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7月
7月。梅雨も明け、夏も本番だ。
「じゃあ、高校最後の夏休みを悔いのないように過ごすんだぞ。だからといって、ハメは外しすぎない事。夏休み明け、元気で会おうな。」
担任の壬生が言う。
愛子は、ちらりと愛生を見る。
無表情で壬生を見ていた。
無表情。
でも、愛子にはわかっていた。
愛生が壬生に会えない時間をどんなにつまらなく思っているか。
会えない時間の分、壬生をしっかり見ておこうとする気持ちも。
愛子は、先月の雨の日のことを知っている。
翌日の朝、愛生は、愛子を叩き起こし、目をキラキラ輝かせて、興奮し、いつになく、早口で、前日の下校の時の話をした。
愛生がそんな姿を見せるのは愛子だけだ。
内緒だよっと嬉しそうに愛生が言った。
愛子は、もちろんと言い、愛生の嬉しそうな顔を見て、よかったねと言って優しく笑った。
ぼーっと愛生を見ていると、視線に気づいたのか、愛生が愛子の方を見た。
愛子と目が合う。
少し照れたように淋しそうに愛生が笑う。
好きな人に会えない時間は、途方もなく長く感じるだろう。
愛子は、夏の眩しい外の景色を見ながら、愛生と過ごす夏休みを想像した。壬生を思い出す暇もないくらい楽しい夏休みにしよう。
夏の夜は、日中の熱気が残り、気だるくもあるが、理由もなく何が起きそうな期待感でザワザワとした気持ちになる。
愛子は、そんなパワーを秘めた夏の夜が好きだった。夏は、いつだって何が起きそうだ。
愛子は、ベッドの横に座り、静かに本を読んでいた。愛子は、大概の日、本を読んでいる。ジャンルの統一性はなく、活字であれば、基本的にはなんでも読んだ。
今日は、ミステリーを読んでいる。夜中に読むミステリーやホラーは、昼に読むそれより数倍怖く感じる。愛子も、少し前までは、怖くて、夜中に読むことはやめていたが、最近では、その恐怖を少し楽しんでいた。
本に集中して何時間が経ったのだろう。突然、窓にトンっと何かが当たる音がした。
愛子の部屋は、2階にある。誰かノック出来る高さではない。ただ、道路に面しているので、誰かが何かを投げることはできる。
また、トンっと音がした。時計を見る。時間は、深夜の2時。
愛子は、ブルッと震え、自分の腕で、自分の身体を抱きしめる。何?誰?ミステリーを読んでいた愛子には、更に怖さが増して感じられた。
今更、部屋の電気を消しても不自然と思い、愛子はそっと四つん這いで窓に近づき、カーテンを少しだけ開けて、外を伺った。
その直後、
「あっ!」
と言って、立ち上がり、同時にカーテンも両手で全開にした。
そして、窓を開けた。
そこには、自転車に乗った真樹がいて、今、まさにスーパーボールを投げようとしていた。
愛子は、小さな小さな声で言った。
「何してるの?」
真樹は、スーパーボールを投げようとしていた手を下ろし、
「ドライブでもどう?」
と、真樹も小さな小さな声で言い、自転車の後部を指差し、ニッコリ笑った。お風呂に入り、スウェットを着た真樹は、制服を来て髪の毛をセットしたいつもの真樹とは雰囲気が違っていた。
愛子は、急に胸が高鳴り、顔に血液が集まるのを感じた。必死に平静を装い、小さな小さな声で、
「無理無理。何時だと思ってるの?」
顔の前で手をヒラヒラさせながら言った。
真樹は、
「深夜2時だけど、どうせ一ノ瀬はまだ寝ないんだろ?」
そう言って、コンビニの袋を見せた。
愛子は困ったように言った。
「寝ないけど、家からは出られない。下には、両親がいるし、降りては行けない。」
真樹は、そんな事は想定済みとでもいうように、
「俺が受け止めるから、そこから出てきたら?ほら、ビーサンもあるし。」
そう言って、自転車のカゴから、ビーサンを出してみせた。
無理無理と言いながらも、愛子はワクワクし始めていた。
躊躇する愛子に、真樹が優しく言った。
「大丈夫だから、おいでよ。」
真樹の優しい笑顔は、愛子を真夏の夜の冒険に向かわせるのに十分な効果があった。
愛子は少し沈黙し、頷いた。
「うん。行こう。ちゃんと受け止めてよ。」
そう言って、窓枠に手をかけ、極力、地面と近くなるように、窓にぶら下がった。
「手、離すよ。」
愛子は、そう言って、思い切って手を離した。
手を離すとすぐに真樹の腕が愛子の体を受け止めた。衝撃を和らげるため、真樹は準備してきていたマットの上に座り込んだ。
そして、愛子の顔を覗き込み、
「ほら。大丈夫だっただろ?俺、用意がいいんだよね。」
そう言って笑った。愛子の心臓の鼓動が高まった。2階から飛び降りた事もある。でも、それ以上に、真樹の笑顔が愛子をドキドキさせていた。
「さぁ、行こう。」
と言って、真樹が立ち上がり、愛子の腕を掴み、立ち上がらせた。
そして、自転車の後部にマットを置き、
「どうぞ。お嬢さま。」
と、愛子に手を差し出した。
愛子は、真樹の手を取り、後部に乗ろうとした所、真樹が愛子の脇にすっと手を入れ、愛子を抱き上げて、自転車の後部に座らせた。
愛子は、恥ずかしくなり、小さな声で
「有難う。」
と言った。真樹は、おうと言って、サドルに跨った。
今が夜でよかったと愛子は思っていた。なぜなら、愛子は、今、自分が耳まで真っ赤になっている事を知っていたから。
「じゃあ、行くよ。」
と、真樹が言った。愛子は、うんと言って、頷き、遠慮がちに、真樹の腰に掴まった。
「ったく。そんな掴まり方じゃ落ちちゃうぞ。」
そう言って、真樹は愛子の腕を掴み、自分の腰にしっかり巻きつけた。
愛子は、慌てて、
「ちょっ、ちょっと。」
と言い、身体を離そうとすると、
「落ちちゃうからダメ。」
そう言いながら、真樹はまた愛子の腕をしっかり自分の腰に巻きつけた。
そして、自転車を走らせ始めた。
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