第五話 鬼新娘 〈2〉

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第五話 鬼新娘 〈2〉

   § 「さあ、本気で掛かってきなさい、ユーリン。でないと、手足を斬り落としてしまいますよ?」 「先生こそ、法術なしで私に勝てるとお思いですか?」  グウェンとユーリン。十分に間合いを取った両者が、真剣な眼差しで見つめ合う。  対峙する二人の様子を固唾を呑んで見守るのは雪蓮とルオシーだ。  二人は数日前からこうして半ば本気で打ち合う形の新たな稽古を始めていた。それはユーリンたっての希望によるものだった。ただし、半僵尸化したユーリンの動きを封じてしまう呪符や道術の使用は一切なし。つまり用いるのは互いの武術のみ、実戦形式の修練である。 「Rryaaaaaaaaaaaaaaaaaa!」  先に駆けだしたのはユーリンだ。  飛僵の膂力を利用して一気に踏み込み、高く跳躍。グウェンに向かって凶爪化した右腕を振り下ろす。 「甘い」  剣戟。  がぃん! と音を立て、グウェンは刀身で軽々と爪を受け止める。ユーリンとしてはむしろ受け止められた右腕が痛いくらいだ。なぜ? でも、怯んでいる場合ではない。 「Uraaaaaa……!!」  ユーリンは間髪いれずに左腕も振り下ろし、両腕で刃をぐいぐい押してゆく。 「どうです! 力では飛僵である私の方が上でしょう!?」 「たしかに、君の臂力は僕の何倍もあるでしょうね。しかし――」  グウェンが剣を僅かに引いた――瞬間。  突如生じた――ユーリンにはそう感じられた――力が爆発的な威力でもってユーリンを弾き返す。ユーリンは咄嗟に片手を地につき、勢いを殺して後方へと下がる。 「はッ。暗勁……か」 「柔よく剛を制す、ですよ。ユーリン、君の動きはとても素直です。悪く言えば直線的で単調だ。だから僕やジーンならば読むことすらせず、簡単に逸らすことができるんですよ」 「くっ……ならば!」  獣の姿勢のままで四肢を使って跳ね上がり、グウェンの後方へ着地――と同時に間髪入れず、死角から爪を繰り出す。くるりと身を翻したグウェンが刀身でユーリンの両爪を挟みこむ。臂力を込めて押しこんでも、グウェンは動じない。  ユーリンは即座に爪をひっこめ、掌を繰り出す。グウェンの腕がそれを受け止め、回転にしたがって掌を突き込んでくる。拳で受ければ、信じられない程の力で押し返される。……浸透勁というやつか。  打ち合うこと数十手。弧を描くような足運びと擦り付ける様な打撃法に翻弄され、防戦に回りながらもユーリンは必死に喰らいついていく。  ……負けられない。負けない。勝ちたい。  グウェンの刀がユーリンの喉元に向かって突き出される。  勝機があるならここだ。抉じ開けろ……!  ユーリンは躊躇することなく刀を掴んで、グウェンを思い切り引き寄せる。硬化した皮膚を刃が切り裂き、血が滴った。 「ユーリン!?」 「RAAAAAA!」  自分が傷つくことも厭わず、零距離まで接近したグウェンの首筋に爪を突きつける。しかし、同時に二振り目を抜刀したグウェンの切っ先がユーリンの喉元に突きつけられていた。  二人の荒い息遣いだけが夜闇に沈んだ義荘の庭に響いている。 「……弱みにつけこまれるなんて、鈍っている証拠では?」 「……思い上がりは禁物ですよ。僕は本来双剣を使うんだ」  ユーリンの翠眼とグウェンの紺碧の双眸。  爪と刃を突きつけ合い、互いの瞳に相手を映し合ったまま、至近距離で二人は見つめ合う。 「やれやれ……いろんな意味で見てらんねえなぁ」  ルオシーがほっと息をつき、ようやく気づいた雪蓮が「そ、そこまでです!」と試合終了の合図を出した。それを聞くなり、ずるずるとその場にへたりこんだのはユーリンだった。  グウェンは刀を鞘に収めると、ユーリンの元へ跪いた。 「傷は? 見せなさい」 「……大した、こと……ありま、せん。も、血は、とまりっ、ました……」  くはー、と息を吐きながらユーリンはその場に大の字になった。その腕を取って検分し、大した傷ではないことを確かめると、グウェンはようやく表情を和らげた。 「また無茶をして」 「どう、でした? 今日とゆ、今日は、一本……とれました、よね?」  地面に転がったまま判定を促せば、グウェンが大きく溜息を吐いたのが分かる。  どうやら、呆れられている。 「そんなわけないでしょう、良くて引き分けです。馬鹿弟子が」  グウェンは最後の部分だけ本性を出して言い渡した。こうなれば「えぅぅ」「そんなぁ」などと抗議の声を上げてみても無駄だ。それでも、ユーリンとしては悔しさと疲労から呻き声をあげるよりない。 「つ、ぎは……勝ち、ます」 「そうしてくださいな。できれば、もっとまともなやり方で。ね?」 「……はい」  グウェンがユーリンに手を差し伸べる。ユーリンはそれを掴んで身を起こした。  温かくて大きな掌。そして強い。今の自分では到底敵わない。  でも、私は強くならねばならない。もっと、もっと――。  この人の横に立ち続けるために。もう二度と、失わなくて済むように。  § 「で。おまえら、周荘で何かあったわけ?」  旅行土産の砂糖菓子を頬張りながら、ルオシーが訊ねてくる。心なしか少しニヤついているのが気になり、グウェンはそのまま訊ね返した。 「なぜですか?」 「いや、さっきの修練なんかまるで前戯か情交そのものって感じだったし」  ルオシーの無遠慮極まりない指摘に「ぶぼしッ」と盛大に珈琲を吹いたのはグウェンである。  咽ながらも口の回りを拭うと、グウェンはルオシーをじとりと睨みつけ、 「……ないですよ、なんにも」  とだけ告げる。しかし、その手はせわしなくカップの中身を掻き混ぜ、視線は不自然に泳いでいる。 「ふうん。わかりやすい奴だなぁ」 「知ったような口を。……ルオシー、あの子にはこういうことを言わないでくださいよ。多分、言ったら全部なかったことにされてしまうから」 「なんだ、本気なのか。おまえがねぇ」 「ルオシー」 「わかってるよ」  それきり、ルオシーはもう余計なことを言おうとはしなかった。ほどなく炊事場から雪蓮とユーリンがそれぞれ自分の珈琲と点心を持って現れ、輪に加わった。 「ラウの持ってきた豆のお茶、ものすごく苦くて不味い。ひょっとしなくても嫌がらせなの?」 「おまえ、客に向かってそういうことをいうかね。これは珈琲といって、舶来の贅沢品だ。けっこうお高いんだぜ? というか苦けりゃ砂糖とかミルクを入れろよ。一緒に持ってきてやっただろう」 「む……それは、さっき子どもの飲み方だと先生が言ったから……」  ユーリンは唇を尖らせて黙りこむ。その頬が少しだけ朱に染まっているのを見て、ルオシーはグウェンに「加虐主義者め」と口の動きだけで伝えた。「なんのことかな」とグウェンが同様に返す。 「それにしても、雪蓮が淹れ方を知っていてよかったよね」 「はい。間に合わせですみませんが……前にいろいろ教わっていたもので。ラウ様のお口に合わないかもしれませんが」 「いやあ、そんなことはありませんよ! さすが雪蓮さん、なんでも得意なんだなぁ」 「いやですわ。そんな……」  雪蓮は控えめに微笑んで、自分の珈琲を啜る。その優雅な仕草に魅入ったルオシーが思わず「きれいだ」と呟くのを、ユーリンが邪険に扱った。 「今夜も、どうせ雪蓮に会いたくって寄ったのでしょう。まったく迷惑な馬の骨だな。雪蓮、これ以上見ていたら目から腐り落ちてしまうよ。さ、顔を逸らして。こんな人、いないふりをするんだ」  困った様子の雪蓮がおずおずと両眼を手のひらで覆い隠す。可愛らしいが、ルオシーにとっては結構な痛手だった。 「おいこら! おれの用事はれっきとした仕事だよ、グウェンからの頼まれごとだ」 「……まあ、グウェン様のご依頼でしたか」 「先生が? いったい何を頼んでいたのですか?」  三者三様の視線を向けられ、グウェンは軽く息を吐いてから口を開いた。 「では、本題を話しましょうか。一つは僵尸についてです。ルオシー、数はどうでした?」 「今週に入っておまえらが倒したのが二体だろう。目撃例は他にない。つまり、特にこの街で以前より僵尸が増えているってことはないわけだ」 「でも……あんなに僵尸を造っていた、というのに……ですか?」  水月客棧の地下で目にした光景は忘れようがない。あの地下迷宮は僵尸を研究し、生み出すための実験製造場だった。  グウェンが術を使ったためにあの時点で地下牢にいた者たちはすべて屠られたが、それ以前に生み出された僵尸たちはいったいどこへ運ばれたのだろう……? 「また、周辺地域で僵尸が出たって話も今のところ入ってきていない」 「だったら、考えられることはひとつ。誰かがどこかに溜め込んでいるってことですよ」 「そんなこと、誰が……まさか」 「そう、ジーンが関わっている可能性が高いと思われます。上海でまた会おうと彼は僕に言いました。奴がこの魔都で何かをしようとしているのは間違いありません」  ジーン。あいつがこの上海にいる?   ユーリンは怒りに滾る感情を押し殺し、話の続きに集中する。 「そういうわけで、ルオシーには魔都で何かおかしな動きがないかを探ってもらっています。特に運送関係で不審な点があればすぐに気づくでしょうし、ね」 「まあな。そっちの方には常に網を張っているが、今のところ目立った動きは掴めていない」 「そう、ですか……」  複雑な面持ちで、やっとそれだけ相槌を打つ。隣の雪蓮がユーリンの手を握ってくれていた。 「では、もう一つの方はどうなっています?」 「もうひとつ……って、何の話ですか?」  話の流れが突如変わったことを怪訝に思い、ユーリンは思わず疑問を口に出していた。 「安心しろよ。こっちは愉快な話だぜ」 「ゆ、愉快?」 「僵尸じゃないが、一件すげえのがあったよ。俺の知る限りじゃ、もう最恐の物件だね」 「最恐の……物件?」  次々と繰り出される謎の情報に、ユーリンの脳内で疑問符がぐるぐると渦を巻き始める。  そんな様子を一瞥し、グウェンは不敵な笑みを浮かべた。この顔知っている、と思うと同時に悟った。あれは、師がろくでもないことを考えている時の笑い方だ。 「ユーリン、君は強くなりたいと僕に願い出ましたね。そこで、君には実戦を積ませるのが一番だと考えました。ただ、僕とばかりやり合っていても埒があかない。かといって、僵尸がそう都合よく出るわけではない。だから――君には幽鬼退治をしてもらうことに決めました」 「はぁぁぁぁぁッ!?」  勝手に下されていた無茶な決定。  ユーリンは抗議の意味合い九割の叫びを上げるが、全員に無視される。  強くなりたい。確かにその想いは変わらないが、みんな、やけに協力的すぎない……?  というか、幽鬼っていくらなんでも専門外なんですけど! 「先生、待ってください。私でも幽霊が倒せるのですか?」 「たしかに奴らは手ごわい相手です。強力な怨霊になりえる存在で、しかも実体がないのですからね。しかし、やってやれないこともないですよ、ユーリン」 「そんな」 「多少厄介な立ち回りを迫られるでしょうが、それが君には良い修行になると考えたのです」  ここまで来たらもうやるしかないのだろう。ユーリンは渋々といった体で頷く。 「そのための物件探しをルオシーに頼んでいたのですが、ちょうどよいのが見つかった……ということでいいですね?」 「おう。滅茶苦茶おっかないぜ~? 漏らしたッて仕方がないくらいすげえのがいるらしい」  卓上に地図を広げ、ルオシーは城内の北部に朱を入れていく。 「フランス租界の方ですね。法大馬路、か……暗黒街のど真ん中じゃないですか」 「まあな。阿片窟や妓院、賭博場が軒を連ねてやがるが、それだけじゃない。阿片常用者も青幇の連中も近づかない古い建物があってね。そこに出るんだとよ」 「その……幽霊が?」  ルオシーが丸をつけた一角を見て、ユーリンは聞き返した。自分で口に出しておいてなんだが、どうにも信じられない。 「四階建ての古い集合住宅だが、もはや誰も住んでない。なんでも過去に殺された女の怨霊が取り憑いているとかで、足を踏み入れたが最後、精気を絞り取られて死んじまうんだとよ。あるいはあの世とこの世の境目に連れて行かれて戻ってこれない……とかな。ま、噂は色々だ」 「入ったら戻れないのに、なんで戻れないことが噂話として伝わっているんだよ」 「うっわ、おまえそういう揚げ足とりはないだろ! 無粋だろうが」 「どっちがだ」  地図を挟んで侃々諤々。その様子を見ていたグウェンが紛糾しかけた話をまとめにかかる。 「ともかく、行ってみればはっきりしますよ。ユーリン、ルオシーの情報屋としての手腕を舐めてもらっては困ります。確かに根拠の薄い噂話も混ざっているでしょうが、なにかがその建物にいることは間違いないでしょうからね」 「幽鬼だとして……私は本当に戦えるのでしょうか?」 「霊力が必要なだけで、概ねは僵尸退治と同じです。ただ、相手の動きが読みにくいので注意しなければならないといったところかな」 「はあ……そういうものなのですか」  修練の約束を取りつけたつもりが、思わぬ流れになってしまった――。  ユーリンとしては複雑であったが、ここは師と仲間を信じるしかない。  結局、明晩に現地へ赴くことを決め、その場は解散となった。
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