彼の隣にいられること

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 日も暮れてしばらくした頃。ガチャリと音が響いて、私は急いで玄関に向かった。 「おかえりなさい」  靴を脱いで顔を上げた彼は、私の顔を見てうなずく。 「ああ、ただいま」 「休日もお疲れ様でした」  肩が触れ合うほどの狭く短い廊下を並んで歩き、居間に入る。その瞬間、私は一歩下がって彼の大きな背中を見上げる。私は何より、この背中が好きなのかもしれない。 「これは……すごいな」  ダイニングテーブルに並んだ食事を見て、彼が珍しく声を上げた。 「ちょっと張り切りすぎたかな。二人でこんなに食べられないかもしれないけど」  煮込みハンバーグに温野菜のサラダ、クリームシチュー、バゲット。それに、ケーキまでとりあえず並べてみた。 「いや、いただこう。腹は減っている。今ならいくらでも食べられそうだ」  柔らかな表情で、彼が私を見つめて微笑む。そんな日常の一シーン一シーンでさえ、私はまだ今もなお喜びを感じられる。  彼の隣にいられること。日常をこうして一緒に過ごせること――。  彼が身支度を済ませると、向かい合って座る。ワインが並々と入ったグラスをコトリと傾けて乾杯する。 「おめでとう、20年」  私が言うと、彼も「おめでとう」とつぶやいた。  そう、20年前の今日、私は彼と恋人同士になった。 「どうだ、長かったか?」  そう尋ねられて、しばし考え込む。 「うーん、どうだろう。あっという間だったようにも思うし、でも20年の間でいろんなことがあってライフステージも変わったし、そう考えると、20年前ってもうはるか昔の感じがするんだよね」 「ああ、俺もだ。つい最近……はさすがに言い過ぎかもしれないが、まだ近いように思っていたら、じっくり考えると『昔』なんだよな」 「ねっ?」と苦笑しながら言い、煮込みハンバーグにナイフを差し入れた時。 「これを」  突然、彼が細長い箱を差し出した。 「えっ?」  まったく予想していなかった私はナイフを握ったまま、箱と彼を交互に見つめる。 「なんて顔をしてるんだ」  そんな私を見て、彼は呆れたように笑っている。彼のどんな笑い顔も好き、だなんて改めて思った。 「だって、まさかそんな……えっ、プレゼント?」 「ああ、君に」 「あ、ありがとう」  おずおずと受け取っても、まだ水色のリボンをかけられた純白の箱をじっと見つめてしまう。 「よかったら、開けてみてくれ」  促されてようやくうなずき、そっとリボンに手をかける。 「なんだろう? ……あっ、これって!?」  箱から出てきたのは、ピンクゴールドのブレスレット。以前、一緒に出かけたショッピングモールで私が一目惚れしたアクセサリー。 「覚えててくれたの? ……嬉しい、ありがとう」  もう一度お礼を重ねた唇に落ちたのは、少ししょっぱい涙。  彼が目を見開いている。 「何も泣くことはないだろう」 「だって、すごく嬉しくて……」 「普段、何も感謝の気持を伝えられてないからこのくらいはさせてくれ」 「でも、こういうの買うの苦手でしょう?」 「まあな。だが、君がヒントを出してくれたからプレゼント選びは悩まずに済んだ」 「ふふっ、そっか。ねえ、着けてほしいな」 「ああ、貸してみろ」  箱から取り出したブレスレットを丁重な扱いで彼に渡し、左手を差し出す。彼の大きな手が手首に触れ、続いてブレスレットの冷たい感触がまとわりつく。 「ああ、似合うな」 「本当?」  笑顔で手を引っ込めようとした時。彼が私の左手を引っ張った。 「どうかした?」  手をつかんだまま、首をかしげる私の瞳をじっと見つめて彼は話す。 「この20年、君と一緒にいられてよかった。心からそう思う。この先も、ずっと……一緒にいよう」  真摯な瞳から目が離せなくなった直後、彼がつかんでいた私の手の甲にそっと優しい口づけを落とした。 「大好きだよ。……やっぱり泣くんだな」  苦笑した彼が立ち上がる。 「だって、幸せで……」 「あー、わかった。わかったから」  私のそばまで回り込んできた彼は優しく笑って私を抱き寄せ、頭を撫でてくれた。 「私も大好きだから。ずっと、ずっと、この気持ちがなくなることはないから」 「ああ、ありがとう」  彼の胸の中でしばらく泣きじゃくった。  この幸福が消えてなくならないように。ずっと共にあるように。そう願いながら、彼のぬくもりをただ感じていた。
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