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9. かざばな
12月9日。
まだ浅い眠りについている時間に、
電話の音が大きく家中に響き渡り、
私と母は飛び起きた。
母が急いで電話に出ると病院からだった。
時計を見ると6時過ぎ。
「心拍数が30台になったので、
急いで来て下さい」
私と母は黙々と支度をし、
急いで病院へ向かった。
静まりかえった病院の階段を駆け上がり、
病室へ入ると、祖母は目を開け、
真上を見ているようだった。
心拍数を確認すると、一度下がったら
上がる事は無いと、医師から言われていた
心拍が、30台から70台に戻っていた。
母は、祖母に駆け寄り、力いっぱい肩を
抱いた。
「ごめんね、お母さん。独りにしてごめんね。
もうずっと傍に居るからね」
すると、真上を向いていた祖母は顔を母の方へ向け、口を一文字にして、何か伝えようとしているようだった。
まるで「寂しかったよ」と訴えているかのように。
担当医の先生は、祖母の目はもう何も見えていないし、意識も失っていると言っていた。
だが、今日の祖母は、母の事だけは分かって
いるように、私には見えた。
母の声に反応し、母の姿を目で追い、
視界から消えると探しているかのように。
心拍数は70台に戻り、落ち着いていたが、
肩で息をしていた昨日に比べて明らかに
呼吸が浅くなり、今日は顎で息をするのが、
精一杯になっていた。
しばらくすると、昨日と同じ看護士が巡回に
来て、祖母のタンを取り除く作業を行った。
チューブを口の中に挿入されても、
祖母は嫌がる事は無かった。
12時前、近くに住んでいる祖母のお姉さん
こと、石倉のお婆さんが来てくれた。
「おにぎりを握って来たから、
お昼に食べてね」
「わざわざ、すみません。
あっ、娘の小雪です」
「お久しぶりです、お婆ちゃん」
「あらあら、大きくなったわね。
話は妹からいろいろ聞いているのよ」
私たちは、持って来てくれた色とりどりの
おにぎりを食べながら、1時間程話をした。
そして、私は母を一人残し、
石倉のお婆さんを車で送りに行った。
帰りの病院に向かっている途中、
母から携帯に電話が入った。
「また心拍が40に下がったから、
早く戻って来て!」
私が信号のほとんど無い道を、
スピードを上げて走り、病室へ戻ると、
もう血圧は測定出来ない状態だった。
しかし、心臓は動き続けている。
「小雪、おばあちゃんの手を握っていて
あげてね」
母は小声でこう呟くと、亨おじさんや
聡おじさんたちに、なるべく早く来るよう
連絡する為、病室を出て行った。
私は祖母の手を握り締めながら、どうしようもない不安と悲しさに襲われていた。
母が戻って来てからも、私たちは話をする
気になれず、沈黙が病室を取り巻き、
色も音も無い世界に居るようだった。
私は窓の側へ行き、外の景色を眺めていた。
まるでこの窓ガラス一枚を境に、向こう側と
こちら側とでは、別々の時間が流れているかの
ように、青く広がる大空は澄んでいた。
私は空気を入れ換えようと、
ゆっくり窓を開け、冷たい風を顔に感じた。
すると、風と共に白い花びらが陽の光に
反射し、輝きながら舞い降りてきた。
「お母さん、見て!
これって風花〈かざばな〉?」
「あらっ、珍しいわね。おばあちゃん、
冬の季語の『風花』がとても好きで、
よく俳句で詠んでいたわ」
「おばあちゃん、見える?
風花が舞っているよ。とても綺麗......」
晴天の空にどこからか、
風に吹かれて散らつく雪。
それは、一瞬の出来事だった。
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