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第一話 鬼喰らう鬼 〈3〉
「ユーリン、てめえいつまでグズグズやってやがる。遊んでねえでさっさと起きな!」
グウェンは呆れ顔を作ると、朗々とした声で弟子を呼んだ。その声に呼応するように、黒だかりの中で起き上がる気配があった。
ミシミシッ!と音を立てて中心付近にいた僵尸が崩れる。群がっていた個体が異変に気付き、動きを止める。
「ああ……不愉快ですよ、まったく……どいつもこいつも、僵尸は……死人ってやつは……」
ユーリンだ。手に掴んでいた死体の腕を忌々しげに投げ捨て、低い声で呟きながら起き上がる。その服はぼろぼろで、腹から胸にかけてが大きく肌蹴てしまっている。
「オマエがあんまり遅いんで、てっきりヤオのエロオヤジにアレされてンのかと思って来てみりゃこのザマだ」
「先生こそ、こんな厄介な案件を私に丸投げしないで。なにもかも面倒臭くなって危うく現場放棄しかけましたよ」
二人は軽口を叩き合いながらも背中合わせになった。
「こっちは白僵。成り立てだがよく飛びやがる。それに素早い。いけるか?」
「勿論。先生こそ、数が多いからって私に泣きつかないでくださいね」
互いの獲物を交換し、ここで一気に決着をつける。ユーリンはヤオ・ジルイの僵尸、グウェンは墓から這い出た低級僵尸・紫僵を叩く。そのつもりで二人は相手を入れ替え対峙する。
「ユーリン、今夜は本気でイっていいぜ」
ユーリンが力強く頷くと、肌蹴た白い背にグウェンが符咒を直接叩き込む。
「勅令・随身保命――急ぎて律令の如く行え!」
符咒の文字が蒼い燐光を放ち、ユーリンの心以外――全てが命令通りに書き換えられていく。
みぢり、と音を立てて両腕が骨格から再形成され、獰猛な凶器へと変貌を遂げる。それはユーリンの華奢な体躯に比して、あまりにも大きく凶悪な黒い腕だった。
骨格が、筋肉が、細胞の一つひとつが暴悪な怪物のそれに置き換わってゆく。
解放感と虚無感がおしよせ――思考を赤く白く黒く、眩い色に塗り潰していく。
「Grrrrrrrrrrrrrrr……!!」
ユーリンは狂喜して咆哮した。獣よりもおどろおどろしい叫び声。
四肢をフルに使って低い姿勢から跳躍し、一気にヤオ・ジルイに襲いかかる。
がぎんっ!
硬い腕と爪とがぶつかり合う。僵尸の体は硬く、時には刃や弾丸さえも通じない頑強さを誇る。鍔迫り合いが続き、ヤオ・ジルイが素早く飛んで一撃を避ければ、
「招雷!」
ユーリンは雷の雨を降らせて陰気を削り、弱らせてゆく。掴み掛かられれば蹴りとばし、巨大な両腕の凶爪で胴を薙ぎ、少しずつ、だが確実にヤオの勢いを削っていく。
「Gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
遂にユーリンはヤオの喉元に噛みつき、鋭い牙を立てて素ッ首に喰らいついた。犬歯が皮膚の奥深くまでを引き裂いて、深く、深くめりこんでいく。
足りない、足りない、足りない! これだけじゃ、とっても――……ユーリンは勢い任せに両腕でヤオの首を千切って捨てる。そのまま四肢を引き裂き、胴を八つ裂きにしながら湧き上がる狂気と狂喜に打ち震える。
ああ、ああ、ああ――――!
そうだ! そうだった!
喰らいつき、引き裂き、血を浴びて――これこそ……これこそが、私の本分。
これが僵尸のなれの果て。〈飛僵〉であるユーリン本来の姿だ。
グウェンが生者を生かし、死者を葬る道士であるなら、ユーリンは死者を殺す死者である。
「こらユーリン、いい加減戻れ! ――急急如律令!」
りん、と。帝鐘の音が響き渡り、思考が明瞭さを取り戻す。
……なにが本分、だ。私はユーリン。それ以上でも以下でもない。
「先生、今です!」
グウェンが呪符を飛ばす。十分に霊力を込めた札によって点火され、僵尸だったすべての死体が燃え始めた。轟々と燃えさかる炎を見て、ユーリンは少しだけ切ないような狂おしい気持ちになった。あの炎で灼かれるべきは自分なのではないか、そう感じて――
「おい」
「……はっ、はい!?」
「なんて顔してやがる。見ろよ、一仕事片付いたんだぜ」
「あ……の、ええと……私……私は」
しどろもどろになるユーリンに、グウェンはしかし、何も言わずに自分の外套を脱ぐと、それを肩から掛けてやった。
「あ、りがとう、ございます……」
ユーリンは外套を引き寄せ、月光に曝されていた自らの姿態をそっと隠した。
「べつにぃ。つーか、僵尸が燃えンのを見るのは最高にイイ気分だよなァ」
「はあ。悪趣味、ですね……相変わらず」
「アー、イイ…………と、待て。なんだこの燃え方!? なんか部屋っていうかむしろ家ごとめちょくちょ燃えだしてるんですけどォ!」
「ああ……ここ、冥宅で、甕の中にお葬式用の油がたくさん用意してあって……」
「そそそそれを先に言いなさい! おいこれどうすんだよォッ、本宅まで燃えかねんぞ!」
「う、えと……もう今夜をお葬式当日にしてもらうしか、ないんじゃないですかね……?」
あっという間に燃え広がった炎は冥宅ごと死体を包み、この世から消し去ってしまった。
かくして、ヤオ家の葬儀は無事に執り行われたのだった。
§
灰蒼い薄暮の中でユーリンは目を覚ました。
体感としては一日たっぷりと睡眠を取った感じだ。体は軽く、思考は明瞭。
しかし、今がいつか分からない。
ユーリンの部屋は殊更暗い。紗幕も窓も閉め切って、陽光を出来る限り遮断している。夕方……だろう。おそらく。頭にも体にも馴染んだ生活リズムはそう簡単に崩れない筈だ。と、ユーリンは自分が何も身につけていないことに気がついた。自分は服を脱いで眠るタイプではない。それ以前に寝台に入った記憶それ自体がない。時間感覚に加えて自分が置かれた状況が全くわからず、あたりを見回すと――恐るべき光景が目に入って愕然とする。
艶やかな長い髪。雪を欺かんばかりの白磁の肌に、精悍な体つき。寝ているのだ。先生が。グウェンが。隣に。
それに、全裸だ。自分も、そして先生も……
「きゃあぁぁ――――ッ!?」
「おぇぶっ!?」
悲鳴を上げるより早く手が出ていた。思い切り頬を張られたグウェンが臓腑を押し潰されたような奇妙な悲鳴を上げて寝台から転がり落ちる。
「ひぎぃ……いっでぇ! ちょっとォ起きぬけに永眠しちゃうよォッ!?」
「先生こそ何してるんですか! な、ななな何をッしているんですかぁっ!」
涙目でシーツを胸元までたくしあげ、必死になって問いかければ、グウェンがニヤリと唇の端を釣り上げた。
「あァン? なにってェ、言っちゃっていいわけぇ? ユーリンたら今朝は大胆にもあァンなことやこーんなことをたくさんオレにせがんで」
「くああああああッ!!」
奇声を発するより先にまたしても手が出た。しかも今度は胸倉をつかみあげ、往復で両頬を殴りつけていた。しゅうしゅうと両頬から蒸気をあげ、虫の息と化したグウェンはとうとう「嘘でした大変すみませんでした」と白状した。
「つーかァ、オマエよく見やがれよ? ここはオマエの部屋じゃない。オレの部屋」
「え、先生の……?」
まだ安心はできない。グウェンの胸倉を掴んだままで辺りを睥睨すれば、そこは確かに師であるグウェンの書斎兼寝室であった。ついでに遠くで初更を告げる鐘が鳴るのが聴こえた。
「でも、なぜ……」
「ヤオ家の一件の後、オマエが倒れて勝手にぐうぐう寝ちまったンで、こうして仕方なく部屋に運んでやっただけさ。でも、オレもけっこう限界だったんでね。オマエの魂魄と肉体に異常がないかだけ診たところでいつのまにか寝ちまったってわけ」
「あ……」
見ればヤオ家の僵尸とやり合った痕跡は体のどこにも残っていない。本性である飛僵の姿に切り替わることですり減った筈の魂魄も今は満たされ、五臓六腑に気血が漲るのが感じられる。要するに、ユーリンの状態はすこぶるよく維持されていた。
霊幻道士は僵尸についてのエキスパートだ。それはすなわち、魂魄と人体、それに法術の専門家であるということ。殊に、グウェンは魂魄改造、延命学に長けた人物である。きっとユーリンが眠っている間に治癒の符咒を施してくれていたのだろう。
「……先生、すみませんでした。私はてっきり修行を破られたものだとばかり」
「オマエ、何気にめちゃくちゃ失礼な目でオレを見ているよな。オレは変態淫魔かなんかかよ」
「そ、れは……日ごろの行いが原因、ですよ……? 今だってなぜか裸だし」
「アー。オレは全裸健康睡眠派なんだよ。ま、いいや、そこんとこは置いとけ」
ふん、と鼻を鳴らして立ち上がると、グウェンは椅子にかけてあった自身の長袍を羽織った。
「明日からまた厳しくしごいてやるから覚悟してな。ま、今晩のところはゆっくり寝とけ」
「へっ……先生はどこへ?」
「霊廟。師兄が客を連れてく予定でね」
「あの……お手伝い、しますよ?」
「いいって」
部屋から出ていく寸前、グウェンは昼間眼鏡を掛けている時の柔和な微笑みになって「おやすみ、ユーリン」と言った。
ユーリンは咄嗟に返事をすることができなかった。置いて行かれた子どものように途方にくれて、師の気配が消えた頃にようやく「おやすみなさい」と言葉にすることができた。
……自分のような死体妖怪のなれの果てが受けていい厚意ではない。そんな後ろめたさに似た思いがユーリンの心には常に在った。
ユーリンが霊幻道士であるリー・グウェンの下に弟子入りした理由は単純。復讐の為だ。自らを――それに家族を僵尸に変えた者どもを見つけ出し、殺す為。
この十数年、清朝は西欧列強の驚異に曝され続けている。そこでこれに抗しようとした科学的黒魔術派が僵尸による軍隊を組織するため、人里離れた村々で人狩りを行ったことがあった。その際にユーリンも僵尸を生み出すための材料として誘拐され、非道な拷問を受けた。その結果、半不死者となり夜を往く者と化したのだ。
それ以来、自分を化け物に作り変えた奴らを探しだして殺すことがユーリンの強い望みとなった。
ともかくグウェンの下にいればおのずと僵尸絡みの厄介事に関わる機会も増える。そうすれば、いつかきっと自分の仇にも巡り会うだろう。そう踏んで、この世界に足を踏み入れた。
後戻りはもとよりできない。戻る場所もない。
でも、それでいい。私はぜったいに辿りつく。それまで、私は僵尸を殺し続ける。
いつか訪れるであろう――自らが望む安寧を夢に見ながら、ユーリンは再び眠りについた。
第一話 了
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