0人が本棚に入れています
本棚に追加
新はドアを開けると、少し顔を顰めた。けれど、里緒菜は気にせず玄関に足を踏み込んだ。
「お疲れー。はい、差し入れ」
里緒菜の母が持たせてくれた紙袋を渡す。母方の祖父母からもらった大量のミカンのお裾分けが入っている。
「あぁ、どうも…って重っ!」
新の体がバランスを崩しそうになり揺らいだが、里緒菜が手を貸すまでもなくすぐに足を踏ん張り体勢を整えた。
「え、てか、お前すごくね?軽々と持ってきたな」
「いや、重かったよ?でも、数分の距離だし」
「ゴリラ並み…」
「あ?何?!」
「なんでもない」
ふい、と新は顔を背けた。なんだかその仕草が妙に大人っぽくて、里緒菜は食って掛かるつもりが、口を噤んでいた。
「…何突っ立ってんの?上がれば?まだ帰んないだろ?」
「え、あ、うん。いいの?」
「いいよ、別に。今、母親買い物行ってて誰もいないし。俺も暇だったし、久しぶりにゲームしようぜ」
「あ、うん…お邪魔しまーす」
里緒菜は靴を脱ぎながら、落ち着かなかった。小学生まではしょっちゅうお互いの家に入り浸ってゲームをしていたが、中学に入ってからはそれぞれ部活が忙しく、ほとんどそんな時間がなかった。三年間、同じクラスになることもなく、話す機会もめっきり減っていった。
だから、勇気を出して用事があるふりをしてラインをした。高校は、別の学校に行く。この春休みが、最後のチャンスに思えたからだ。
「何飲む?カルピスと麦茶と――あと午後ティーのストレート」
「あ、ありがと。じゃ、カルピス」
「おー」
里緒菜はソファに腰かけながら、キッチンでこちらに背を向けて飲み物を用意している新をこっそり見つめた。
中学に入ってから、随分背が伸びた。里緒菜も十五センチは伸びたが、新はそれ以上だ。やや見下ろしていたはずが、見上げなければならない高さになっていた。声も低くなって、全体的な体格も、以前のような丸みがなくなり、無駄なものをそぎ落としたように引き締まっている。
新が振り返った。目が合う。
「…あ、私も手伝う?」
「いや、注ぐだけだし。それよか、テレビとゲームつけて」
「そ、だね」
動揺しているのがバレないよう、顔を伏せてテレビとゲームをセットする。
「何する?マリカー?」
コップをリビングの机に置いて、新が里緒菜の隣に腰かけた。
「うん。久しぶりだねー二人でやるの」
「そーな。中一の夏休み始まってすぐやったよな。それ以来か」
「え、そうだっけ?よく覚えてるね」
「え」
新がコントローラーを握ったまま、動きを止めた。里緒菜の方を見ず、テレビを見たまま、時が止まったように動かない。
「…ど、どした?」
「あ…いや、なんでも。普通、覚えてるだろ」
「そっか?記憶力悪いからなー私」
「あ、そう」
三十分くらいゲームをして、「あーまた負けた!」という里緒菜の悔しそうな声とともに、「トイレ行ってくる」と新が言い、小休止になった。
久しぶりの新とのゲームは、楽しかった。ゲームそのものもだが、お互いムキになりつつ熱中して、子供っぽく言い合うのが心地いい。中学に入ってから、どこかよそよそしくなってしまったから、余計にそう思えた。
「んー…」
伸びをしつつ、里緒菜はソファの背もたれに後頭部を乗せ、天井を見上げた。
今日、言おうと思って来た。けれど、あれだけ固く決心したはずなのに、簡単に思いは揺らぐ。言わないで、このままの方がいいんじゃないか、と。
「うー……」
「何うなってんの?」
いつの間にかトイレから戻ってきた新が、里緒菜の顔を覗いてきた。逆さまの新の顔が、近くにある。
「わっ」
驚いて、里緒菜は勢いよく顔を上げた。勢いあまって、新の額と里緒菜の額がごち、と鈍い音を立てた。
「いって!」
二人そろって、声を上げていた。新は額を抑え、一瞬うずくまった。
「おま、頭突きすんなよ」
「だってびっくりして…あたた……」
額をさすりながら、里緒菜は顔をうつむかせた。額だけではなく、顔全体が熱かった。
「いってぇなー、里緒菜、昔から石頭だよな」
里緒菜。リオナ?りおなって言った?
言ってから、「あ」と口を開けて新は気まずそうに口を閉じた。
「あの、今…」
「もう、いいだろ」
「え?」
「ほら、同じ学校だとさ、下の名前で呼んでるとからかわれたりして面倒だったから苗字で呼ぶように言ったけど…もう卒業して、高校も別だし、いいだろ」
「それって…また里緒菜って呼んでくれるってこと?私も、新って呼んでいいってこと?」
新はなぜか不機嫌そうに、軽くうなずいて、「ゲーム、続きしないのかよ」とコントローラーを握りしめた。
「あのね、新、私聞きたいことがあって、今日来たんだ」
里緒菜は、ソファの上にも関わらず正座をして、新の方に体を向けた。険しい顔をしていたからだろうか、新は少し面食らったような表情をしている。
「あの、ね…卒業式の日、新を見かけたとき…気づいちゃって」
里緒菜は、ぎゅっと拳を握った。新と視線を合わせるのが怖くて、自分の膝ばかり見ている。
「あっ新、第二ボタン誰にあげたの?」
「…ボタン?」
予想外のことを聞かれたせいで、新の聞き返す声はひっくり返っていた。
「う、うちの学校、学ランとセーラーだから、昔ながらの都市伝説みたいなのあるじゃん?卒業式で、好きな人に第二ボタンかセーラーのスカーフあげるってやつ。それで、卒業式で新見かけたとき、第二ボタンなかったから、誰にあげたのか気になってて……」
それって都市伝説っていうのか?都市伝説ってもっと禍々しくないか?つぅか、そんな古臭い伝説あったのなんて知らねぇけど。
新は、突っ込みたい衝動を抑え、代わりに大きく息を吐いた。
「取れたんだよ」
疲れたような掠れた声で、新が言った。
「え?」
「だから、糸がもうゆるゆるで、ちょうど卒業式の日の朝に取れちゃったんだよ。付けてもらう暇なくて、まぁ目立たないだろって思ってそのまま行ったの」
「…え?じゃあ、自然現象で取れたの?」
「そうだよ」
「なんだぁ、そっかぁーよかったー」
あははは、と里緒菜は笑いながら、正座していた足を崩した。
よかった、って…。
新は、喉の奥らへんにつかえるものを感じた。
「…つぅか、お前は?」
「へ?」
笑い終えた里緒菜が、目を擦りながら新の方へ顔を向けた。額が少し赤い。
「さっきの話だと、スカーフ、好きな奴にあげるんだろ?誰かにあげたのか?」
「うん」
平然と、里緒菜がうなずいた。カルピスを口に含んでいた新は、思わず吹き出しそうになってむせた。
「だ、大丈夫?」
「誰に」
「え」
「誰にあげたんだよ、スカーフ」
新が、こほ、と咳を一つしてから、里緒菜の目を真っすぐ見てきた。怒っているような、悲しいような、不思議な表情をしていた。
「あげたっていうか、交換した」
「交換?」
「うん、仲良かった女子同士で記念にーって」
「あ……そう…」
新が、すぐに顔を背け立ち上がった。
「トイレ行ってくる」
「うぇ?さっき行ったよね?」
「うるせぇな」
乱暴に言いつつ、新の声音はどこか優しかった。
一人になった里緒菜は、そっと自分の頬に触れた。熱を帯びている。
さっき、わざとあんな言い方をした。新を試してしまった。どんな反応をするのか見たくて。
「でも、あれって…」
自分のことを、ずるいやつだと思った。でも、嬉しい。自然と、顔がにやけていた。
一方、新は、トイレのドアの内側でしゃがみ込んでいた。
「俺、まじでだせぇ…」
自分の腕に顔を埋め、小声で呟いた。
最初のコメントを投稿しよう!