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「まっすぐばあちゃんちに向かっていいか?」大貴が言った。
「……行ってほしい所があるんだけど……」
そうして俺が告げた場所は、観光名所にもなっている棚田だった。
車を降りて背伸びをする。平日の夕方だったが、夏休み期間ということもあって、他にも車が停まっていた。
駐車場から階段を降り、手すりに寄りかかる。夕日が辺りを照らしていた。田んぼの向こう側には海が見える。海に沈む夕日を見るなんて、本当に久し振りだった。
「……珍しいな。ここに来るなんて」大貴が俺の隣に立った。「小学生以来か?」
「そうだな……なんか、こういう所って地元にいるとなかなか行かねえけど……会社の子がここ知ってて色々聞いてくるんだけど、何も答えられなくて……それで連れて来てもらった、つーか」
「……その子、って彼女?」
「……いや、ただの同僚……お前こそ、付き合ってる奴とかいんのかよ」
そう聞いてからしまった、と思った。この狭い町で同性を好きになったり、まして付き合うなんてリスクが高くて難しいだろう。こんなに気軽に聞けることではなかった。
しかし大貴は淡々と、真っ直ぐ前を向いて答えた。
「……好きな奴ならいるよ」
「……そう」
胸がちくり、と痛んだ。……今さら。
そのまましばらく沈黙が続く。
俺は今日、大貴に言わなくちゃいけないことがあってここに帰ってきた。静かに深呼吸をしてから、口を開いた。
「大貴……俺は、この田舎が嫌いだった」
「うん」
「ずっとここから離れたいと……逃げたいと思ってた。誰も俺のことを知らない所に行きたい、って子供の頃からずっと思ってた」
「……知ってる」
「だからあの時ーーお前から好きだ、って言われた時……逃げたんだ」
深く考えることもせずに。
大貴がどんな思いでその言葉を言ったかなんて考えず。
……自分の気持ちも確認しないまま。
「……あの時の俺は、もうすぐここからいなくなれる、っていうことしか考えられなかった。だから、深く考えずにお前を傷つけた。……ごめん」
俺は大貴を見ることが出来なかった。うなだれたまま、許されることを願う。
しかし、それは虫がよすぎる話だということも充分わかっていた。こんな謝罪なんて意味がない。むしろ昔の話を蒸し返している時点で、自己満足というものだ。
だから俺は、このまま大貴が去っていくだろうと覚悟した。しかし予想に反して、大貴は俺に一歩近づいた。
「……謝る必要なんてない」
驚いて、俺は顔を上げ大貴を見た。
「俺がお前に好きだって言ったのは、別に付き合いたいとか、そういう意味じゃない。……好きなのは本当だけど、それ以上にお前のことを想っている人間が身近にいるってことを知ってほしかった」
「……え?」
「お前、子供の頃から言ってただろう?自分はいない方がいい、って。生まれてきたこと自体間違いだった、って」
「…………」
「けど俺は、お前と出会えてよかったと思ってるし、一緒にいると楽しいし、お前が心から笑ってる所を見ると、嬉しかった。そして、そう思ってるのは俺だけじゃなくて、ばあちゃんとか、俺の家族とか……クラスの中にも気にかけてた奴もいたし、そういう人間が確かにいるということ……傷つける奴だけじゃない、って知ってほしかった。何かあったら帰ってきていい場所がある、ってことを気づいてほしかった。……ちゃんと言わないと、届かなかったな」大貴は困ったように、笑った。
「……届いてたよ」俺は言う。「……東京に行ってからずっと、お前のこと思い出してた。……この町のことも。辛いときは海にまで行ってた。……ずっと、会いたかった」
「…………」
「それにさ、あんなにここから出たい、って思ってたのに帰ってきたら、ちゃんと懐かしいって思うんだな」
「そうか……故郷って、そういうものなのかもな」
それから俺たちは自販機で飲み物を買い、車に乗り込んだ。ずっと気になっていたことを話せたおかげか、心は晴れやかだった。
「……ありがとな」俺は大貴に礼を言った。
「いや……澪、あのさ……」
「なに?」
「……俺も、ずっとお前に会いたいと思ってた。……お前のこと、忘れた日なんてなかった」
「心配してくれたんだよな。悪い」
「そうじゃなくて……っ」
大貴の表情が歪む。どことなく顔も赤い気がする。でもそれは、夕日のせいだろうか。
「お前のことが……今も好きだ」大貴が言った。
「……え……?いや……え?だって、さっきお前、好きな奴いる、って言ってたじゃねぇか」
「……澪のことだよ」
「…………」
きっと俺の顔も赤くなっていることだろう。夕日で気づかれないことを願う。
「……ごめん」俺が何も言えないでいると、先に大貴が口を開いた。「忘れてくれ」
そう言うと大貴はシフトレバーをリヤに入れた。
俺は車を進ませないように、その手に自分の手を重ねた。
「……澪?」
「……俺も……」
恥ずかしくて、顔が熱くて、心臓がドキドキして。
「俺も……大貴が好きだ」
やっとそれだけ言えた。
本当はきっと、この町にいるときから好きだったんだ。
大貴と離れて暮らしていた2年間、ずっと考えていた。俺にとって大貴はどんな存在なのかを。
この町からは離れたかったけど、大貴とは離れたくなかった。
離れてみて、どんなに大きな存在だったか思い知ったから。
手を繋いだまま、大貴の顔が近づいてくる。
そのまま俺たちはキスをした。
そうして、この町に滞在した2泊3日はあっという間に過ぎていき。
俺は東京へ戻る日になった。
大貴は今度は俺のアパートへ遊びに来ると言っていた。
俺もまた今度この町に来る時には。
もっとこの町が好きになっていることだろう。
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