6月

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6月。梅雨の季節。 愛子は、この季節が大嫌いだった。 雨が降ると、くせのある髪は爆発し、朝はいつも以上に起きれなくなる。 この季節、愛子は学校をよく休んだ。 雨が降ったらお休みでって、カメハメハ大王の子どもみたいと愛生はいつも思っていた。 「愛子、今日はどうする?」 愛子を迎えに来た愛生が聞く。 「休む。」 愛子は、薄目を開けて愛生を見て言った。 「でも、雨降ってないよ。」 愛生が言うと、 「今日は雨が降るって、私の髪の毛が言ってる。」 愛子は、自分の髪の毛を触りながら言った後、寝てしまった。 愛生は、愛子の髪の毛を撫でながら、確かにね。と思い、ため息をついた。 そして、学校に行くために立ち上がった。 外に出ると、まだ雨は降っていなかった。 愛生は、1人で学校に向かった。 愛子が言う通り、お昼休みになると雨が降り始めた。 愛子の髪の毛は、天気予報よりよく当たるかもと愛生は思っていた。 愛生は、愛子とは逆に雨の日が好きだった。 雨音で、世の中の音がかき消され、少しアンニュイな感じがとても好きだった。 雨の日の愛生は、ずっと窓の外を見ていて、授業はほとんど聞いていなかった。 先生たちは、注意することもなく、クラスメイトたちは、男子も女子も、そんな愛生の姿をうっとりと見ていた。 物憂げに外を見つめる愛生は、息を呑む美しさだった。 愛生は、放課後、窓から雨をじっと見つめていた。沢山の傘が開き、みんなが帰って行く姿を見るのが好きだった。 一通り、みんなを見送った後、 「さぁ、帰ろうかな。」 と、独り言を言って立ち上がった。 その時、視線を感じた気がして、教室の入口を振り返った。 でも、そこには、誰もいなかった。 「気のせいか。」 と言って、カバンを持って、教室を出た。 玄関に着き、傘立てを見ると、愛生の傘が無い。 愛生は、登校時の事を思い返す。 「あっ」 と言って、眉間にシワを寄せる。 そして、ため息をつく。 「愛子の家だ…。」 朝、愛子の家に忘れて来たのだった。 雨は小降りになっていた。 でも、傘無しでは濡れてしまうレベルだ。 愛生は、少し考え、少し嬉しそうに 「傘が無いなら、仕方ないよね。」 と呟き、傘をささずに、そのまま歩き出した。 その足取りは、なぜか軽く、顔は少し嬉しそうに見えた。 そう。愛生は、楽しんでいた。クールで優等生の愛生からは想像できないが、愛生は、水溜りで遊ぶ事が大好きだった。 愛子がいたら、2人で遊べるのに、この頃、愛子は、雨が降ると外に出ない。 だから、最近は、なかなか、こんなチャンスはなかったのだ。 愛生は、水溜りにわざとはまり、人目がない事を確認して、ちょっと小躍りしながら、雨の中を歩いた。 愛生は気づいていないが、そんな愛生の姿を見つめている人がいた。 駅に着いて、愛生は後悔した。 駅までの道中で、愛生は全身びしょ濡れになっていた。 これで、電車に乗るのはちょっとね…。 と、途方に暮れながらも、銭湯か、コインランドリーがないか考えていた。 そんな時。 プップー。 車のクラクションが鳴った。 その方向を見ると、一台の車から止まっていて、運転席の人が一生懸命に手を振っていた。 不信感に眉をひそめながら、無視をしようと思っていると、もう一度、プップーとクラクションが鳴った。 そして、目を凝らして運転席を見ると、それは、壬生だった。 壬生は、必死に愛生に手を振っていた。 愛生は、必死に手を振る壬生を見て、プッと吹き出した。 相変わらず、いつも一生懸命だ。 そして、愛生は、壬生の車の方に向かって歩き出した。 「先生、どうしたの?今日は、もう帰るの?」 車の窓を開けた壬生に愛生が言った。 「そんな事より、一色、雨でびしょ濡れじゃないか。」 心配そうに言った。 「そうなの。今日、愛子の家に傘忘れちゃって。」 ふふふっと、なんだか嬉しそうに言う愛生に 「濡れるから乗りなさい。」 と言って、助手席を指さした。 愛生は、ビックリして、 「先生の車になんて、乗っていいの?それに、びしょびしょだから、座席ぬれちゃうよ。」 と言うと、 「いいから、乗って。」 壬生は、珍しく強い口調で言った。 愛生は、躊躇しながらも、助手席側に回った。 助手席には、バスタオルがひかれていた。 まるで、びしょ濡れの愛生が乗るためのように。 「その上に座っていいから。」 と壬生が言った。愛生は、遠慮がちに、助手席のバスタオルの上に座った。 すると、ふわっと頭の上に何かがのせられた。 バスタオルだった。 「もう、びしょ濡れじゃないか。」 と壬生が言い、バスタオルで頭を拭き始めた。 愛生は、焦って、 「ちょっと、先生っ。」 と言って、壬生の手から逃れようとした。 「じっとする!こんなにびしょ濡れで何してるんだよ。」 壬生が呆れたように言う。 「だから、傘を忘れちゃって。」 頭を拭かれながら、愛生が言う。 「その割には楽しそうだったけど。」 間髪入れずに、壬生に指摘され、 「先生!見てたの?」 愛生は驚いて言った。 壬生は、しどろもどろになりながら、 「いや。見ていたわけじゃない。見かけたんだ。」 と言った。バスタオルで、愛生には壬生の表情は見えなかった。 壬生は、咳払いをひとつして言った。 「こんなんじゃ、電車にも乗れないから、家の近くまで送るから。」 愛生は、驚いて、頭にかけられたバスタオルから顔を出して言った。 「え?いいの?先生が生徒送るってありなの?」 壬生は、苦笑いをして言った。 「ダメ。だから、内緒だぞ。一色が誰かに言ったら、僕はクビだからね。」 愛生は、慌てて言った。 「だったら、いいよ。送ってくれなくて。私、適当に帰るから。」 壬生は、車から降りようとする愛生の手を掴んで、 「そんな事はさせられない。」 そう言った。愛生が振り返り、壬生を見ると、真剣な顔つきで、そして、少し切なげに見えた。 その空気に耐えられず、愛生は、敢えて明るく、ちゃかすように、 「じゃあ、送って貰っちゃおうかな!正直、どうしようかと思ってたんだよね。ラッキー!!」 と言った。 車内の空気が、ふっと和らぎ、 「よし。行こうか。」 と、壬生がいつも通りの優しい笑顔で言った。 家の近くのコンビニに着くと、壬生はコンビニでビニール傘を買い、愛生に渡しながら、 「家に帰ったら、すぐに風呂に入って、身体を温めるんだぞ。風邪引くなよ。」 そう言った。 「うん。ありがとう。」 と、愛生は素直に答え、傘を受け取って、家への道を歩き始めた。 壬生は、その姿が見えなくなるまで見送ってから、車を発進させた。 その日の夜、愛生は、部屋で壬生に買って貰った傘を眺めていた。 2人だけの秘密は、愛生を甘く幸せな気持ちにさせていた。
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