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アルネブは、背中から火を点けて標的を始末する、専門の業者である。兎の耳が着いたシルクハットと、尾がついた服を着て仕事をするのだ。かちかち山をイメージしているからである。アルネブのこだわりは、人を生きながらに燃やすこと。何故なら、火だるまになった人間は、バレリーナのように踊り狂って美しいからだ。
そういう趣味嗜好は同業者にも伝わらず、仕事は一人でする。
しかし、彼にもプライベートは存在する。
アルネブは、読書が趣味だ。そして、甘い物が大好きである。依って、カフェに行っては本を読み、パフェやホットケーキを食べて歩いている。
ある昼下がり、アルネブはお気に入りのカフェに向かった。縞模様の霜よけがあるレトロな雰囲気で、何より、此処は甘味が美味しい。
背の高い椅子に座って静かに本を開く。頁を繰ればいつでもアルネブの目の前に現実のような景色を見せてくれる。パフェが届くまでの時間、そのパフェがどんなものかこの時間はアルネブにとって、至高のものだ。
しかし、急に皿の割れる音が店内に響き渡る。
アルネブは弾かれるように顔を上げ、それから、煩いなぁと顔を顰めた。一人の男性客が、立ち上がっていきり立っている。
「店長を出せ!」
何があったのか、聞くとはなしに耳を澄ませていると、どうやら食事に髪の毛のようなものが混ざっており、店員に激怒しているらしい。作ったのは店員ではないし、髪の毛くらいで死んだりしないのに、呆れた男だなぁとアルネブは溜息を吐いた。
店員は新しい料理に取り換え、平謝りに謝罪していたが、客はどうしても折れない。何としても店長と会わないと、帰らないと言う様相だ。店員が逃げるように奥に引っ込んだ。
ほんの数秒で、奥から一人の男が現れた。颯爽とした足取り、ビエラのスーツ、磨かれた革靴、彫刻のような整った顔立ち。鹿毛を揺らしながら登場したのは、アルネブの見覚えのある男だった。
レグルス。人の命を奪うことを生業とする者たちばかりの組織を束ねるボス。同業者の中で、知らない者はいない。
何故、この男が出て来るのか。アルネブは慌てて本で顔を隠した。向こうは、単独で動くアルネブのことなんて知らないだろうが、それでもこんなところで、うっかり遭遇したい相手ではない。見た目は細身で穏やかだが、彼の本性を知れば誰だってそう思うはずだ。
どうやら、店長を出せ、と言った客は、彼を知らないらしく、堂々とした有様だった。その客に向かい、レグルスは頭を下げた。
「やぁ、お客様。何かあったのかな?」
「食事に髪の毛入れやがって、どんな店員の教育やってんだ、馬鹿野郎」
レグルスを怒鳴りつける客のツバが飛び散る。遠巻きに見ているアルネブにしてみれば、此方の方が、髪の毛一本よりも不潔な感じがする。すると、レグルスはきょとん、と涼しそうな目を真ん丸くして客を見た。
「ああ、確かに髪の毛って食べづらいからね……だけれど、案外、気にならないものだよ。肉が美味しければ、其方に夢中になってしまう」
「はぁ? 何言ってんだ、てめぇ」
「君、お名前は?」
「名前だと? 何で名乗らねぇとならねぇんだよ、悪いのは其方だろうが」
「教えていただかないと困るよ、これは僕のポリシーなんだ。人間は家畜とは違う。ちゃんと一人一人を大事に」
此処でレグルスは客の首根っこを掴んで引き摺り倒した。まるでマッチを倒すように簡単に、客は倒れてしまう。
「しないとね。まぁ、後で衣服を探せば免許証とか、出て来るから良いか」
レグルスは長い睫毛を伏せるようにして目を閉じ、あ、と口を開けると、引き摺り倒した客の喉にかじりついた。
醜い悲鳴が響き渡るが、体を押さえ込む腕力が強すぎるのか、客はぴくりとも動けない。レグルスは人肉しか食べられない男なのである。今日の夕飯は、この客ということだろう。
悲鳴が段々と小さくなり、生肉を食する粘着質な音が響く。
アルネブは、この店がレグルスの経営と知ってしまったので、もう来られなくなったことだけが残念だった。髪の毛くらいで死んだりしないのに、呆れた男だなぁと溜息を吐くのだった。
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