
「おばあちゃんね、電話する度に、『亮さんや向こうのご両親は優しい? 小雪は幸せかい?』って、聞くの。私が『みんな優しいよ』って答えると、『良かった、良かった』って喜んでくれて」
窓から見える空は、
遠くの森の上で金色に染まっていた。
今日は、18時前まで病室で過した。
いつもは、母も病室に泊まり、祖母の横の
小さな簡易ベッドで休むのだが、看護士からも
祖母の様態は、血圧は低めだが、心拍数は
75で安定していると言われ、母も疲れが
たまっていたので、今夜は祖母の家に私と
帰る事にした。
亨おじさんが貸してくれた車で、
懐かしい道を走る事、10分。
祖父のお葬式以来、約10年ぶりに来た家は、
全く変わっていなかった。
石造りの門を通り、広い玄関から上がると、
祖母が気に入っていた紫水晶の大きな置き物と、中国が好きでよく旅行に行っていた
祖父が集めた大小様々な壺たちがお出迎え。
そして、所々に置かれたお香の入った「香合」から芳しい香りが漂い、家中を和やかにしている。
私は、庭石屋の息子としてこの場所で
生まれ、国語の教師をしながら剣道を生徒達に
教えていた、厳格な祖父に挨拶をする為、
仏壇に飾られている遺影の前に座った。
小学生の時、よく祖父に送ったはずの手紙が、私宛に戻って来た。
封を開けてみると、祖父の字で漢字や文章の
訂正がされており、「出し直すように」との
指示が赤字で書かれていた......
また、これは母から聞いた話だが、私の父が
20代で横浜に建てた、自慢の庭付き一軒屋を
見に、九州から出て来た祖父が、庭の植木と
小道とを隔てている石を見て一言。
「あの石は裏返しになっている」
石にも裏と表があるらしい......
今でもはっきり覚えている祖父の口癖。
それは九州の方言で「しゃあしい」。
「静かにしなさい」という意味だ。
毎年、お盆の時期には親戚が集まり、
子供たちがいくつもある広い部屋を存分に
使って、鬼ごっこやかくれんぼをしながら
走り回り、大騒ぎになる。
そんな私たちの姿を見て、目を細めながら
祖父は「しゃあしい」と言っていた。
教師を引退してからは、祖母の弟子として
祖父も茶道を始めた。
一度でいいから、祖父が祖母に習って、
お茶を点てている姿を見てみたかった。
どれもいい想い出。厳しくて優しい、
祖父の想い出だ。
母が夕食の準備をしてくれている間に、
私は、ミシミシときしむ廊下を渡り、
きれいに整理された茶室を覗いてみた。
この部屋には、茶道の世界での名前「宗加」、「宗哲」をそれぞれ持つ祖父と祖母が集めた
大切な茶碗や棗、香合や掛け軸等のお宝が
沢山眠っている。
そして私は昭和を肌で感じる広い家の中を
歩き回り、今は物置になっているが、
昔は3人兄弟の母と亨おじさん、
そして聡おじさんの部屋だった2階へ上がった。
着物が納まっている大きなタンスの横には
祖父が使っていた竹刀が何本も立て掛けて
あり、押入れには、母が使っていたバイオリン、おじさんたちのギターがそのまましまっている。
そして、私を釘付けにしたのは、
ずらりと並んだアルバム。
母が子供の頃の写真から、学生時代、
父との結婚式。
そして、私たち孫が生まれた時の写真も
達筆な字で書かれたコメントと共にきれいに
貼られている。
別のアルバムを開くと、
祖父と祖母の若い時の写真があった。
(おばあちゃん、お人形さんみたい......)
外はすっかり暗くなり、東京では味わえない
静寂に包まれながら私がアルバムに見入って
いると、母がやって来た。
「小雪、ここに居たの」
「うん。この部屋、いろんな物があって、
面白いんだもん」
「この部屋も片付けないとね」
そう言いながら、母は懐かしそうに部屋を
見渡した。
「この鞄、ママがパパと行った新婚旅行の時に持っていった鞄なのよ」
母が少し照れながら出して来たのは、
クラシックブルーのトランクケースだった。
パントン19-4052。
日が暮れ、永遠に続くような暗い夜を呼んで
いるかのような空の色。
太陽の光の道が途切れ、広大な深い海への
入り口のような水の色。
「素敵! これを持って旅行したの?」
レトロな鍵付き、
とても丈夫な造りで収納も機能的。
小さな傷はあるものの、
それがまた良い雰囲気を出している。
私は一目で気に入ってしまった。
「これ、貰ってもいい? レトロで可愛い!」
「まだ使えるならいいけど、小雪に持って
帰って欲しい物、他にもいろいろあるのよ。
お祖母ちゃんの着物と帯、それに帯締めや
帯揚げも沢山あるの。使わないものは、
お茶のお弟子さんや親戚の方に貰って頂くから、先に選んでおいてね」
母と私は祖母の影響もあり、お正月やお花見、
夏のお祭りや歌舞伎など、機会を作っては
和服を普段から着ている。
祖母の着物を、帯を代えながら、娘の母が着て、孫の私が着る。
その姿を写真に撮って送ると、祖母はとても喜んでくれていた。
「そろそろ夕食を食べようか」
「そうだね! 夕食を食べて、お風呂に入ったら肩をマッサージしてあげるからね」
夜、私と母は、布団を2枚並べて22時には
床に就いた。
しかし、体は疲れているはずなのに、
目が冴えてしまい、なかなか眠れなかった。
枕元に置いた携帯を見ると布団に入ってから
1時間が経とうとしていた。
母の方に寝返りを打つと、
母もまだ眠れない様子だった。
「眠れないね......」
私が声を掛ける前に、
母が私に小さく声を掛けてきた......
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